第19話 ミア・ワトソン④
――や、やべぇ、なんか話さねぇと……
アルジーノが一人話題探しに思考を巡らせている間、ミアは何ら気にすることなく研究室全体を物珍しそうに眺め回していた。
普段は物で散らかっている研究室も建物自体は古いが、きれいにしていればそれほど見栄えの悪くないものであることがわかる。
石造の建物が多い帝都の中では珍しく、博士の家は木造であった。
そのため、木で囲まれた空間は他の建物では感じられないリラックス効果がある、とアルジーノは感じていた――博士の家に入り浸ってしまう理由の一つは、それなのかもしれない。
「よし、とりあえず調整完了ってことで。ワトソンさん、これがさっき話していた発明品、『魔力マッサージ装置』だ!」
このままソファは二人と沈黙を乗せたまま地獄まで沈んでいくんじゃないかと考えていたアルジーノに、首に装置を付けたジョンが救いの手を差し伸べる。
「マッサージ装置……? 首や肩の凝りを直す装置ということかしら?」
「ご明察――。さすが成績優秀者は理解が早い! 魔力を注入することで駆動するんだけど、昨日まではちょっと感度が敏感過ぎたんで、その調整をしてたんだよねぇ」
そう言いながらジョンが肩の方に目をやると、装置が静かに振動し始める。
確かに、昨日に比べると随分とまともな動き方をしているようだ――うまく動いたことにジョンも満足した表情を浮かべている。
アルジーノが感心していると、ミアが急に立ち上がり装置に顔を近づけ独り言を呟きだした。
「なるほど……! 圧魔材料を用いた魔動機が中に入っているのね……。首の後ろに露出しているこの部分を通して使用者から魔力を供給して……もっと脳に近いところで供給できれば制御も安定しそうだけど、そもそも市販品の物質純度じゃ、魔力量と駆動量の関係は非線形性が強いだろうから意味ないかな……。もっと実用的にするのなら例えば――」
「わ、ワトソンさん!?」
突然訳の分からない言葉を唱え始めるミアに驚きジョンが声を上げると、我に返った彼女は自分の言動に引いている三人を見て慌てて謝罪する。
「あっ! その、ごめんなさい……! 面白い装置だなーと思ったから……。正直、もう少しおもちゃみたいなものが出てくると思っていたから……」
「いや、それも十分おもちゃだろ」
ソファに座ったままアルジーノが装置をバカにするので、ジョンは反論しようと彼を指さす――その瞬間だった。
「おい、アル! ワトソンさんが認めた発明品になんてぇぇこぉぉとぉぉ」
突然、装置が昨日初めて使用した時のように激しく振動し始めたのだ。
ジョンの頭はまたしてもあらゆる方向に小刻みに振られ続けている。
「きゃっ! フォーバー君、大丈夫!?」
「だぁぁめぇぇかぁぁもぉぉ」
「と、とりあえず、首から装置を外すんじゃ!」
「たぁぁすぅぅけぇぇてぇぇあばばばばば」
「ジョン! しっかりするんじゃー! ジョーン――!」
少しして、四人はやっとのことでジョンから装置を外すことに成功し、大きなため息を吐いて床に座り込んでいた。
またしても頭を揺らされ続けたジョンはぐったりとしており、その目からはまるで魂が抜けているかのように生気を感じられない。
「……大丈夫か、ジョン」
アルジーノが尋ねると、床の一点を見つめたまま囁くようにジョンが答える。
「……俺……まだ、生きてる……?」
「あぁ、生きてるよ。肩の凝りもすっかりとれただろ」
「肩……なんか、もはや痛いわ……」
――ぷふっ
アルジーノの隣でジョンを見ていたミアが突然吹き出したので、思わずそちらを見てしまう。
「くふ……あははははは」
一連の出来事が
大笑いしている彼女の向かいでうなだれているジョンを見て、そのギャップが可笑しくアルジーノも思わず笑いだしてしまい、博士もそんな二人を見て微笑んでいる。
一人うなだれたジョンは、そんな三人を見てぼやく。
「ちょっとー、こっちはまだ頭くらくらしてるんだけどー」
「あははははは、ごめんなさい……! フォーバー君、顔はものすごく必死なのに、装置ですごく振動させられているから、何だかその光景が可笑しくて……!」
そう言ったミアがさらに笑い続けるので、ジョンも呆れたように笑い始めてしまった。
ジョンが研究室にやってくる前は、アルジーノと博士の二人しかこの場所に訪れることはなかった。
そのため、研究室を満たしていたのは、博士が新しい発明を作るために試行錯誤している音と、ここに入り浸ったアルジーノが紅茶をすする音と、出来上がった発明品を説明する博士とそれにケチをつけるアルジーノの二人の声だけであった。
しかし、新しくジョンがやってきて、さらに今日ミアがやってきたことで、いま研究室の中はここで聞くことなど想像もできなかったほどの大きな笑い声で満たされている。
時間すら忘れてしまうこの瞬間をいつまでも噛みしめていられたらと、明るい未来が待つ三人の若者を見ながら、博士はしみじみと思うのだった。
ふとジョンが時計を見ると、ミアが帰宅しなければいけない時間をとっくに過ぎていることに気づく。
「まずい……! ミア……じゃなくて、ワトソンさん!」
名前を呼ばれたミアも、時計を見て大慌てで立ち上がり、鞄を手に持つと博士に今日のお礼を述べる。
「突然の訪問だったのにありがとうございました。また来たいです!」
「こちらこそ、来てくれてありがとのぉ。また、いつでもいらっしゃい」
「アル、とりあえず俺たちで送っていこう。このまま一人で帰すわけにもいかないだろ」
――分かった、と言ってアルジーノも立ち上がり荷物を持って玄関を出る。
ミアの自宅へと向かう三人が見えなくなるまで、博士はずっと手を振ってくれていた。
ミアの家は研究室から思いの外近く、到着するのにそれほど時間はかからなかった――入り浸っているアルジーノの方がむしろ自宅から研究室までの距離は遠かった。
レンガの壁沿いにしばらく走ると、ようやく門に辿り着きそこでミアが立ち止まる。
中には広大な芝の庭が広がっており、ローゼンベルグ家のそれには及ばないものの、噴水の奥の方には赤レンガ造りの立派な三階建ての邸宅を見ることができた。
――すげぇ、とジョンがまた口を開けて屋敷の中を覗いていると、門の内側に立っていた守衛がミアの帰宅に気づいたようで、もう一人の守衛の耳元で何かを囁いたあと奥の邸宅へと駆けて行った。
守衛が開いた門を通ったミアが、ここまで送ってくれた二人に向き直る。
「二人ともわざわざありがとう。思ったよりずっと楽しかったわ」
「こちらこそだよ、ワトソンさん。またいつでも遊びに来てよ!」
「えぇ、ぜひ。博士にも後でお礼を――」
「ミア!」
彼女の言葉を遮るように、邸宅の庭に男性の声が響き渡った。
何事かとジョンとアルジーノが呆けていると、先ほどまで明るい笑顔に包まれていたミアの表情に影が差す。
噴水の奥から声の主と思われる男性が大股で歩いてきて、ジョンたちもミアの表情が曇った理由に合点がいく。
オールバックの黒髪にきれいに磨かれた革靴を履いたスーツの男性――昨日二人が初めて会った時と同じ姿で、まだ仕事中であるはずのミアの父親が現れたのだ。
「……何をしていた?
昨日アルジーノたちに詰め寄った時以上に、その声には怒気が含まれている。
ミアは恐ろしさからか、父親の方に振り向くことができないのか、その場でうなだれたまま力なく父に尋ねる。
「父さん……し、仕事は……?」
「あんな事件があった後だ。これからしばらくは無理にでも早めに帰れるようにあらゆる手を尽くしたんだ……その最初の日に、どういうことなんだミア!」
突然の大声に怯えて縮こまるミアの手を強引に掴み、彼女の父が邸宅の中へ強引に連れて行こうとする。
「いたい……! 離して!」
「親の心配を無下にするような娘に育てた覚えはない! これ以上逆らうのなら、これからは自宅へ家庭教師を読んで勉強してもらうぞ!」
「ちょっと……どういうこと?」
「優秀な魔法師になるための勉強など、あんな学園でなくともできる――勝手な行動をするのなら、お前をもう外には出さん!」
ミアの父が激昂している間に、噴水の奥から小柄な女性が走ってきて彼の腕を強く掴んだ――彼女を見たジョンとアルジーノが揃って、――歳をとったミアみたいだ、と思うほどに彼女はミアに似ていた。母親なのだろう。
「あなた、乱暴するのはやめて!」
「うるさい! 貴様もミアが学園から戻っていないのを隠していたな……? ふざけるんじゃない!」
掴んだ手を強引に振りほどかれ、ミアの母は噴水の前に倒れ込んでしまう。
「母さん! なんてことするの! やめて!」
「うるさい!」
父の手を何とか振りほどこうと、ミアも必死に腕を振り回すがびくともしない。
様子を見ていた守衛も、雇い主であるミアの父の横暴にどう対処していいか分からず、おどおどしながら足踏みをしている。
――その時、娘の手を引き邸宅の中へ連れて行こうとする邸宅の主の手を、突然何者かが掴んで止めた。
「痛いって言ってるだろ……離せよ」
「なんだ貴様……クズの弟が気安く触るな!」
アルジーノに腕を掴まれたミアの父は激昂し、アルジーノの手を振りほどきミアの手も離すと、胸ポケットから杖を取り出してアルジーノに構えるのだった。
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