第十一話:死者の遺した言葉

 所々、涙で滲み、皺になった手紙。

 それを俺は、重ねて濡らしてしまう。


「……俺は……メリナを、殺したんだな」


 溢れる涙と共に、口から漏れたのは本音だった。


 あいつに騙されたんじゃない

 こいつらに騙されたんじゃない。

 奇跡の神言口からでまかせがありながら、あいつを生に導けなかったのは、紛れもなく、俺だ。


 決戦の時だって、俺の神言が外れて欲しいと願いながら、あいつらとは別の戦いを少しでも早く優位にして、少しでもあいつらのいる戦場に兵士を送り込み、危機を減らそうと無駄な努力をした。


 結局、俺は一人空回りして、メリナを救えなかったんだ。

 あいつを無駄死にさせたんだ。


「そんな事ないよ」


 セリーヌの言葉も、慰めになんかならない。

 だって俺は、やっと十年前の真実を知ったんだから。


「いや、俺のせいだ。俺がもっと強ければ。俺がもっと側にいようとすれば。俺がメリナが生き残れる神言を口にできれば、あいつはきっと救われた。でも、それができなかった。俺はただ死地を指し示し、あいつを死に導いただけ。結局、メリナを殺したのは俺だ! 俺のせいであいつは死んだ! 死んだんだ! 俺は! 俺は! 愛したあいつをこの手で死に──」


 溢れる後悔しか口にできなかった俺は、突如バルダーに顔面をぶん殴られると、勢いよく吹っ飛ばされ、壁に叩きつけられた。


 頬と背中に強く走ったはずの痛み。

 だけど、無力さと、罪悪感と、心の痛みが強すぎて、そんなのどうでもよくなる。


「師匠!」


 そのまま力なく床に座りこんだ俺を呼ぶ、アイリ達の声。

 俺の元に駆け寄ろうとした三人を、アルバースが制するのが見える。


「ヴァラード。へこたれてんじゃねえ。聖女のいない世界で、メリナが施した封印が解かれちまった今、悔しいが頼りはお前だけなんだぞ!」


 暑苦しいバルダーの言葉にも、何も感情が動かない。

 ただ、俺の中にあるのは、虚しさと絶望だけ。


 俺が、メリナを殺した。

 それが、たったひとつの真実。


 あいつが息絶える直前の姿が思い返され、俺の心がまた強く痛む。

 だけど、もう何もできやしない。

 メリナが死んだのは、俺の犯した罪。だからこそ、殴られても、痛みを与えられても、文句すら返せねえ。


「ヴァラード。俺達もずっと悔やんでいる。だが、それでも過去に囚われていては、何もできやしない」


 アルバースの真剣な言葉にも、俺は何も返せなかった。


 だって、俺が殺しちまったんだぞ?

 俺がメリナを死にいざなったんだぞ?

 全て俺のせいなんだ。あいつを愛したのに、俺は……結局、何もできなかった……。


 絶望だけが、波のように寄せては返す。

 そして、それに抗えない俺は、周りの声すら耳にする気力もなく、ただ茫然と、涙が枯れるまで泣いていた。


   § § § § §


「ヴァラードさん。信じて、待っていますから」


 ブレイズからそんな声を掛けられた気もするが、その後の事は正直あまり覚えていない。


 壁に寄りかかり座ったまま、空をぼんやりと見つめている内に、気づけば部屋には俺だけが残されていた。

 日も暮れたのか。窓から薄っすらと入る灯りこそあるが、それ以外はほとんど影の世界に変わっている。


 ……が。だから何だってんだ。

 正直、罪の意識に押し潰され、そんな景色にも何も思わない。

 動こうとする気力も沸かず、俺はただ失意の海に沈んでいた。


 何で十年も生きたんだ。

 もっと早くに死んで、メリナに詫びるべきだったんじゃねえのか。

 お前が護ろうとした国を、再び危機に巻き込んじまったのもそうだ。

 俺が生きていた。

 だからこそ、デルウェンまでも復活させちまった。


 結局俺は、生きている価値もない、ただの最低最悪な男、か……。

 無気力な心に、もう希望も感じられず。

 ただ絶望の闇ばかりしか感じない。


 ……もう、死のうか。

 俺は、無意識に腰の短剣ダガーに手を掛けようと、視線を落とす。


 と、その時。

 ぼんやりとした視界の端で、何かが薄っすらと光っているのに気づき、俺は力なくそれに視線を向けた。


 ……メリナの……手紙、か?

 確かに。

 光っていたのは、俺が握りしめ、くしゃくしゃにし、傍に落とした手紙。


 ゆっくりと俺はそれを手にし、再び開いてみる。

 既にこの闇に溶け込み、昼間見た文章は読めやしない。

 が、そこには夜だからこその変化があった。


 魔法……いや、違う。

 これは、夜行花やこうばなの汁で書かれた文字。

 昼間に光を浴び、それを溜め込んだからか。ほんのりと光を帯び、新たな文字を浮かびあがらせている。


 そこには、こう書かれていた。


『立ち上がって、前を向いて。

     今のあなたになら、できるから』


 闇に溶けた手紙に浮かび上がっていたのは、間違いなくメリナの書いた短い文章。

 それを見た瞬間。空虚だった心に、ある疑問が浮かぶ。


 ……これもまた、十年前にメリナによって書き遺された言葉のはず。

 だが、何故こんな手の込んだ事をしたんだ? 

 メリナが遺したであろう最期の言葉が、少しずつ俺の思考を動かし始めた。


 ……この手紙は十年前に、ブレイズに託された手紙。

 昼間読んだのは別離わかれの言葉。

 それだけなら、わざわざ十年寝かせる必要なんてなかったはずだ。

 だが、メリナは十年後の俺にこれを託し、十年経った今だからこそ、俺はこの光る文字を見たはず……。


 十年先の俺に、前を向けと書き遺し。

 十年先の俺なら、できると書き遺した。


 十年……。

 今だからこそ、意味を成す言葉だとしたら……。


 俺の思考が急激に冴えていく。

 そして、あいつの言葉と今の俺を振り返っていく内に、あるひとつの答えに辿り着き、俺は目をみはった。


 ……メリナ。まさかお前……。

 またも、手紙が涙でぼやけていく。だが、それは哀しみのせいだけじゃない。

 こいつが何を遺したか、やっと分かったからだ。


 この十年、俺なりに過ごしてきた。

 鬱々とし、後悔しながら、それでも十年生きてきた。


 そこに現れた、俺が助けた才能溢れるアイリ、エル、ティアラの三人に、普通に暮らしていたら交わらなかったはずの、過去の仲間との邂逅。

 そして、シャード盗賊団によって成された、獣魔王デルウェンの復活。


 ……俺は一度思ったはずだ。こんな偶然はあり得ないと。

 そして、城の兵士達の来訪を経験した時、俺の居場所をここまで的確に予言できる奴は、メリナあいつくらいしか知らないと。


 ……メリナ。

 お前はこの未来を、占術で知ったのか。

 あの時の俺達じゃデルウェンを倒せないと知り、未来でなら奴を倒せると知ったのか。


 確か、ブレイズの誕生日は丁度一ヶ月ほど前。

 今回のデルウェンの復活が成された後のはず。

 あいつは箱の中に入っていたと言っていた。

 つまり、他に遺した封書の中に、予言した俺の今の居場所なんかを記したんだろ。それなら辻褄が合う。


 ……ったく。

 俺は、ぐっと涙を拭うと、天で見守っているであろうメリナに、呆れ笑いを浮かべてやる。


 お前はきっと、俺が手紙を読んだ瞬間に前を向かせようとしても、後悔で動けないと知って、わざわざこんな手を込んだ事をしたんだな。

 どうせそんなお前の事だ。

 俺が十年持ち続けていた、すらも知ってたんだろ。

 ……未来を占い、自らの死を知りながら、それでも予言した未来を書き綴るのは、きっと辛かったよな。

 自分が生きられない未来を綴るのは、寂しかったよな。


 だが、それでも国に真の平和を齎そうとしたんだな。未来ある奴等の為に……。

 はっ。やっぱりお前は、最高の聖女だよ。


 俺は暗闇の中ゆっくり立ち上がると、強く走った頬の激痛に、思わず顔を歪め頬をさする。

 ったく。あの野郎、手加減なしかよ。

 まあいい。後でしっかり仕返ししてやる。


 俺は振り返り、窓の外を見た。

 こんな状況であっても、月は静かに優しい光で夜を照らしている。


 ……分かった。やってやるよ。

 お前が聖女として繋いだ未来は、俺がちゃんと護ってやる。

 この奇跡の神言口からでまかせと、俺が使える全てを使い、この因縁を終わらせてやる。


 そして、メリナお前にも教えてやるよ。

 お前が愛した奴が、どれだけ悪男ワルな盗賊だったのかってな。

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