第二話:蠱惑の魔女マリナ
あれから約数時間。
俺は何とファインデの森を抜けると、山道すらない、だがややなだらかな山の裾野を上がっていく。
季節は冬。
それなのに、ここはいつも春のような陽気に包まれている。
それを示すかのように、ここには春の野花、レミエが咲き乱れていた。
「……悪いな」
優しい暖かな風を受け揺れるそいつに謝ると、俺は
純白の沢山の花弁を付けた、気品を感じるこいつは、メリナのお気に入りだった花。
──「だって、私に似て綺麗でしょ?」
……付き合う前のお前は、この花を見る度そんな事をよく言ってたな。
あの頃は「まあな」なんて、肯定しながらもつれない返事をしていたが。
情けない話、恥ずかしさが先行していてな。今考えりゃ、悪い事をしたもんだ。
花と共に再び緩やかな花畑を通り抜けると、その先にある丘と、そこで世界を見下ろしている墓碑が見えてくる。
標高はそこまで高くないものの、森や平原を一望できるその場所は、中々に景色もいい。
……十年経っても変わらない、良い景色だ。
俺は坂を登りきると、ゆっくりと墓碑に歩み寄る。
白いしっかりとした石で作られたそこには、俺の最愛の人の名が刻まれている。
「……十年ぶりだな。メリナ」
俺がそう声をかけた所で、勿論返事なんてない。
墓碑の前には、十年前と同じ輝きを見せる、澄んだ青白い宝石が付いたネックレスが二つ置かれ、その脇に俺が持っているのと同じ、レミエの花が手向けられている。
……あの人だろうな。
そんな事を考えながら、俺も片膝を突き同じく手にした花を並べて手向けると、両手を胸の前で組み、目を閉じて静かに祈りを捧げた。
あいつが天国で幸せにしていることを願って。
「ヴァラード」
と。俺の耳に、メリナの声──いや。メリナに良く似た声が聴こえた。
あいつの声を聴けなくなって十年経ったが、それでも俺があいつの声を間違えることはねえ。
勿論、あいつの大事な人の声もな。
「お久しぶりです。マリナさん」
俺はゆっくりと立ち上がると、声の主に向き直った。
目を瞠り立っている中年──という例えがこれほど似合わない女性はそういない。
未だ二十代ほどの若さを感じる女性は、白銀の長髪を後ろで束ねている。
線の細いその顔立ちには、メリナの面影を強く感じる。
とはいえ、あれから十年。
娘を失ったせいか。未だ若く見えるものの、少しやつれたか。
「久しぶりだね。あんた、その目は一体どうしたんだい?」
「ああ……。ちょっと、人助けでやらかしただけです」
「そうかい。あんたも相変わらずだね」
「あいつの性格が
俺が苦笑すると、マリナさんも小さく笑う。
「勿論、泊まっていくんだろ?」
「急な訪問でしたので、よろしければ、ですが」
「構いやしないよ。ここはあんたの実家だ。それに、どうせ部屋も余しているしね。付いて来な」
そう言うと、踵を返し、丘を少し下った先にある、小さな家に歩き出す。
あそこがマリナさんの家であり、メリナの実家だ。
……しかし、俺も随分生意気になったはずなのに、この人にだけは未だ敬語が抜けねえ。
勿論あいつの母親。尊敬の念もあるが、同時に強く感じる彼女の実力もまた、俺にそうさせている。
結局、俺は
とはいえ、情けない話だが、こればかりは仕方ない。
なんたって、イシュマーク王国で最も才能があると言われた宮廷神魔術師。
そして、昔ここに幽閉され、以降ファインデの森を護る事となった、蠱惑の魔女の一族だからな。
まあ、迷いの森がこうなっているのは、別に彼女達魔女の一族のせいってわけじゃねえけどよ。
とはいえ、そこに住む魔女の噂は国でも有名。
だからこそ、ここがメリナの故郷と聞いて、アイリがあれだけ驚いたんだがな。
§ § § § §
久々に入った家の中は、十年前と何ら変わりはしなかった。
素朴な作りの、しかし温かみを感じる家。決して広くないリビング。
昔来た時も、このテーブルを囲み、三人で話をしたもんだ。
「こんなもんしかないけど、いいかい?」
椅子に座ったまま、周囲を見回していると、キッチンからマリナさんがティーセットを持ってやってきた。
彼女が俺の前に差し出したのは花茶。
ほのかに甘い花の蜜のような香りのする、この山で採れる花々の花びらを乾燥させて作った物だ。
「構いませんよ。ありがとうございます」
その香りを堪能しながら、紅茶を口にすると、まるで昔に戻ったかのような気持ちにさせられる。
「この十年は何をしてたんだい? やっぱり冒険者として駆け回ってたのかい?」
「いえ。マリナさんに倣って、俺もフォレの森の側で、世捨て人のように暮らしてました」
「何だいそりゃ。私なんか見倣ったって、何も良いことなんざ何もないじゃないか」
「独りも案外悪くなかったですよ。慣れない生活に、最初は生きるのにも必死でしたが」
彼女の質問に自嘲すると、釣られて笑ったマリナさんが、ふっと目を伏せ寂しげな顔をする。
「……あの時は悪かったね。あんたを慰めもできなくって」
「お互い様です。何も声を掛けずに去ってしまい、本当にすいませんでした」
「いいんだよ。……吹っ切れて……は、いなそうだね」
「……すいません。十年経っても、あいつがいないのに慣れません」
「そこまで愛されてりゃ、メリナも本望だろうさ。ありがとね」
「いえ……」
互いに過去を笑い者にできない者同士。
自然と笑みに憂いを含めてしまうが、それもまた、互いに大事な者を失ったからこそ。こればかりはどうしようもない。
「それより。十年振りに顔を出すなんて、どんな風の吹き回しだい?」
辛気臭い雰囲気を嫌ってか。マリナさんが話題を変える。
……まあ、これはこれでいい話じゃねえがな。
「……マリナさんは、この国で起きている異変。気づいていますよね?」
俺がそう鎌を掛けると、彼女はその表情を一変させ、真剣な顔を見せた後、ストレートにこんな言葉を放ってきた。
「……止めときな」
その瞳の鋭さ。やはり彼女ほどの魔女なら気づいているよな。デルウェンが復活したのを。
「ヴァラード。聖女のいない今、あいつを止めるのは無理だ。あんたがメリナの仇を討ちたい気持ちは痛いほどわかる。が、止めておきな」
「……マリナさん。あいつを野放しにしたら、メリナが護ったこの国の人達が死ぬんです。あなたなら、聖女がいないこの状況で、奴を倒す術を──」
「知るはずないだろ。ヴァラード。あんたは私を買い被り過ぎだよ」
互いに目を逸らさず、じっと相手を見つめる。
きつい視線を向けてくるマリナさん。だがその裏にあるのは、俺を思い遣ってくれる優しさ。
何も言わず、それでも視線を逸らさずに彼女を見つめていると、目を閉じた彼女が大きなため息を漏らす。
「……今のあんたは危なっかしい。いや、昔っから、メリナのためになら身体を張る。そんな覚悟をしてくれてたけど、危なっかしさは相変わらずだ。いいかい? あんたはメリナを失い、散々傷ついたろ? 戦いなんて出ても碌な事にならないってわかったろ? だから止めな。あの
「……いえ。メリナは、それを望んでるんです」
「は? どういう事だい?」
予想外の俺の言葉に驚きを見せる彼女の前に、俺は腰のポーチに仕舞っていた一枚の封書を置く。
……あいつが俺に書き残した遺書。
それを手に取ったマリナさんは、ゆっくりと中の手紙を取り出し、その内容を見る。
部屋はまだ明るい。
が、マリナさんほどの人だ。そこに書かれたもうひとつの言葉も読めているはずだ。
「……あいつは十年先、この時代にならデルウェンを倒せる。そんな未来を占ったんです。十年哀しみに暮れ、後悔で燻り続けた俺を、過去の仲間や新たなる才能に巡り合わせ、未来の為に前を向けと指し示した」
「だが、聖女はもういない──」
「ええ。
そう。
メリナはこの十年先までを色々と占っていた。そして俺はその意志を継ぎ、
だが、肝心の俺については、導かれてもいねえし、自身で神言する事もできねえ。
だからこそ、俺は自身の考えうる可能性を求めた。
聖女がいても、デルウェンを封じるのがやっとだった過去。
聖女のいない今、それでもデルウェンを倒す可能性。そして俺自身が神言以外に成すべき事をを求め、ここに足を運んだんだ。
力を貸して欲しいと言わなかったのは、彼女は純粋な魔女としてこの地に幽閉されている身だからだ。
以前、宮廷神魔術師としてこの地を離れられたのは、若かりし王子の頃のブランディッシュのおっさんが、王族のみが持つ幽閉を解く鍵で、彼女を森の外に出した為。だが、結果この森に戻った彼女は、再び幽閉されている。
そして、メリナが幽閉の影響を受けず、世界を旅できたのは、聖女として
そんな話を以前、マリナさんから聞いている。
勿論彼女の力を直接借りれれば、戦いは大きく優位を取れるに違いない。
が、それは幽閉されている以上は不可能。だからこそ、俺はせめて何か可能性がないか、ここを訪ねたって訳だ。
「……いいかい? 私は魔女だ。だが、万物全ての知識を持つ訳じゃない」
呆れ口調……いや、どこか俺の行為を咎めるような厳しさを含む声に、
「であれば、メリナの部屋を見せてもらえませんか? 何か手がかりがないか調べたいんです。……お願いします」
俺は背筋を正しく、テーブルに額が付きそうになるほど、深々と頭を下げる。
暫くの沈黙。そして長いため息が耳に届くと。
「……どうせあんたの部屋はあそこにするつもりだったしね。付いて来な」
そう言って、マリナさんは立ち上がったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます