エピローグ 2
最近我が家に調味料の種類が、以前の数倍にまでその数を増やしている。
理由は明白で、私一人分の料理を作るのなら、別に手間暇かける必要はないし、味のバリエーションもそこまで必要じゃない。
だけど、毎週末は江月が泊まりにくるし、更には柊も我が家の一員となった。
自分以外にも食べる人がいるというのは、それなりに体裁を整えなければならないということで。
面倒臭いが、それ以上に誰かのためにご飯を作るというのは楽しかったりする。
「柊、晩御飯何がいい?」
私より余程勉強が出来る柊は、課題という訳でもないのに今日もせっせと自習をしている。
そんな柊とは対照的に、夕方の情報番組を見ながら煎餅を頬張っている私が自堕落に思えてしまったので、少し手の込んだ料理でも作ろうかと声をかける。
「そうねぇ……。ハンバーグとか?」
肉食の柊は大体いつもガッツリした物を食べたがる。その為我が家の冷凍庫は、以前とは変わって挽肉やバラ肉が常備されるようになっていたりする。
「ていうか楓姉さん、勉強は?あまりにも成績が悪いと、若菜姉さんを泣かせることになるんじゃない?」
「う…、ご飯食べた後やるよ」
私の大学進学を巡って、つい先日江月と初めてケンカしたことを思い出す。
私としてはさっさと就職しようと思っていたのだけど、やっぱり私は江月には弱いらしい。口論の最中に江月に泣かれてしまった私はあっさり進学を決意した。
一応母親の残した僅かな遺産と奨学金制度を使えば学費云々は何とかなるので、お金の問題はただの言い訳で、本当は受験勉強を回避したかっただけだ。
ちなみにナンテンにこの事を話すと、私に同調してくれた。
江月は柊に私のお目付役を命じているので、だらけていると時折勉強するよう促してくる。妹にそんな事を言われるとやらない訳にはいかないので、効果は抜群だ。
冷蔵庫を見ると玉ねぎが無かったので、買い出しに向かう。
ついでにパンとか牛乳も買い足しておかないと。
気ままに食材を買っていた頃とは違って、財布と冷蔵庫の中身と料理のレパートリーとの相談になってしまう。それはそれで結構楽しい。
柊に甘い物でも買っていくかと、菓子コーナーを物色していると、見知った後ろ姿を見かけた。
「こんなところで会うのは珍しいね、須磨さん」
「あれ?椎本さんも買い物?」
須磨さんのカゴには何故か大量のヨーグルトが入っている。私の視線に気づいたのか、須磨さんは恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「昨日テレビでダイエットにいいって聞いてさ」
「須磨さん、ダイエットの必要ないでしょ?スタイル良いんだし」
言いながら改めて須磨さんを見てみるが、私服姿であってもスタイルは良い方だと思う。
何をそんなに気にする必要があるのかと思うが、人には人にしか分からない悩みというのがあるのだろうか。
「夏休みも近いし、恋人がいない夏って嫌でしょ?」
なんか去年も聞いたようなセリフだ。
あの頃の私は、何となく心の中で否定していた言葉だけど、今年の夏は江月と何しようかと楽しみにしていることを考えると、少しだけ理解はできる。
「須磨さんはモテると思うけどなあ」
「……そうかな?ありがと」
なんか微妙な間があったような気がするが、その後は期末試験の話になって、十数分ほど立ち話を終えた後、自宅へと帰宅した。
「それは楓姉さんが言っちゃいけない言葉でしょ」
晩御飯を食べながら柊に須磨さんと会ったことを話すと露骨にドン引きした表情で私を見た。
「え、そんな悪いこと言ったかな」
「いやだって、告白して振られた相手にそんなこと言われたら嫌味にしか思えないでしょう?」
そうなのだろうか。そんなこと全然意識していなかった。
いや、告白されたというのに、意識しない方が悪いのだろうけど。
その後も柊に小言を言われたので、勉強もそこそこに、堪らず夜の散歩に出かける。今年は梅雨入りが早く、六月も終盤になると殆ど梅雨明けの様相を見せていた。
雨が降った後の地面の匂いが好きだ。夜の散歩だというのに、つい遠くまで足を伸ばしたくなるような気持ちにさせる。
今夜は雲に隠れて月は見えないけど、それでも街灯の灯りが夜の闇を減らしてくれている。
宵闇の中に住宅から漏れ出る暖かい光を見るのが好きだ。
昔はビジネス街のビルの白っぽい光の方が見ていて綺麗だと思っていたけど、どういう心境の変化があったのか、今では人の生活の息遣いを感じる光の方が見ていて癒される。
空白の時間が、孤独の時間ではなくなったのはいつからなのだろう。
一人物思いに耽る時も、何もせずにうつらうつらと眠気と戦っている時も。不思議と孤独を感じることは無くなっていた。
忙しさに思考を埋め尽くさなければ襲ってくる孤独感はいつの間にか、何処かは去っていってしまった。
ふと、その寂しさを懐かしんでしまう時もあるけれど、結局私は寂しがり屋なんだろうな、と思い知らされてしまう。
江月と出逢うことが出来なかったら、私は今頃何をしていたのだろう。
もしかしたら、今でも過去の出来事にいじけて世の中に対して怨みつらみを吐いていたのかもしれないし、案外孤独を楽しんで今とは別の幸福の形を見つけていたのかもしれない。それとも別の恋でも見つけていたのだろうか。
多分どの可能性だってきっとあったんだろう。
それでも、やっぱり江月の隣にいること以外の未来は、多分今の私にとって何の価値もない。
雲の隙間から、隠れていた月が顔を出す。殆ど満月に近い小望月だった。
いきなり現れた月光に目を奪われていると、メッセージの着信音が鳴った。江月からだ。
「明日は満月だからさ、月下美人が咲くところを見ない?」
——恋というのは不思議だ。
同じ夜空を見上げていたのだろうか。そう思うだけで、一人歩く夜道ですら、孤独はもう感じられなかった。
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