01.代替わり 2

――覚悟はあっても、実際にこうなってみると、やはりつらいものはある。

 それでも、もう後戻りはできない。アミシャもリアノスも、己の役目を果たすと、十年前に決めたのだ。

 リアノスは顔を上げ、椅子の向こう――洞窟の岩肌に掘られた祭壇を見た。小さな像が、捧げられた食べ物や花に囲まれている。

 アミシャが、リアノスが、この里の者すべてが――先祖代々から守り、この先も守り続けていくものだった。

〈災いの元〉が、小さな、人を象ったその像の中に封印されているという。

〈災いの元〉は、かつてこの神殿の主だった。スクル神やノハリア神のような神々の一柱として、人々の崇敬を集めていたが、やがてその強大な力で人々を惑わせ、争わせ、世の中を混乱に陥れた。このままでは世界が破滅してしまうかもしれないと危惧した人物が、〈災いの元〉を像の中に封印するのに成功し、混乱は収まったという。

 けれど、封印しただけ。この世から消えたわけではない。混乱を二度と招かないため、封印が綻ばないようにしなければならなかった。

 それが、ティサに生まれた者の役目であった。リアノス達は、〈災いの元〉を封印した人物とその縁者の末裔だといわれている。

〈災いの元〉が実在したのか、像に封印されているのは本当なのか。分別が付くようになったと判断され、ここを訪れてよいと許されれば、自ずと分かる。

 言い伝えは真実であり、自分達が守るものは実在するのだ、と。

 祭壇に鎮座する像と、その前に据え付けられた椅子で昏々と眠り続ける人物が、この里に生まれた者の運命を代弁していた。

 祭壇の前で眠り続ける人物――今はアミシャだ――は、いわば「重石」だ。ここで共に眠ることで、〈災いの元〉を目覚めさせないようにするのだ。

 封印役と呼ばれ、百年に一度、代替わりする。

 初めてここを訪れた時、隣にはアミシャがいて、椅子に座っていたのは別の人物だった。

 リアノスの祖父母が生まれる前から、その人は眠り続けていた。ほとんど変わらない姿で、しかし確かに呼吸をしながら。

 封印役はその役目に就いている百年の間、絶対に目を覚まさない。その代わり、ほとんど歳を取らない。多少は年を重ねるようだが、それでも、百年の間で数年ほどだ。

 リアノスとアミシャが目にしたのは、二十歳になるかならないかの青年だった。彼は、ただただ、座って寝ているようにしか見えなかった。

「わたしも、こんなふうに眠るんだね」

 祭壇を訪れた時に、アミシャがぽつりとこぼした。彼の役目はもうすぐ終わり、次の封印役がアミシャに決まった、その直後のことだった。

 ティサの人口は、少しずつ減っているそうだ。外部との交流が少なく、世の中から忘れられかけているこの地に嫌気がさして、出て行く者が後を絶たないためだという。しかも、リアノスとアミシャが物心つく前に病が流行り、同じ年頃の子供はほとんどが生き延びられなかった。大人も少なからず犠牲になった。そのため、リアノスとアミシャは、他に歳が近い子供もなく、血の繋がりはないが兄妹のように育ったのだ。

 封印役を務めるのは、十五歳未満の者と定められている。代替わりの年、十五歳未満の子供の中で最年長となるのが、アミシャだった。リアノスはアミシャの一つ年上で、そもそも候補から外れていた。

 流行病を生き延びた時から、決まっていたも同然なのだ。

 兄妹のように育った片割れが、百年間目覚めない眠りにつく。リアノスにとって、それは死別に等しかった。

 アミシャは本当に死ぬわけではない。けれど、二度と言葉を交わせない。声を聞くこともない。見つめ合うこともできない。アミシャが再び目覚めた時、リアノスはもはやこの世にはいない。

 椅子で眠る青年は、リアノスの曾祖母の弟だという。けれどリアノスは、曾祖母と会ったことはない。両親の記憶の中に、わずかに存在するだけ。彼と同じ時を生きた人々は、もう誰もいなかった。

 アミシャも彼と同じ境遇に陥るのだ。

 死ぬわけではないけれど、目覚めた時に知る人が誰もいないのは、どれほど心細いだろう。

「ねえ、リアノス」

 遠い親戚である青年を黙って見つめていたら、アミシャが手を握ってきた。

 隣を見ると、森色の瞳と視線がぶつかった。

「わたしが眠りについても、ずっとそばにいてくれる……?」

 封印役に任じられてから、アミシャは不安を口にしたことも、表情や態度に示したこともない。

 けれど今は、雨が降る前の空みたいな表情をしていた。瞳の色も、暗い。

 小さい頃は、手の大きさはさほど違わなかった。それなのにいつの間にか、アミシャの手は、リアノスよりも小さくなっていた。

 その手をしっかりと握り返した。

「ずっとそばにいる。毎日会いに来るよ。――最期まで、離れない」

 本心を言えば、アミシャが封印役になるのは嫌だった。物心つく前から一緒にいた彼女が眠り、それを見守るだけになるのが嫌だった。

 けれど、それはきっとアミシャも同じだろう。そして、今眠っている、リアノスの親戚である青年も。

 何より、大事な役目なのだ。この世に二度と混乱を招かないために、長く引き継がれている務めなのだ。離れたくない、という個人的な感情を優先していいわけがない。

「ありがとう、リアノス」

 アミシャの瞳は、雨が降った後の森のようになっていた。

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