第一印象「聖人」

「先生がやめろって言うなら、オレたちはもう何もしねえよ」


 しん、と教室内が一瞬だけ静かになる。八雲は、窓際に群がっている男子らの所へ足音を立てずに近づく。立ち止まった八雲と、男子らの間には三歩分の距離があった。机に座っていた男子が負けじと口を開く。


「生意気だぞ、トリの子分のくせに」


 その男子の名前は藤悟とうごという。いじめっ子たちの中心人物だ。声も背丈も態度も大きいのが特徴である。藤悟は意地の悪い笑みを浮かべて開口する。


「中級まで飛び級なんて、子分サマは大層なご身分だなあ?」

「は? オレ、十四だけど」

「えっ? まじで? ……ははは!」


 藤悟が吹き出すと同時、八雲の堪忍袋の緒が焦げた。


「こんなにちっせーのに?」

「おい、手え乗せんな。だいたい、種族が違う奴をいじめて楽しんでるあんたらの方が、よっぽど小せえんだよ。心が」


 笑いながら近寄ってきた藤悟の手を、八雲は素早く払いのけた。八雲の言葉を無視して、藤悟は続ける。


うちの弟と変わんねー背丈なのに……かわいそ。ああ、かわいそうと言えば、用心棒サマのせいで弟がパシリを一羽使えなくなったんだと。かわいそうだよなあ。なあ。勝手に取るなよ、アオイトリはニンゲン様みんなのもんだろ」


 堪忍袋の緒が焼き切れた。八雲は左手で藤悟の着物の襟をつかむ。


「てめえ! あの万引き犯の……!」

「は? なんだよおチビ。万引き犯は青だろ。……あれえ? 未遂だっけえ?」


 八雲は右手で瞬時に気流を操作する。それに気付いた藤悟も、咄嗟に左手を構えた。けれど。


「だめーっ!」


 前触れなく発せられた言葉とともに、互いの手のひらの上で光が弾けた。静電気のような痛みに、二人は思わず怯む。声の方に目を向けると、稲置明が教室の入り口で頬を膨らませていた。


「二人とも何してるの! ここ教室だよ? 関係ない人まで巻きこんじゃうんだから、魔術で喧嘩しちゃだめだよ!」


 ぷんぷん怒る明の背後には、やはり亡霊のごとく彰二が張り付いていた。明は鋭い目つきで八雲を見る。


「ねえねえ八雲くん。青くんどこか行っちゃったけど、いいの?」


そう言われて八雲は息を飲む。振り返ると、確かに青の姿が見えない。

 ――しまった。感情を、怒りを抑えきれていなかった。

 廊下の窓からのぞく空には、灰色の雲が浮かんでいる。それでも、左手で握ったままの襟首の感触で、再び藤悟への怒りがこみ上げる。


「だけど、こいつに痛い目見せねえと気が済まねえ……」


 ぎりぎりと歯ぎしりする。このまま追いかけても、自分の感情のせいでまた青を傷つけるかもしれない。ためらう間に、明がこちらへ駆けてきた。


「大丈夫だよー! 藤悟くんたちは僕がしっかりお説教しておくから、行って! 八雲くんのお説教は、戻ってきてからねっ」

「エッ。お、おう……!」

「あ、おい待てチビ!」


 藤悟の取り巻きの声に苛立ちつつも、八雲は梅組を飛び出した。それを背に、明は淡い光を身にまとう。――稲置家は、超高速移動を得意とする家系であり、その速度から身を守るために魔力の衣で肌を覆うのだ。

 物々しい魔力が可視化して、藤悟たちの表情はこわばる。だが、明はすぐに力を弱めた。


「ふふふ、冗談だよっ。魔術で喧嘩したら学校が壊れちゃうでしょー。それに、僕たちが喧嘩しても意味ないよ。じゃあみんな、大人しくそこに座ってねー!」


 明は快活な声でそう言ったが、魔力の鱗片に触れて痺れた藤悟たちを従わせるには十分だった。その底知れぬ明るさは、強者の余裕そのものだ。明は他の生徒の邪魔にならない位置に問題児たちを座らせ、通算六十七回目の説教を始めた。

 無法地帯のごとし梅組だが、怪我人が出たことは一度もない。全ては明の働きのおかげである。

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