第38話 吹けよ風、呼べよ嵐と

 流星錘が、左右から風を切って飛来する。

 それらを時に避け、時に刀の鍔で弾いてやり過ごす。

 反撃の太刀筋が、吹けよ風、呼べよ嵐と唸りを上げる。

 精妙な足運びが白刃を擦り抜け、逆襲の円弧を描く。


 視界の隅では、女傑たちの飽くことなき応酬が繰り広げられている。


(あの流星錘の動き……よく見ると――おっと)

「よそ見しとる暇ぁないで!」


 モンヨンティンの剣捌き、足運びともに武術を正式に修めた者のそれであった。

 けんの〝眼〟は刃を逃れる助けにはなるが、反撃の機は〝心〟で捉えねば見えてはこない。


「逃げてェ! ばっかしやァ! 勝たれへんぞッ!」

「ク……ッ、うぁ……ッ、ぶな……っ」


 このまま後退を続けていては、体力が尽きる前に崖っぷちに達してしまう。


(逃げるなら――とことんだ!)

「おぉっ……」


 攻撃が伸びきったタイミングを見計らい、剣身をじょうで叩き落とす。永定の体勢が崩れた隙に、献慈は崖の反対側へ大きく回り込みをかけ――


「……なんてなぁっ!!」


 永定の震脚が起こした波紋が、辺り一面を砂地へと変えていた。

 走り出した献慈の足首までが砂の中へ沈み込む。


(これは〈土遁〉の術……!)

「捕まえたで――〈沙英剣〉ッ!」


 永定はしなる剣先で砂をすくい上げ、献慈を目がけて弾き飛ばした。


(見える……のに、躱せない――!)


 向こう脛を、肩口を、膝を、次々と砂塵の刃が切り裂いてゆく。砂に足を取られる献慈を嘲笑うかのように、永定は巧みな軽功で砂上を動き回る。


「どないしたァ!? 降参するんかァ!?」

(立ち止まっていても……どのみち終わる……)


 吹き荒ぶ砂の嵐が幾度も心を挫こうとする。

 だが献慈にはわかっていた。退くと進む、まだ選択の生きている今こそが立ち向かう時なのだと。


(だったら、少しでも……前に進んでやる――!)

「……ぬぉっ!?」


 防御をかなぐり捨て、杖を頼りに亀の歩みで突き進む。向かい来る砂刃が手足を掠めるもお構いなしだ。


(こいつは……一度も胴体を狙ってこない。俺を殺す気なんて端からないんだ)


 相手は自分を弱腰と侮っている。その甘さに、付け込ませてもらう。


「何やねんワレェええぇ!! ちっとは怖がるとかしろやァああぁ!!」

「うぅるせぇええ――――ッ!!」


 出会い頭の小手打ちで剣を叩き落とす。


「いだっ!」

「あ、ごめ……じゃなくて、今は我慢しろコラァ――ッ!!」


 未熟者は未熟者らしく、泥臭く勝ちにいく。懐へ飛び込み、がっぷり四つ。崖を背にした相手は土俵際。このまま押し切るのみ。


「ぐがが……ッ、わ、ワレェ、正気か……!?」

(正気も正気だよ……!)


 実のところ、献慈たちは崖下の道を通ってここまで来たのだ。見上げた高さも大したことはなかった。落下しても大事には至らぬはずだ。

 腰を落とし、力の限り、押して、押して、押しまくる。


「いぃ寄り切りィいい、ぅおぉいちばぁああァ――――ん!!」

「ほげぇえええェ――――ッッ!!」


 ついには断崖を踏み越え、永定もろとも滑り落ちる。


(やった…………あれ? 思ったより…………めっちゃ高くね……!?)




 もつれ合ったまま、二人は地面へと激突する。


「…………ふぐぅっ!?」


 衝撃に備えんとした献慈の気構えは肩透かしを食らった。


(……意外と……痛くない……?)

「はぁ~、焦ったわー。ワレ、無茶苦茶やなぁ」


 ヨンティンが揺さぶる手の重みで、献慈の肩が地面に沈む。二人が寝そべっていたのは柔らかな砂の上であった。


「そっか、これは……俺の負けだね」

「やけに素直なやっちゃな。それはそれとして案外根性あるやんけ、ワレェ。見直したで」

「俺はただ、澪姉のために夢中で…………そうだ! 上は今どうなって……!?」

「おぅ、オレもすぐに行くけどや。そない慌てんでも」


 永定は指先一つで砂地を元の地面へ戻し、余裕の跳ね起きを見せる。


「でも、俺が行かないと…………」

「せやな」

「……行かないと…………」

「どないした?」

「…………こ……腰が……抜けた」


 献慈は身を起こそうとするも、腰から下にまるで力が入らない。


「なぬ~ッ!?」

「い、いや、大丈夫。自力で治癒するから……」

「おっしゃ、任しとけ! オレがちゃちゃっと点穴突いて治したるわ!」

「……って、聞いてる?」


 その言葉を無視し、永定は張りきって献慈の体をまさぐり始めた。

 だが、自信満々の口ぶりと裏腹のおぼつかない手つきが、献慈の心をたちまち不安で満たす。


「あの、よ、永定……くん?」

「どこやったかなぁ……そや、このへん押せばええはずや……多分」

「多分って……ちょぁ! いぢ、いきなり脚がつったんだけど!?」

「おかしなぁ……もうちょい下やったか。おりゃっ」

「背中がほぐれたような? っていうかまず脚どうにかして! 痛ぁい!」

「あー、すまん。これでええか?」

「うん、立てるようになった……けど、両腕が前に突き出たまま動かない……」

「まじか!? しゃあないなぁ、今度は……」

「いやいやいや! もういいってば! 自分で治すから!」


 永定の善意――と思いたい――を無下にするのは心苦しいが、心身の健康には代え難い。


「ええよなー、ワレは。我がで治せるんやもんなー。ずっこいわー」

「ずっこいって……あ、そうだ。手、出してみてよ」

「手ぇや? ほれ……おぁっ!?」

「さっき思いっきり叩いちゃったでしょ? 治してあげるよ」


 指の間から漏れ出した〈ペインキル〉の光が、永定の潤んだ目をキラキラと輝かせた。


「優しなぁ、ワレェ……献……献坊って呼んだってもええか?」

「(懐かれた!?)え、まぁ、好きに呼んでくれれば…………と、それから」


 誤解は早めに解いておくに限る。


「何や? そないに見つめて……」

「もう気づいたと思うけど……指輪」

「ゆっ……!? まぁ、ワレの気持ちはわからんでもないけど!? でもオレら会うたばっかしやし!? こ、婚約とか、まだ早い思うねん!?」

「その指輪じゃなくてさぁ! 烈士の……何とかっていう……」


 献慈の左手中指を確かめ、永定ははっと声を上げた。


「そや! 戒指リングぅ! 何で着けてへんねん!?」

「そりゃもちろん、俺が烈士じゃないから……だけど」

「ワレェ、カタギもんやったんかい! こら後でアニキに大目玉やわ……」

「ごめん。ただ、烈士に協力してるのは確かだし、衝突は避けられなかったと思う。それよりも俺たちのことはともかく……」

「アネキたちやな」


 崖上へ耳を澄ます。戦いの音は続いている。


「取り返しがつかなくなる前に止めないと。烈士が民間人といざこざ起こすのはマズいんでしょ?」

「そらそやねんけど……」

「何か問題が?」

「あの二人、オレらが『やめろ』言うて素直に聞く思うか?」

「……た、たしかに……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る