○シュクルカさん、臭いを嗅いでくれる?

 10月の17日目、午後。ついに私たちは、見覚えのある小さな洞窟の前までやって来ていた。


「ここが、“異食いの穴”……?」

「ええ、そうよ」


 首を傾げたサクラさんの言葉に頷いて、私は、洞窟の入り口にある墨汁を垂らしたような黒く暗いもやを見つめる。


「分かっている範囲だと、中は遺跡と花畑の2層構造。リズポンが居るのは、その花畑ということになります」

「お花畑……。それに、確か、川もあるんですよね?」


 メイドさんの言葉に、サクラさんが質問を重ねる。


「そうよ。私たちの姿が映らない、不思議な川」

「ひぃちゃん達の姿が映らない、か……」


 顎に手を当てて、考え込む素振りを見せるサクラさん。


「どうかしたの?」

「ううん、何でもない。それじゃあ、行こっか?」

「ちょ、ちょっと待ってサクラさん!」


 これから死地に赴くというのに、気負った様子もなく異食いの穴へと向かっていくサクラさん。そんな彼女を引き留めて、私たちは自分たちの装備と動きを確認する。


「私は腰と太もも。2本のナイフと、ドレス。完ぺきよ」


 白金の板が入った戦闘用の黒いドレスとナイフを確認する私。


わたくしは常に万全です」


 今日は勝負服でもある黄緑色のメイド服を着て、鼻を鳴らすメイドさん。手には翡翠のナイフ『エメラルド』が握られている。


「わたしも、ヒズワレアと弓。ナイフ、大丈夫!」


 左腰にあるヒズワレアと、背中にある弓、ナイフを示して大丈夫だと頷くサクラさん。


『クルルゥル!』

「そうね。ポトトも蹄鉄ていてつから鉤爪かぎづめへの装備変更もしたし」

は……多分、大丈夫です!」


 胸とお腹。それぞれを守る鎧を身に着けたユリュさんも胸を張る。さっき号泣したせいで目元が腫れているけれど、そのことには触れてあげないのが優しさよね。ついでに、ユリュさんにはもう、武器を渡していない。スキルと呪文だけで対処してもらうわ。


「シュクルカさんは?」

「出来ていません。死滅神様成分と、メイド様成分の補充がまだです」

「そう。なら、大丈夫そうね」


 シュクルカさんは、私たちの最後のとりででもある。中で戦闘があっても、基本的には参加しない。傷ついた人を治療してもらうこと、そしてリアさんを守ることに全力を注いでもらう。だから武器も無くて、代わりに鎧と盾を持ってもらっていた。


「自然なルカの発言の流し……。最高ですぅっ」

「さて、最後はリアさんね。朝焼けのナイフ。それから、基本的な立ち回りは覚えている?」


 私に目を向けられたリアさんが、緋色に輝くナイフを見せながら頷く。


「はい。何があっても、リアは逃げます」

「私たちに何があっても、よ」


 念を押した私の言葉に、それはもう長い間をおいて、リアさんは首を縦に振った。


「絶対に、よ? 間違っても、身をていして庇うなんてこと、しないでね。それが私たちの願いだから」

「……分かり、ました」


 リアさんを異食いの穴に入れない、というのも手としてあった。ただ、その場合、リアさんを1人外に放っておくことになる。そして、リアさん自身もホムンクルス。魔石に引き寄せられたアフイーラルに襲われる可能性の方が高い。それなら一緒に居た方が安全かも、という判断だった。


「迷宮内ではわたくしとポトト、ユリュが前衛を、後衛にシュクルカ、サクラ様。お嬢様とリアにはその中間に居てもらいます」


 陣形も確認して、いざ内部へ。


「行きましょうか!」


 私の号令で全員が異食いの穴と呼ばれる迷宮に足を踏み入れる。リズポン攻略が始まった。




 中に入ると、そこは遺跡のような場所だった。

 私たちが今居るのは、1辺が10mほどの六角形の部屋。天井は高くて、10mはありそう。天井、壁、床。全てが黄土色。至る所にヒビが走っていて、全体的に古びた印象ね。壁や天井には、ひものようなくきと、大きな葉っぱが特徴の『クオア』とよく似た植物がっていた。


「ほへ~。ここが、異食いの穴なんだ?」


 ついさっきされたような気もするサクラさんの質問。でも今回は、私も彼女の問いを肯定してあげることができない。だって、前回ここに来た時の記憶がすっぽりと抜け落ちているから。


「こんな感じだったような気もするし、違うかったような気もするわね」

「あ、そっか。記憶が飛ぶんだっけ。……ピラミッドとかこんな感じなのかな? 行ったこと無いけど」


 でもあそこって植物なかったっけ。そんなことを言いながら、サクラさんは物珍し気に部屋を見渡していた。


「お嬢様。光源がありません。だというのに……」

「ええ、そうね」


 閉鎖された部屋。明かりらしいものは何もないのに、びっくりするくらい視界が鮮明だわ。早速、迷宮ならではの不思議現象が起きているわね。でも、そのおかげで周囲に敵がいないことは確認できる。耳を澄ましてみれば、


「……水の音?」


 イーラでもよく聞く、水路を流れる水の音が聞こえる。と、思ったら。


「死滅神様、お水です!」


 この部屋唯一の出入り口。その向こうに見えていた小さな橋の上で、ユリュさんが手を振っている。どうやらあの橋の下に水が流れているみたい。呪文を目一杯に使うことができる。何かがあっても、私の役に立てる。それが嬉しくてたまらないのでしょう。早速、呪文で水を操って、ポトトの形を作っていた。


「って、ユリュさん! 陣形を崩さないで! あと、スキルポイントの無駄遣いもしちゃダメ!」

「了解でーす!」


 独断専行するユリュさんには戻って来てもらって、改めて事前に取り決めた陣形で異食いの穴を探索していく。

 天井も通路も、元の大きさのポトトが普通に歩けるくらいだから3mくらいかしら。相変わらず視界は良好で、私たちが歩く音以外の音が一切聴こえて来ない。


「まさにゲームとかアニメで見たダンジョンだ! すご~!」


 背後にいるサクラさんが目を輝かせているけれど、


「生物の気配が感じられませんね……」


 私はメイドさんの言葉に同意せざるを得ないわね。本当に、静かだわ。不気味なくらいに。


「……サクラさん。迷宮では急に魔物が現れたりするわ。気を引き締めてね」

「大丈夫だよ、分かってる!」


 決戦前に緊張していないのは、果たして良いこと? それとも、悪いこと? 一抹いちまつの不安を覚えながら、私たちは異食いの穴の探索を続ける。けれど、果たしてどれくらい時間が経ったかしら。


「何も、無いわね……」


 いやもう本当に、何もないの。何か大きな罠があるわけでもなければ、動物1匹いやしない。なのに、遺跡自体は恐ろしいくらい広大で、私たちがどこを目指せば良いかすら分からない状態だった。


「一応、道順自体は記録しているけれど……」


 道に迷うことが無いよう、私とリアさんとで簡易的な地図も作っている。それによれば、私たちはもう既に50以上の部屋と通路を探索していた。部屋の見落としがあってはいけないし、分かれ道を引き返したりもしている。そんな事情もあって、この地図の見た目以上に歩き回っていた。

 加えて、新しい部屋に入るたびに罠が無いか、敵がいないかも確かめないといけない。長時間、じわじわと、体力、気力ともに削られていく。


 ――前回は、果たしてどれくらいかかったのかしら。


 前回のおぼろげな記憶と現在とを比べて思いつく違いと言えば、中に賊が居たかどうか。


「……なるほど。賊はすぐに逃げられるよう、迷宮の出入り口付近に居たはず。その賊に囚われていた女性を助けに行ったから、結果的に、私たちはすぐにお花畑に続く道? ドア枠? を見つけられたのね」


 だけど今回は手がかりも何もない状態で探し回っている状態。かなり根気のいる作業になる――。


「はっ!」

「……? どうかされましたか、お嬢様?」


 前方、振り返って私を見たメイドさん。彼女の問いに答える前に、私は思考を巡らせる。そうよ。前回は恐らく、女性があげた悲鳴を聞いて……“聴覚”で賊の居場所を見つけたと言っても良いでしょう。でも、今回はそうも行かない。物言わないドア枠を探しているんだものね。


 ――だけど、手がかりが全て消え去ったわけじゃない。


 賊が隠れ家兼ねぐらとしていたくらいだから、彼らは長時間、そこに居座っていたはずよね。なら、ひょっとして。


「シュクルカさん、臭いを嗅いでくれる?」

「分かりました。くんくん。死滅神様、首と脇にかなり汗をかいていますね? 甘くまろやかな死滅神様の匂いの中に、ほんのりとした酸味の匂いがします」

「そうね、私汗っかきだから……って、私の匂いじゃない! 遺跡の臭いよ!」

「おぉう、鮮やかなノリツッコミ。ひぃちゃん、成長したね……」


 なぜか感動しているサクラさんのことは無視。私の言葉で、改めて鼻を鳴らしたシュクルカさん。


「どう? 例えば男性の臭いとか、不潔な臭いとかしないかしら?」

「ふむ……。ルカの知る限り、死滅神様は純潔かつ清潔なはず――」

「(ギロリ)」

「――コホン。そうですね……。いくつかそのような臭いはしますし、これまでもいくつかそのような匂いはありました」


 すぐにふざけようとするシュクルカさんを目で制して答えてもらえば、やっぱり。いくつか臭いがあるのは、私たちの他にも過去に何組か、この異食いの穴に来た人たちが居るからでしょう。彼らも私たちと同様、迷って、時には野営だってしたはず。その臭いが残っていると見て良いかしら。


「お嬢様、どうされたのですか?」


 改めて聞いて来たメイドさんに、私は、臭いがする部屋――賊が長時間居た場所――の近くに、ドア枠がある部屋があるんじゃないか、という推測を言ってみる。


「なるほど、確かに」

「さすが死滅神様です!」


 ここぞとばかりに持ち上げてくれるユリュさんの言葉に背中を押されて、私は方針変更を図る。


「でしょう? リリフォンがあるササココ大陸と、今いるタントヘ大陸には時差もある。サクラさんが来てから1年という時間制限がある以上、急いで探さないといけない。なら、目星として、これ以上の物はないんじゃない?」


 全員を見渡して言ってみれば、ポトト以外の全員が頷いてくれる。ポトトは、あれね。難しい話が分からないやつね。


「分かりました。ではシュクルカ。特に臭いが強い部屋を教えてください」


 五感が鋭いシュクルカさんを連れて来て、正解だったわね。彼女の案内のもと、探索することさらに1時間ほど。


「あった……」


 私たちはついに、支えも無しにドア枠がぽつんと立っている大きな部屋へとたどり着くことができたのだった。

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