君とアメをしのぶ
「すみませんでした……」
説教のことを思い出したのは、梅組に戻ってからのことだった。魔術の危険性を七色の姓直々に教えられるなど、滅多にないことである。ただし明の場合、感情よりも魔力の方が激しく動くようで、青はあまり肌を気にしていなかった。
反省もそこそこに、八雲は生じた疑問を明にぶつける。
「そういえば、明はなんで梅組にいるんだ?」
「えっ?」
先ほどまで意気消沈していた八雲がけろっとした顔で言うので、明は目を見開く。八雲が「明の家なら、松組だって余裕だろ? なんでわざわざこんな奴らの面倒を見てるのかなーって」と補足すると、明はポンと手を叩いた。
「だって、やっぱり友達とおんなじクラスが良いでしょっ」
「友達、って」
「うん、しょうちゃんだよ!」
にっこりと笑う明、ぎこちなく口の端を引き延ばす彰二。「実は、僕も気になってたんだけど」と明は質問し返す。
「八雲くんたちは、良祐先生と何かあったの?」
「ああ……いや、先生が負の感情を持ってるって青が感知したから、それを解消できねえかなと思って」
そこまで言うと、八雲は「ていうかさ」と話題を変えた。先ほどから、お互い言いたい放題である。
「もしかして今まで、青のことはぎりぎりまで助けなかったのか?」
「黙れ、河北。いちいちそこまで面倒見ていたら、明が過労で倒れる」
「ああごめん、いや、責めてるわけじゃねえって。なんとなく気になっただけだよ」
*
青たちは一旦、良祐のことを直接的に探るのをやめ、駄目で元々という心意気で生徒への聞き込みを行った。ただし、梅組生とは関わりがたいので、八雲の古巣の竹組へ。
「何してるの?」
千智に絡まれたために八雲がそばを離れ、おろおろしている青に瑚夏が声をかけた。青はしどろもどろに声を出す。
「今朝、こ、瑚夏さんに見てもらった机の持ち主の……良祐先生と親しい人がいるかどうか、ご存知ですか……?」
「いいえ。悪いけど、噂すら聞いたことないわ。あたしは先生にキョーミないし」
会話している最中、青と瑚夏を見て竹組の女子たちがひそひそと話していることに気付いた青は、「すみません……!」と距離を取る。
「いいの。気にしないで。そういうのじゃないから」
「そ、そうなんですね」
青が受け取る情報は「肌触り」のみであり、元の感情が喜怒哀楽、あるいはそれ以外のいずれであるかは、自分の経験や想像に基づいて分類している。よって、己の知らない感情を読み解くことはできない。もっぱら、恋や女子の気持ちに関しては蓄積してきた情報が少ないのだ。
しかし、悲しみの気持ちはよく知っている。女子たちのことを弁解した瑚夏からは、そのような感情が漏れていた。――けれど、自分が聞いていいことなのかはわからない。
なお、聞き込み調査も、やはり成果は皆無だった。早々にけりをつけ、二人は梅組へ引き返すことにした。
窓を伝う雨粒の量が次第に増えてきて、六限目。青の耳元で八雲は言う。
「尾行しようぜ。どう考えても、正攻法は通じねえよ」
「え……!」
「ほら、聞くのがだめなら、見るしかねえって。あ、でも、悩みの原因が誰かに脅されてるとかだったら、青を危険に晒しちまうかもな。それは避けたい……けど、うーん……」
以降、八雲は緘黙して真剣に考え込んでいた。雨がどれだけ強く窓を叩いても、放課後になっても、座ったまま。
「あの、八雲……?」
青が体を揺すると、ようやく「どうした?」と目が合う。教室の暗さの理由が雨天だと気づいて安堵する八雲に、青はこわごわ語気を強めた。
「どうした、じゃ、ないですよ……! は、早くしないと、先生が帰ってしまいます……!」
八雲は苦虫を噛み潰したような顔をした。そして、何かぶつぶつと呟きながら立ち上がる。青は首を傾げた。
「ぼくのことなら……、大丈夫ですよ。ぼくも、が、がんばりますから……!」
「うーん、不安だなあ」
「えっ……」
青は肩を落としたが、八雲はその背中を軽く叩いて微笑む。
「ま、でも、おかげで覚悟決まったぜ。つーわけで、ちょっと行ってくる! 青は昇降口で待っててくれ」
廊下に飛び出し、思い出したように「廊下、滑りやすいから気をつけろよ」と付け加え、八雲はどこかへ走り去った。
従順な青は言われた通りに昇降口を目指す。
しかし、一階に降りた刹那、肌に違和感を感じて思わず立ち止まった。刺すような痛みが左頬を襲う。つい手のひらを顔に当てて、青は考えた。
(これは、悲しみ……? 涙?)
受け取った刺激は、おおむね知っている感情だった。
体ごと辺りを見回していると、痛みが鼻頭に移る方角を見つけた。そこに顔を向けたまま、思案する。
否、悩みたくても、答えはすでに知っていた。――八雲がいない今、一人でやるしかない。
(だ、大丈夫……! ほんの少しだけでも、ぼくは変わるんだから……!)
やっとの思いで一歩踏み出す。青は外履きに履き替え、傘を持って昇降口を抜けた。傘にざあざあと雨が打ち付け、足も少し濡れる。
感覚に頼って辿り着いたのは、校舎の一角の軒下であった。
袖口の広い袴――女子の制服――を着た者が一人、そこでうずくまっている。顔は手で覆われていて見えないが、肌をちくちく刺激する感情で理解した。
「こ、瑚夏さん」
震えた声で話しかけると、その女子はぎょっとして顔を上げる。小声で青の名を呼び返した瑚夏の目元は赤くなっていた。
「あ……、えっと、何でもないよ。泣いてたけど、髪紐切れちゃっただけなの。うっかりしてたあたしが悪いんだけどね……、あーあ! 可愛くなきゃ、玉の輿に乗れないのにー」
傘の上を跳ねる水の音がうるさいので、青は傘を閉じて狭い軒下に入った。そして、瑚夏の瞳を覗き込んでおずおずと口を開ける。
「あ、あの、何か……隠してますか……? なんだか、瑚夏さんの気持ちと言ってることが、いつも違う、気がして……。――あ、いえ、あの、すみません……!」
青はハッとして頭を下げた。しかし、瑚夏は怒ることも驚くこともせず、「わかるの?」と静かに聞き返す。
「はい、ぼくは……ヒトの感情が肌に伝わる体質なので……」
他の音は全て雨に遮られ、まるで軒下に閉じ込められたような心地。瑚夏は、どうせ取り繕ってもバレるなら、「聞いて」と口を割る。
「……最近、同じ組の子に避けられてて」
あくまで、淡々と語ろうと努める。
「トーゼンよね、あたし、結婚のことばかり考えてるもの。そりゃ嫌われるわ。……でも、あたしは。生きていくためには転職しなきゃ、いけなくて……。ええと、あたしの家業は洗濯の代行なんだけど、代行よりも洗濯機の方がずっと売れてるの。もうすぐ、あたしたちの仕事はいらなくなる……から」
瑚夏は俯いた。
「開発者の人はね、色んな理由で無職になった人たちを『養子』にして、工場っていう所で働かせてるの。……だから、家業を続けられなくなっても、同じようにすれば生きていける。……けど、それじゃ、朝日南家が消えちゃう。あたし一人の苗字が変わって事が済むなら、家族を養えるくらい大金持ちの人と結婚すればいい」
ここで養子をとるのは、さほど難しいことではない。両者の合意を示す申請書を、土地と戸籍の管理している「稲置家」に提出するだけで良いのだ。
瑚夏は、八雲が竹組からいなくなってからはクラス内の風当たりが一層強まり、孤立していた。
「でも、あたし、昔は『恋』に憧れてた。ううん、たぶん今もね。だから……青くんの言う『言ってることと感情が一致してない』理由は、きっとこのせい」
そこまで言うと、瑚夏は再び顔を上げる。
「……て、あたし、話しすぎよね。ごめん、青くん」
苦い顔をする瑚夏に、青は「いえ」と穏やかに告げた。
「あ、でもあたし、家族が嫌いとか家業がイヤとかじゃないの!」
「わかっていますよ。……感情が混ざり合って複雑になっていることはよくわかりましたし、瑚夏さんの気持ちも、なんとなく……ぼくにはわかります」
家族のために、と、思い立ったのが始まりだった。
(ぼくはヒトより弱いのに、どうやってヒトを助ければ……)
八雲のように「格好良く」助けることはできない。言葉をためらう青の隣から、瑚夏は立ち上がる。
「……ありがとう。なんか話したらちょっと楽になったかも。今まで誰にも言ったことなかったからかな。ほんと、ありがとね」
瑚夏はかばんを頭上に運び、「じゃあね」と言って軒下から出ようとした。
「ま、待ってください。あの、傘……よかったら、貸します」
「え? ……ああ、大丈夫! あたし風邪ひかないから」
やや得意げに笑う瑚夏に、青は「そういうことじゃなくて……」と補足する。
「ぼ、ぼくは。アオイトリなのに実力不足で、全てのヒトに尽くすことはできないですし、八雲みたいに、前に立って他の人を守ることもできないですけど、……隣で、感情に寄り添うことなら、きっと、がんばればできる……と思います。ですから、その……」
まずは、自分にできることから始めようと思った。
「涙と雨は別物ですが……、『あなたが、もう袖を濡らさなくていいように』……おまじない、です。……す、すみません、本物の幸せは大人にならないと運べないので、今は、気持ちだけですけれど」
どうにもならない物事で悩んでいるのは、自分だけではなかった。今までは、自分のことしか考えられなかったが。
弱さは自分だけが持つものではない。そう気づいてしまえば、もう無視などできない。
「泣きたくなったら、またお話、聞きます。瑚夏さんさえよければ……。約束です」
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