第十九話 曰く、罰の話 ②

「——貴女が父とどういう関係なのか分からないけどさ、立ち話も何だし座ったら?飲み物くらいは出すよ」

 やけに挑発的な柊に対して、不思議と私は冷静だった。それは、既に父親は他人なのだという意識が強かったというのもあるし、何となくだが、ナンテンの友人だというのならそこまで悪い人間でもないだろうと思っていた。

「……そう?なら、遠慮なく」

 少し呆気に取られたような顔をした後、柊は邪気の無い顔で頷く。

 部屋に入った柊は興味深そうに部屋を見渡した後、仏壇の遺影に気づいた。

「あれが、貴女の母ね」

「そうだよ。去年の春に死んじゃったけどさ」

「宗像亮太が死んだのも、ちょうどその頃だわ」

 そうか、父も既にこの世にはいなかったのか。何処か他人事のような、或いは名前だけは聞いたことのある芸能人の訃報を聞いたような、そんな感想しか浮かばない。

 それで、その私の父が目の前にいる柊と——そして、江月とどのような関係があるのだろうか。

 柊を家に通したのはその答えを知るためだけであり、半ば確信的にその理由こそが、江月の引き篭もっている原因であるだろうと推測していた。

「先ずは私が何者なのか、それを言う方が早いわね」

 コーヒーを出すと、ブラックは嫌いなのか一口飲んでから柊は睨むようにこちらを見たので仕方なく、甘いチョコを差し出す。

 チョコの包装を開けながら、柊はゆっくりと語り始めた。

「簡単に言うと、私は貴女の父親と若菜お姉さんの母親が不倫して出来た子供よ」

「……え?いやでも」

 それにしては年齢が合わない。

 父親が出ていったのは、私が六、七歳の頃だ。柊はナンテンの友達というからには中三になる筈だが。

 その疑問は既に予想ついていたのだろう。柊はチョコを口に放り込んでから一口コーヒーを飲んで、答えた。

「若菜お姉さんの母、私の母でもあるんだけど、弓削聖子ゆげせいこは私を妊娠したとわかると、直ぐに別居を開始したのよ。その間に私を産んで、赤ちゃんポストなんていう可愛らしい名前の施設に私を捨てて直ぐに元の家に戻ったけどね」

「……だからチテイジンだなんて名乗って、捨てた両親の代わりに私と江月に復讐を?」

「あら、気づいていたの?」

 そりゃ、状況的に考えて柊がチテイジンだと推理できるだろう。

 逆に、彼女とチテイジンが別ならば、私と江月のことを知っていて、尚且つ恨みを持つ人間がまだいるということになる。

 それはそれでゾッとしない状況だ。

「気持ちは分からなくもないけどさ、それは私と江月に復讐する理由にならないでしょ。もしどうしても復讐したいなら、私だけにしてよ」

「……恐ろしく平坦な声で、そういう事が言える人なのね、楓お姉さんは」

 ——それは少し意外だけど、でもそれが若菜お姉さんの為だというのなら、少しだけ彼女が羨ましいわ。

 付け足すように、半ば独り言のように、柊は呟く。

「だけど、嫌。私は椎本楓も、江月若菜も、等しく大嫌いなの」

「そこまで嫌われる理由は、ないと思うけどな」

 施設に入れられたのだって、私の父と江月の母の所為だ。それを憎んでいるのなら、捨てた本人を憎むべきなのではないだろうか。

 まぁ、恨みや憎しみっていうのは理屈じゃないことくらいは理解しているけどさ。


「同じだと思ったのに、差があるからよ。公平じゃないから、嫌いなの。貴女は父に捨てられても、母親がいたでしょう?若菜お姉さんだって、母に捨てられても父親がいたでしょう?それなら私は?同じく捨てられた子供なのに、私には誰もいない。同じ境遇なのに、私だけ不公平なのが気に食わないのよ」

 そういう割には淡々と話している気がする。

 理由があって復讐するのではなく、復讐するために理由を作り出しているような。

 そんな違和感が不思議とあった。

「そうなんだ。じゃあ、どうするの?私を殺す?それとも、何か暴力でも振るってみる?」

「罰よ。貴女達二人には、罰がなくちゃ私が納得しないわ。両親が誰なのか知った時、貴女と若菜お姉さんの存在も知ったわ。でもその時の二人は、とても幸福には見えなかった。だから、何もしなかったのよ」


 それで良かったのに。

 柊の言葉からは、語尾にそんな言葉が続きそうな雰囲気があった。


「……要するに、自分だけが不幸なのに、私達が幸福なのが我慢ならないっていうこと?」

 それは我儘にも程がある。そう思う自分がいる一方で、彼女を憐んでしまう自分も居た。

 確かに、もし私に母がいなければ、江月がいなければ、もしかしたら私はとうに命を絶っていたのかもしれない。

 思えば、私の生きる理由というのは、いつだって自分以外の誰かの中に見出していた。

 それを考えると、柊の置かれた状況というのは、憐れなほどに孤独だ。

「……自分勝手だと思う?それとも理不尽だとでも罵ってみる?だけれどね、私はそれでも貴女達を憎んでしまって仕方ないのよ」

「——コーヒーを飲んだらさ、出ていってくれるかな。柊が話してくれたおかげで、何で江月が私を無視しはじめたのか、分かったよ。きっと君に黙秘されていたら、一生分からなかったから。それは、一応感謝しておく」

 柊に対して、不思議と怒りだとかそういう感情は湧かなかった。

 それは私の世界に対する見方が変わったからなのか、それとも別の何かを柊から見出したからなのか。

 ただ、四畳間のこの狭い部屋の中で、私と柊は間違いなく会話を交わした。それは、縁のない他人から、顔見知りにまで昇格したことを意味していて。

 そうなってしまった以上、無根拠ではあるが、例え害意があろうとなかろうと、私にとって彼女は、軽んじてはいけない存在なのだ。

 だから、意味深に微笑を浮かべて立ち上がった彼女に、私はこう告げた。


「世界はいつだって優しいよ」

「——そんなこと、誰だって知っていることだわ」

 ふん、と鼻を鳴らして不機嫌そうに言い返した柊は扉を閉めて出て行く。


 柊が私に話した内容をまるっきり同じく江月に話したとするならば、きっと江月は筋違いの罪悪感を私に感じているに違いない。

 ——自分の母の所為で、椎本の母は苦労して死んでしまった。或いは、自分の父は幸いにも金に困らなかったけど、一方の椎本の方はこんな貧相な部屋に住むような生活になってしまっている。

 江月が考えているのはこんなところだろうか。

 それはある種、柊が感じた不公平さと同じだ。


 だけど、それは違うよ。

 そう伝えなくてはいけない。

 上手く言えないけど、それは江月が背負うべき罪じゃない、私に与えていい罰でもない。

 ようやくわかった。江月が私を避けている理由を、ようやく理解できた。


 それが分かったのなら、後はやることは一つだけだ。

 私は自転車の鍵を取り出して、アパートを飛び出した。

 庭を見た感じ、手入れはしているようだ。それはいつしているのか分からないけど、少なくとも外に出る時間はあるはずだ。

 それならば、江月が庭に出てくるまで待つだけだ。


 罰が必要だというのなら、柊。

 私の罰は、きっと江月が与えてくれるよ。

 次に柊と会ったのなら、そういうことを言ってみよう。

 吸い込んだ空気は、冬の匂いがしていた。

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