第4話 地下室
気が付くと、アルジーノは博士の研究所のソファで仰向けになって眠っていた。
壁にかかっている木製の時計を見ると、時刻は既に夜の九時を回っていた。普段なら、博士の家に立ち寄った日でも、もう家に帰っている時間である。
体を起こそうとするが、全身が痛みでうずき、うまく動かせない。起きたばかりの薄い意識の中で、アルジーノは学校での出来事を思い出していた。
母の形見を壊され、激昂してジーグに殴りかかったアルジーノの拳は、ジーグの頬をかすめてかわされてしまう。
代わりに、アルジーノの腹部にジーグのパンチが入ると、それが合図だったかのように、取り巻きたちも一緒にアルジーノのことを殴り続けたのだった。
気づいたころには、アルジーノは薄れゆく意識の中で、壊されてしまった形見に手を伸ばし、それを掴んだ――ソファの上にいるアルジーノが右手を開くと、壊れたロケットがちゃんとそこに握られていた。
どれだけ自分が傷ついても、
結局、ジーグたちにやられるだけやられて、何もできなかった自分を本当に情けなく感じた。
彼らに殴られたことに対してではなく、母との思い出を守れなかったことが悔しく、涙が溢れてくる。垂れてきた鼻水をすすると、先ほどまで出ていたのであろう血の味がした。
「おー起きたか?」
博士がさほど心配する風でもなく、いつものトーンでアルジーノに問いかける。彼はいつものように、机の上にある謎の液体同士を混ぜ合わせている。
夕方ごろ、博士はボロボロになって家にやってきたアルジーノを迎え入れると、ソファの上に寝かせ毛布をかけてくれた。それからは何も聞かず、ひたすら研究に没頭していた。
過去同じようにボロボロになったアルジーノがやってくるたびに、博士は何も言わず彼を家に招き入れた。そして、いつも何も聞かず、ただアルジーノに自分の発明を見せびらかすのだ。
アルジーノは、それが何故だかありがたかった。心配する訳でもなく、ただいつもと変わらず接してくれる博士と一緒にいると、少しずつ気分が晴れてくるのだ。
それが癖になったせいで、意識が朦朧としていた今日も、自然とその足は博士の家に向かっていた。
目覚めたアルジーノを見るや否や、いつものように新発明だと言って、謎の液体をアルジーノ専用の机に置いてそれを説明してくる。
「実はこれ、先週には完成していた『便秘解消ドリンク』じゃ! 作り方は簡単――家の前に生えていた雑草と汲んできた川の水を容器に入れて混ぜるだけ。 なんと、これを飲めばあっという間に便秘が解消されるぞい! じゃが、課題もあってのぉ……効果が良すぎるのか、飲んでからしばらくは下痢が治らんくてな! 今わしも……」
「博士……ちょっと、静かにしてくれないかな」
珍しく発明品の説明を制された博士は、不思議そうに寝転んだアルジーノを見た。
これまで、どれだけ機嫌が悪くても、自分の発明品を見せればアルジーノは途中から呆れたように笑いだし、発明品の課題を指摘してきた。
今日もそうなると思っていたが、いつもと様子が違う。左腕で隠した彼の目からは、涙がこぼれている。
博士は、毛布から出たアルジーノのもう一方の手に、小さなロケットが握り締められているのを見た――どうやら、いつもと違う理由はこれらしい。
博士はそれが、アルジーノにとってかけがえのないものであることを知っていた。肌身離さず持ち歩くそのロケットは、母の形見だと言っていたのを、うっすらとだが覚えていた。
それを壊してしまった――いや、傷ついた姿から察するに、壊されてしまったのだろう。
博士は説明を切り上げ自分の椅子に座りなおす。研究所を満たす静けさの間を、アルジーノが鼻をすする音が通り抜ける。
少しして、博士が口を開いた。
「アル、今日はもう一つ、発明があるんじゃ。 きっとアルにも、役に立つものじゃ」
博士の声色がいつもと違うので、驚いたアルジーノは目を覆っていた腕を払って博士を見る。
いつものように椅子に座っている博士だったが、何だかその背中が、今日は本物の研究者のように見える気がした。
「この発明は、アルにこれまでとは違う力を与えてくれるかもしれぬ」
アルジーノは黙ったまま博士の話に耳を傾ける。博士が自分の発明品を説明する際に、これだけもったいぶるのは初めてのことだ。
「ただ、うまくいくかは分からん。 命の保証すらできぬ。 じゃが、それを乗り越えた先で、アルは必ず素晴らしい力を――魔法を手に入れることができるじゃろう……」
博士の言葉に、アルジーノは目を見開いた。
――魔法を手に入れる……?
これまで、どれだけ努力しても使うことができなかった魔法を、でたらめな博士の発明品などで使えるようになるものか。
そんな簡単にできるというなら、魔力のない息子を心底嫌悪していた父上が、既にその方法をとっているはずだ。
しかし――
アルジーノは、右手の中からこちらを見つめ続けるアレクシアと幼い自分と目があった。大切な母の形見――これを壊した恨みだけは、晴らさねばならない。もし、その可能性が少しでもあるのなら――
何としても……!
「どうする? アル」
博士が椅子から立ち上がり、振り返って尋ねる。アルジーノはそれを強い眼差しで見返すと、立ち上がって毛布を払ってソファから立ち上がった。
「やるよ。 命を差し出して、この人生が変わるのなら――」
アルジーノは、その存在すら知らなかった博士の家――もとい研究室の地下室に案内された。
木製の家屋の床はガラクタで足の踏み場もなかったが、玄関と反対側の床の上にあったそれらを脇によけると、地下室へと続く扉がそこにはあったのだ。
アルジーノが驚いている間に、博士は扉を開けて階下へ続く石の階段を降りていく。階段に足をつけた途端、地下室に満たされた冷気がアルジーノの体へ伝わってくる。
一番下まで降りると、辺りは真っ暗な空間となっており、博士が魔法で突然部屋の明かりをつけるので、一瞬目が
ようやく目が慣れてくると、松明の炎で照らされたそこは四方を石の壁で囲まれた小部屋になっており、奇妙な形をした椅子がその中央に置かれていた。
ガラクタでいっぱいになっている一階の部屋が嘘のように、この地下室には物が少ない。
中央の椅子に座るように促されたアルジーノは、恐る恐るその椅子の前に立つ。
椅子とは言っても、背もたれらしき部分と、肘掛けがあることから石でできたそれを椅子だと判別することができるが、その形状はとてもじゃないが座りやすいものとは言えない。
さらに、背もたれの上部には見たことも形状の、こちらも石でできた
「やめておくかい?」
座ることを少し躊躇しているのを見ていた博士がアルジーノに尋ねる。これが博士の言う新しい発明なのだろうかと、アルジーノの中に少しばかり疑念も湧いてきていた。
とてもここ数日で造ったようなものには見えない――というより、遥か昔に作られ、ずっとここに置かれていたと言われても疑う余地がないほどに、目の前にある椅子は古めかしかった。
大きく息を吸い込んだアルジーノは、覚悟を決めたように椅子に腰かける。もたれかかろうとすると、先ほどの兜に後頭部をぶつけてしまったので、下から滑り込ませるように頭を兜の中に納めた。おそらく、これが正しい座り方なのだろう。
「さて、始める前に、これがどういった発明かを説明せねばのう」
先ほどから博士の声色がいつもと違うままなので、普段は呆れたように聞くその説明を、アルジーノは恐怖に震えながら聞くことになるのであった。
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