第9話 ジョン・フォーバー②
貧乏な家庭であるジョンは、自らの学費を稼ぐために、部活動に所属せず放課後は働いている日があることを、他人にあまり興味がないアルジーノでさえ知っていた。
これまでジーグに殴られることを良しとしてきたジョンが、それを嫌って、アルジーノからペンダントを盗もうと行動を起こした。
彼の詳しい家庭状況までは分からないが、ジーグたちに働くことができないような怪我をさせられることは、ジョンにとっては一大事なのだろう。
「おい! どうすんだ? ジョン! 今日はいつもみたいに無事で帰れると思うなよ?」
ジーグの脅しを、俯いた背中でジョンは受け止める。
相変わらず強く握られた手は震えており、ついにはその目からは涙がこぼれ落ちた。
「もう……わかんねぇよ……」
絞り出したような声でジョンがアルジーノに語り始める。
「なぁ、アル――。 俺、この学校でたくさん勉強して、将来は魔法師になるのが夢だったんだ。 じいちゃんが昔、すげぇ魔法師だったから、かっこいいなって……。 俺のわがまま聞いて、親父たちは貧乏なのにこの学園に入学させてくれた。 今でも学費のために必死に働いてくれて……」
笑顔しか見たことがなかったジョンが涙を流すので、思わずアルジーノも呆気に取られてしまう。
「だから、こいつらに殴られるのだって、今までずっと我慢してきた――頑張ってくれている親のために、この学園を卒業するまでは、って」
体育館の中からは、おそらくバレーボール部であろう生徒たちの掛け声が聞こえてくる。だんだん火が傾いてきており、辺りは徐々に暗くなってきていた。
「そしたら、親父が病気で倒れちまって……。 治療のために金がたくさんかかるって言われた……。 だから、俺が学園やめて働くって言ったら、お袋が――心配するな、って。 ――私が頑張って働くから、って……」
一度溢れてしまった涙は、堰を切ったように地面へ滴り落ちていく。
「なのに! それなのに俺は……そんなお袋の金を盗んじまった……。 でも、一度だけだ! たった一度だけ、殴られるのが怖くなって……。 それがもう嫌で、俺はお袋に内緒で働き始めた――親父とお袋には、バスケ部だって嘘ついてんだ」
ジョンのために身を粉にして働いている両親は、バスケ部で頑張っている息子を想像して、誇らしく思っていることだろう。
体育館で必死に練習するバレーボール部の声で、ジョンの言葉が一層切なく聞こえてくる。
「アル……お前のペンダントを持ってこないと、これから毎日、仕事行く前に殴るって……。 どうしてもお金が必要だから、俺、お前に申し訳ないと思ったけど、でも……仕方なかったんだ!」
隣に立つアルジーノへ、ジョンが涙ながらに訴える。鼻水も垂れてきたその顔は、ひどく汚れてしまっている。
「でも、できねぇよ……母親の形見だなんて、そんな大事なもの……俺にはできねぇ……」
ジョンは再び俯くと、独り言のように何度もできないと呟いた。
「はい、時間切れ。 覚悟はできてんだろうな!? ジョン」
しびれを切らしたジーグが、取り巻きと共にジョンに近づいてくる。
「アル……悪かった」
そう言ったジョンは、アルジーノを見て優しく笑っていた。
涙でぐちゃぐちゃになってはいたが、ジーグに殴られた時に笑っている普段のジョンと同じ笑顔だった。
自分に向けられたその笑顔に、何故だか分からないが、アルジーノは少し苛立ちを覚えた。
「お前さ、何を勝手に諦めてんだよ」
唐突なアルジーノの言葉に、ジョンは驚く――鼻水がゆっくりと地面に落ちていく様子がひどく滑稽だったと、後から振り返ってアルジーノは思うのだった。
辛い状況の中――ジーグに殴られている時も、いまこの瞬間も、ジョンが浮かべる笑顔の下にあるのは、『諦め』だ。
弱い自分が殴られるのは仕方がないと、貧乏な自分が不幸になるのは仕方がないと、そうやって諦めたジョンは笑う。
殴られても心は傷ついていない、貧乏だけど心の中まで不幸ではないんだと、自分自身をごまかすために――。
「笑ってごまかしているだけじゃ、何も変わらない。 これから先、辛いことがあるたびに、お前はそうやってごまかし続けるのか?」
アルジーノの言葉で、ジョンは自分の心を満たしているのが、悲しみではなく悔しさであったことを悟る。
「俺は……お前みたいに強くない……。 どれだけ殴られても、平気な顔をしているお前みたいに、俺は強くなれない……」
「俺だって、強いわけじゃない」
一昨日、ロケットを壊されたアルジーノは、博士の家のソファの上で自分の人生を諦めかけていた。
博士が手を差し伸べてくれなかったら、きっとあのまま――
「助けてくれる人がいたんだ。 辛い時も、気を遣わず、いつもと同じように話せる人が近くにいたんだ」
――そうだ、俺は博士に助けてもらった。 だから俺も――
「ジョン、俺がお前を助ける。 まだ諦めるな」
アルジーノは、これまで笑顔で隠してきただけで、既にボロボロになっているジョンの心に、手を差し伸べた。
ジョンは自分の心にあったしこりのようなものが、段々と消えていくのを感じた。
でも――
「でも俺は……お前みたいに強くない! お前の言う通りだ……とっくに諦めていたんだ……。 ここまでこんな生き方をしちゃったんだ……いまさら……」
「じゃあ、『いま』変われよ!」
ジョンは再び俯いてしまった顔を上げる。そこには、どれだけジーグに殴られても決して折れない、いつものアルジーノの顔があった。
「今ここで、お前の人生を変えろよ――!」
アルジーノの言葉に鼓舞されて、ジョンは学園に入学した頃に感じた高揚を思い出していた。
魔法師になるという夢――。そのための勉強や新しい出会い、そして、彼らと過ごす素晴らしい日々を思い浮かべながら学園の門の前に立った、あの日の高揚を――
いつの間にか、ジョンの目からは涙が引いていた。先ほどまで沸騰していたかのようだった心の中は、夜の海のように静かだ。
「そういう友情ごっこみたいなの、見ていて気持ち悪いから、二度とできなくしていい?」
二人の会話をじっと退屈そうに聞いていたジーグがそういうと、取り巻きたちが呆れたようにくすくす笑っている。
そんなジーグたちを見たジョンは、制服のポケットから杖を取り出して構えるのだった。
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