第5話 魔法使いの誕生
「この装置の名前はずばり、『魔法使いになれる椅子』じゃ。 座ると魔法が使えるようになる」
「そのまんまなんだね……」
頭を丸ごと覆う石の兜に頭を入れたアルジーノは、部屋の明かりに照らされた自分の腹部を見ながら言った。兜の中は、部屋の明かりが入りづらい形状であるという理由では説明がつかないほどに真っ暗だとアルジーノは感じていた。上下左右、どこを見ても漆黒の闇が広がっている。
博士の雰囲気からも感じられることだが、この発明は、いつもと何か違う――
「まぁこの発明も、いつものように課題があっての。 強い痛みがあるのと、さっきも言ったように、最悪の場合、使用者が死んでしまうことじゃ」
「毎度ながら、課題が致命的すぎるだろ……」
いつものように冗談めいた口調で言いはしたものの、アルジーノは恐怖で冷や汗をかいている。普段の博士が同じようなことを言うのであれば冗談だと分かるのだが、今の博士が発する言葉には、全く嘘がないと確信できる――根拠はない、ただの直感だった。
「さて、それじゃあ早速、始めようかの。 と言っても、一瞬で終わってしまうがね」
博士が椅子の背もたれ側に回り込んで何かを操作しているようだ。呼吸が荒くなるのを、アルジーノは何とか整えようとする。
「合図をしたら、ちょびーっと痛みがあるが、我慢するのじゃ。 次に目を覚ますのが、死後の世界じゃないことを祈っておくのじゃぞー」
博士があまりにも単調に恐ろしいことを言うので、アルジーノは肘掛けに置いた手を強く握りしめる。もしかしたら、覚悟を決めるにはあまりにも早計だったのではないだろうか。
「じゃ、いくぞー……ほい!」
アルジーノがここまで来て迷っていることなど気にも留めず、博士は装置を起動させた。
――ガコンッ、と椅子の後ろで大きな音がした。
次の瞬間、アルジーノの視界に広がっていた暗闇が迫り来て、冷えた柔らかいものが一瞬触れたかと思うとそれが頭全体をすっぽりと覆ってしまい、首から上の穴という穴がすべて塞がれてしまう。
突然の出来事にアルジーノが暴れていると、頭頂部に硬いものが押し当てられる感触があった。そして、何とそれは、頭を突き抜けて脳内に入ってきたのだ――
――ンン、ンンンーッ……!
経験したことのない激痛に襲われるアルジーノだったが、ぶよぶよした何かに鼻も口も覆われてしまい、叫び声をあげることすらできない。いつの間にか、手足も何かで拘束され動かすことができなくなっていた。
さらに、頭の中に入った硬い何かの先端から、冷たい液体が流れ込んでくるのが分かり、それがゆっくりと脳内に広がっていく。息もできず、次第に意識が朦朧としてくるアルジーノの全身が、脳が液体で冷やされていくにつれて激しく痙攣し始める。
やがて、流れ込んだ液体が頭の中を満たそうとする頃には、アルジーノは完全に意識を失ってしまったのだった。
目が覚めると、地平線まで続く美しい花畑の真ん中にある、一本の大きな木の下で横になっていた。雲一つない青空には、まるでそれが自分のものであるかのように、見たこともない美しい鳥が飛んでいる。
意識がはっきりしてくると、誰かに膝枕をしてもらっていることに気づき、咄嗟に体を起こす。そこにいたのは、ずっと会いたかった、愛しいその人であった。
「母上……」
目の前に座っているのは、母アレクシアだった。最後に見た亡くなる直前の衰弱しきった顔とは違い、実に元気そうな顔でこちらに微笑みかけている。
嬉しさのあまり、涙がこみ上げてくる――どれほど、この時を待ち望んだことか。
どれほど、苦しいあの場所から――家から、学校から、世界から、解放されたいと願ったことか。
どれほど、あなたを強く抱きしめたいと、夢に見たことか――
彼女に触れようと、その頬にゆっくりと手を伸ばす。すると――
――えっ
伸ばした自分の右手に、金色のきれいなロケットがぶら下がっていることに気づく――最愛の人から受け取った、何よりも大事な宝物だ。
――そう、辛いことがあっても、これがあれば乗り越えられた
――これが俺を支えてくれた
大切なロケットを両手で包むと、それを胸の前に持ってきて目を瞑り、これまで自分を支えてくれた感謝の意を伝える。しかし――
パキッ
手の中で、小さな音が鳴った。何事かと思い、目を開いて手の中にあったロケットを見ると、それはひどく歪んで壊れてしまっていた。ロケットが歪んだことで、写真の中の母の顔は醜く歪み、母と自分の間には大きく亀裂が入っていた。
「アル……」
名前を呼ばれて、涙が溢れそうな瞳を目の前に座る母に向ける。
瞳に映った恐ろしい光景に、思わず――ひい、と声を上げてしまう。
先ほどまで優しく微笑んでいた母の顔は、ロケットの中の写真と同じ形に醜く歪んでいた。それに気づくと同時に、母と自分を引き裂くかのように巨大な亀裂が地面を走り、一面に広がった花畑が音を立てて崩れ始める。
崩れ落ちる世界の中で、顔が歪んでしまった最愛の人へ咄嗟に手を伸ばす。
しかし、崩れ去る世界の中でその手を取ることはできず、自身も奈落の底へと沈んでいくのだった。
「うわああああ!」
アルジーノが自分の叫び声で目覚めると、視線の先には見慣れた木目の天井があった。
びっしょりと汗をかいている体を起こすと、そこは博士の家のソファの上だった。
何が起きているのか分からず、今まで何をしていたのかを思い起こす――そう、博士の発明品を試すために、二人で地下室に行っていたのだ。
そう思い地下室の入口に目をやると、先ほど地下室に行くためにどかしたガラクタはそのままになっており、重い木の扉は閉ざされていた。
地下室のことを思い出したアルジーノは、同時に、自分の頭に何かが突き刺さったことも思い出し、身震いをする。恐る恐る頭頂部に指を当てると、いつもと変わらない触り心地で、特に穴が空いた痕跡なども感じられない。
「おー、うまくいったか」
まだ息が荒いアルジーノに対して、トイレから戻ってきた博士が独り言のように呟いた。その声色はいつも通りの博士に戻っており、何だか安心したアルジーノは途端に体の力が抜けていく。
「博士、実験は……?」
「たったいま言うたろうに。 うまくいったようじゃ。 随分長いこと、寝ていたがのう」
そう言われてアルジーノが時計を見ると、時刻は三時を指していた。窓の外を見ると、明らかに夜ではなさそうだ。
「えっ……もしかしていま、昼の三時……?」
「そうじゃよ? 実験からかれこれ、十七時間以上は眠っていたようじゃな」
「嘘だろ……!?」
つまり、アルジーノは昨日家に帰りもせずここで一晩を明かした上に、今朝学園に登校もせず、丸一日授業をサボってしまったということになる。
「マジかよ……」
後で父上に大目玉を食らうと落胆したアルジーノが首を落とすと、かけられた毛布の上に歪んでしまったロケットがあることに気づく。
昨日ジーグに踏まれた時のことを思い出すと、アルジーノの心の中を強い憎しみが支配していく。
「今のお前さんなら、たぶんそれも元通りにできるんじゃないかのう」
ロケットを眺めていたアルジーノは、博士の言葉に目を丸くする。
「いまなんて?」
「じゃから、それを直してみい」
――直せと言われても……
言葉の意味は分かる――魔法で直せということだろうだろうが、これまで魔法を一切使ったことのない自分には、その存在自体は知っていても、修復魔法を詠唱することはできないのだ。
博士の言葉に呆れたようにロケットを見ていたアルジーノは、ふいに何をすればいいかが分かったような気がした。
どうしてなのかは本人にも分からない。ただ、感覚でそうすればいいと理解できたのである。
急いで自分の鞄から、これまで全く役に立ってこなかった杖を取り出すと、机の上に置いたロケットに向けてそれを構え、感覚の赴くまま口を動かした。
「――
その直後、杖の先端がわずかに光って、やがて消えた。
何が起きたのかよく分からなかったが、杖の光が収まった頃にもう一度見ると、先ほどまで歪んでいたロケットは、元のきれいな形に戻っていたのである。
「ほらの? うまくいったのじゃよ」
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