第3話 母の形見

 不愉快な夕食を終えて一夜が明けると、アルジーノはいつものように家族の誰とも顔をあわさず、いつもより早めに家を出る。


 父が離婚する前までは、母であるアレクシアが用意してくれた朝食を摂っていたのだが、亡くなってからは家族で朝に食卓を囲むという習慣はなくなってしまった。


 そもそも、まだ幼かった兄弟たちは新しい母親の料理が口に合わないと、泣きわめいてばかりいたため、アルジーノの実母であるアレクシアは体が弱いにも関わらず、どうにか父の前妻の料理に味を近づけようと苦心していた。


 全員が母の料理を食べなかったわけではないが、アルジーノは幼いながらも、優しい母の思いを踏みにじるような兄たちが許せなかった。


 キングーノに殴られた頬がまだ痛むのをこらえながら、アルジーノはある場所へ向かっていた――亡くなった母のお墓である。


 家を早く出たのも、学園へ向かうルートから大きく逸れた寄り道となるためだった。


どうしても昨日の辛い出来事を母に話して、それに立ち向かう勇気をもらっておきたかったのだ。


アルジーノが学校でも家庭でも散々な目にあっているにも関わらず、挫けずに生きていられるのは、母のお墓と形見であるロケットの存在が大きかった。


 自分を愛してくれていた人がいたこと――それを想うだけで、少し心が救われるのだ。


 母の墓前に花を供えて、目を瞑り首から下げたロケットを握り締めながら語りかける。


――母上、俺は今日も絶対に折れないよ。いつか母上に、胸を張って会える日まで。


 目を開けて墓石に笑いかけると、母が優しく笑い返してくれたような気がした。


 これで今日も、きっと辛いことを乗り越えられる――そう思いながら腕時計を見ると、遅刻しそうな時間であることに気づいたため、アルジーノは慌てて学園へ走り出したのだった。


 もうすぐ学園に着くという距離になると、同じように遅刻しそうな生徒が何人も校門に走り込んでいる。


 タイムリミットは、一限のチャイムが鳴って教師が教室に入るまでだ。あまり時間は残されていない。


 走っているアルジーノの隣に、見知った男子生徒が一人並走してきた。


「おはようアル! 今日もぎりぎりなんて、ちょっと怠けすぎじゃないか?」


 クラスメイトのジョン・フォーバーだ。彼も魔法の才能が乏しいため、同族意識からかアルジーノのことを愛称で呼びよく絡んでくる。


 そして、彼もまた、昨日アルジーノに暴力を振るったジーグから暴行を受けている生徒の一人だった。


 魔法を使えないことでいじめられるのは自分だけでいいと考えていたアルジーノは、自分と関係を持ったことで誰かがジーグの標的に追加されてしまうことを恐れ、学園では他人を関わることを極力避けて生活していた。


ジョンは魔法の才能に乏しくはあるが、全く使えないレベルのアルジーノと比較すればまだマシな方だった。


それでも、ジョンもジーグの標的になり、放課後に教室や校舎の屋上で暴力を振るわれることが頻繁にあった。


同じ境遇に置かれているアルジーノに仲間意識を持っているのか、いくらアルジーノが突き放そうと、ジョンは話しかけてくるのだった。


「お前だって昨日も遅刻していただろ。 人のこと言えた口じゃない」


「そらそうだ! ほら、早くしないと間に合わないぜ!」


 普段からジーグにいじめられているにも関わらず、ジョンはとてもおおらかな性格をしていた。


 ジーグの標的になってからは、面倒に巻き込まれたくない友達がいくらか離れて行ってしまったようだが、それでも彼は傷心している風でもなく、いつも通りの学校生活を過ごしている。


――学校では散々な目にあっているが、家庭では違うのだろうか


 そんなことを考えながら、アルジーノはぎりぎりのところで教室に滑り込むのだった。






 授業が終わり、部活動に向かう生徒たちが教室を後にする中、アルジーノとジョンは、ジーグに呼ばれて教室に残されていた。


 アルジーノは呼び出しを無視して帰ろうとしたのだが、彼の取り巻きに力づくで教室の奥へ座らされた。


「おい、とりあえず持ってる金、全部だせ」


 床に正座させられた二人を、ジーグは机の上に腰を掛けて見下している。


 ジーグに言われると、ジョンはすぐにポケットから財布を取り出し、それをあっという間に取り巻きの生徒に奪われた。


「おい、こいつ全然持ってねぇよ! どうする? ジーグ」


「ジョン、昨日ちゃんと持って来いって言ったよな?」


 ジーグが受け取った財布の中身を確認した後、わずかばかり入っていたお金を取り出すと、財布をジョンへ向かって思い切り投げ返す。


 胸に当たった財布を拾い上げたジョンは、いつもと変わらぬ明るい口調でジーグに弁明する。


「勘弁してくれよジーグ! この間親からもらったお金で精一杯だって。 いやぁ、貧乏な家庭はつらいなぁ」


 頭を掻きながら笑うジョンの腹部に、ジーグが蹴りを入れる。


 微かな呻き声をあげたジョンは、腹を抱えてうずくまり震えている。次の標的はアルジーノだ。


「おい、アル。 お前も早く出せ。 かの有名な騎士、ローゼンベルグ卿の息子なら、金くらい持ってんだろ?」


 ジーグがうずくまるジョンの頭を踏みつけながら言った。


アルジーノは大きなため息をつくと、そっぽを向きながら呆れたように口を開く。


「……金も教養も持ち合わせてないクズに、恵んでやるものなんて何もねぇよ」


 途端にジーグの膝蹴りがアルジーノの左頬に飛んできた。


 視線の外からの攻撃で反応が遅れてしまったため、もろに食らってしまう。


 昨晩兄のキングーノに殴られた時のように、視界がふらついて地面に手をついてしまう。


「魔法もろくに使えねぇ雑魚が調子に乗んなよ……? 今日は容赦しねぇ」


 ジーグが自らの鞄から杖を取り出すと、取り巻きがいつものようにジーグを抑える。


 怒り狂ったジーグは杖を大きく振りかぶって呪文を詠唱した。


「――『炎塊フレイム』!」


 ジーグの詠唱に焦った仲間は、咄嗟にアルジーノの拘束を解いて距離を取る。


「ちょっと……『炎塊フレイム』かよ!」


「制服が燃えて目立つからもうやめとこうって……!」


 取り巻きが何を言おうともう遅い。詠唱が終わると、ジーグの杖の先端で形成された炎の弾が、まっすぐアルジーノの胸に飛んでいく。


 取り巻きの拘束が解かれてはいたアルジーノだったが、迫りくるその弾を避けることができず、胸部へもろに受けてしまうのだった。


 弾が衝突すると、そこで小さな爆発が起こり、アルジーノの体は教室後方の壁に叩きつけられる。


 制服は取り巻きの心配通り、胸の部分が大きく焼け焦げ、素肌が露出している状態だった。


「これで終わると思うなよ……!」


 怒りが収まらないジーグは、力なく床に倒れ込むアルジーノを掴み上げると、その顔を何発も殴りつける。


 ただでさえ魔法を食らいボロボロになっている人間を、さらに殴りつけるジーグの姿に、流石の取り巻きも引いてしまっていた。


 ようやく満足したジーグはアルジーノを突き飛ばすと、床に倒れ込んだ彼の首に金色のペンダントがかかっているのを見つける。


「なんだよ、金の代わりにこれがあるじゃねぇか」


 ジーグは金色のペンダントをアルジーノの首からもぎ取った。


 アルジーノは、母の形見であるロケットが取られたことでひどく動揺する。


「――やめろ!」


 これまでのアルジーノからは聞いたことのないほどの大声を出すので、ジーグはそれが彼にとってとても大切なものなのだと理解する。


「へぇ……? なんだよこれ? ガキとブサイクな女が写ってやがるよ。 まさか、お前の母親か?」


 奪い取ったロケットを開けたジーグは中にある写真を見て嘲笑う。


「やめろと言ってるだろ!」


 激昂したアルジーノがロケットを取り返そうとジーグに飛びかかるが、取り巻きがそれを抑える。


「自分の立場を分かってねぇ奴には、お仕置きが必要だよなぁ?」


 そう言うとジーグは、ロケットを乱雑に床に置くと、あろうことか、それを力いっぱい踏みつけた――ペキッ、と小さな音がなり、ジーグが足をどけると、醜く歪んだロケットの間から、幼き自分と母のアレクシアの顔が覗いていた。


 一瞬、時が止まったような気がした。


アルジーノ自身が、それを現実だと受け入れることを拒絶したためであった。


気が付くと、目から涙が流れており、母の形見を壊した目の前の少年に、言いようのない怒りがこみ上げてくる。


「うわああああ!」


 甘くなった取り巻きの拘束を解いたアルジーノは、全身全霊の力を込めて、ジーグに殴りかかるのだった。

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