第4話 次代の担い手

「……どうぞ、掛けてください」

 自由都市同盟本部の執務室に据え置かれたソファー。

 来訪した二人をそちらに腰掛けるよう促したフェリアムは、更に紅茶の手配をケール秘書官に伝える。


「申し訳ありません。突然来訪したにも関わらず、 気を使って頂きまして」

 彼が帰り支度を行う直前であったと知ったカイルは、紅茶の手配を受けたことと合わせて、申し訳無さそうに謝罪を口にする。


「いえ、お気になさらずに。むしろラインドルの国王殿が我が国にお越しならば、こちらから訪問させて頂くべきところ。謝罪など不要ですよ」

「そうそう。まあ、お互い気を使い合う必要なんて無いさ。ところで申し訳ないんだけど、前大統領殿。私の分はコーヒーにしてくれないかな?」

 フェリアムの言葉を耳にしたアインは、苦笑を浮かべながら、マイペースな要求を口にする。

 すると、フェリアムは残念な者を見る視線を向けながら、大きな溜め息を吐き出した。


「エイス……いや、今はアインと名乗っているのだったか? ともかく、お前は一向に変わらんな。カイラ国王はこれほど立派になられたというのに」

「立派に……って、もしかして前回の西方会議の時に?」

 フェリアムの口ぶりに違和感を覚えたカイルは、たった一度だけこの国を訪れた際のことを、思わず口にする。

 途端、正解だとばかりにフェリアムはニコりと笑みを浮かべた。


「ええ。その当時、私は内務大臣を勤めておりましてね。アルミム前国王と共にこの国に来られた一人の少年のことを、はっきりと覚えております。国家元首に対してこのような言い方は失礼だと思いますが、しかし本当に立派になられた」

「いえ、正直いってまだまだですよ。このキスレチンのような大人の国と違い、我が国は、そして私自身もまだまだ成長せねばならぬと、日々痛感しているところです」

 フェリアムの評価に対し、やや恥ずかしそうに照れた表情を見せながら、カイルは軽く謙遜してみせる。

 だがそんな彼に対し、フェリアムは一つの実例を上げて、重ねて彼を賞賛してみせた。


「はは、隣の芝は多少青く見えるものですよ。それに客観的に見ても、先日のクーデターを完璧に押さえ込んだあなたの手腕。それは我が国の現政府連中以上のものだったと思います」

「あれは私の周りの人たちが優秀だっただけですよ。私がしたことは、彼らの提案を受け入れた程度に過ぎません」

 カイルは両手を軽く左右に開くと、首を二度左右に振る。

 一方、そんな彼の発言を耳にしたフェリアムは、眉間にしわを寄せた。


「おや、果たしてそうでしょうか……ですが、もしあなたのおっしゃる通り、周りの人材が結果を出したのだとしても、それは彼等を取り立てたあなたの功績だと思います。違いますかな?」

「なんというか、フェリアム様のような実績ある政治家の方に持ち上げられると、本当に赤面するだけですよ」

 フェリアムの発言に僅かな違和感を覚えたカイルは、意識してその表情に苦笑を浮かべてみせる。

 すると、会話の潮目が変わりかけていることを感じ取ったフェリアムは、このタイミングを逃すことなく、確認しておきたかった一つの事象を話題に上げた。


「いえいえ。持ち上げるだなんて、そんな。全て私の本心ですよ。何より、南部での軍事演習を目眩ましにして、少数でクーデターを制圧するという戦略は実に素晴らしかった」

 そのフェリアムの発言を受けて、カイルは先ほど抱いた予感が正しかったことを理解する。そして表情を一切変えぬよう注意しながら、なんでもないことのように説明を口にした。


「国王を引き継いでいこうと、内政にばかり注力しすぎましてね。予算の都合でまともな軍事演習もなかなか出来ておりませんでしたから。まあ、それがちょうどいい目眩ましになってくれたのは、少し出来過ぎな結果ですけどね」

「目眩まし……それはクーデターを起こした連中に対してのお言葉ですか?」

 この話題を取り上げられた時点で、想定されていた問いかけの一つ。それをフェリアムはまさにカイルへとぶつけた。

 だからこそ、カイルはまったく動じることなく逆に問い返す。


「もちろんそうですが、それが何か?」

「いえ、てっきりクラリスの北部を根拠地とするブラウ大公達への目眩ましと言われたかったのかと思いまして」

「なるほど……いやぁ、見方によってはそんな解釈もできるわけですね」

 カイルはわざと感心した素振りを見せながら、胸の前で軽く腕を組む。

 だがそんな彼の反応を目にして、フェリアムはその内心を見透かすと、やや前のめりの姿勢となり改めて口を開いた。


「ええ。クラリスの王家派の要請で、ブラウ公たち貴族院の方々の選択肢を奪うための一手。あの軍事演習をそう考えると、何とも素敵な作戦ですな。クーデター派を撹乱し、クラリス王家に恩を売り、そして我らが政府の目論見を破綻させる。その上、滞っていた軍事訓練も行えるとしたら、まさに一石四鳥というわけですな」

「……フェリアム様。あくまで偶然の産物で、そう見えているだけではありませんか? 第一私は、クラリスのエリーゼ女王とはお会いしたことがありません。もちろん彼の国とは同盟関係にはありますが、王家派にだけ肩入れするような理由がございませんよ。それに何より、あなた方の政府の目論見というものがわかりかねます。我々は同じ西方会議の一員。不要な対立などしたくはないものですからね」

 かつて大国の大統領を務めたフェリアムに対し、堂々とカイルはそう言ってのけた。

 まだ若いながらも、知性と風格を感じさせるその受け答えを目にして、フェリアムは眼前の若者を好ましく思う。そして今しばしの年齢を重ねれば、ラインドルにカイラ王ありと言われるようになることを、彼はこの時点で予測した。

 だからこそ彼は、今ここで自らの能力をはっきりと示し、精神的な格付けをこの段階で付けておくべきだと判断する。


 しかしながら、彼のそんな目論見が叶うことはなかった。

 何故ならば、彼が追撃となる言葉を口にするより早く、カイルの隣の席に腰掛けていた男が、場の空気を一変させるかのように陽気な笑い声を上げたためである。


「ははは。いや、それくらいにしてあげてもらえないかな、前大統領殿。青年をあまりいじめるおじさんは、残念ながら世の常として嫌われるものだよ」

「悪徳商人は黙っていろ!」

 突然言葉を挟んできたアインに対し、機を失ったフェリアムは、苛立ち混じりの声でそう叱責する。

 一方、そんな怒りを向けられた当人は、まったく気にする素振りも見せず、ひょうひょうと再び口を開いてみせた。


「おやおや、ここは自由の国だったはずだよ。だからこの私にも、発言の自由くらいは許されてもいいと思うけどね。それに第一、先ほどの話が仮に事実だとして、貴方に何の問題があるというんだい? 野党の党首にとって、現政権が失策を犯したという事実は、むしろ好ましい状況だと思うけど」

「……もしや貴様。この件に関わっているな?」

 それはただの政治家としての直感であった。


 だが理性的な観点からも、目の前の男ならば、十分にありえるのではないかとフェリアムは考える。

 アインはそんな目の前の男の詰問に対し、右の口角を軽く吊り上げた。そしてちょうどそのタイミングで、先ほど頼んでいた紅茶がこの場へと運ばれる。


「ああ、やっぱり紅茶か……まあ、せっかく持ってきてくれたのだから頂くとしようかな」

「エイス……貴様、はぐらかす気か?」

 運ばれてきた紅茶に視線を向け、回答を放棄したかのように見えるアインに対し、フェリアムは厳しい視線をぶつける。

 すると、困ったような表情を浮かべながらも、アインはふてぶてしく紅茶に一度口をつけた後、ようやく口を開いた。


「えっと、私が関わっているかどうかでしたっけ? はてさて、どうでしょうね。まあ大陸西方に住む魔石商人として、戦線派の裏にいるトルメニア商人たちがこれ以上好き勝手するのは、あまり好ましくないと思っていることは事実ですよ」

 統一宗教主義戦線に対し、政治献金を惜しまぬ商人たち。それは大陸中央でも最大の宗教国家であるトルメニアの者達であった。


 彼等は陸路もしくは赤海と呼ばれる内海を経由してキスレチンへと、販路を確保している。そんな彼等の後ろ盾が、トルメニアの国教であるクレメア教の信徒たちを中心に組織された宗教主義戦線であることは言うまでもないことであった。


 それ故に、大陸西方の商人が彼等のことをよく思わぬことは一見筋が通る。

 だが、フェリアムは、それだけではない引っ掛かりのようなものを目の前の男から感じていた。


「……本当にそれだけか?」

「一体、何のことに関してですか? 私は先程の件に関わったとは言っていないですし、トルメニア人が商売敵であることは自明の理でしょ。だからそんな怖い顔しないでくださいよ」

「ふん、いいだろう。今は貴様の発言に頷いておいてやる。あくまで今だけはな」

 まったく納得してはいなかったものの、この場でこれ以上の回答が求められると思えなかったフェリアムは、ようやく牙を収める。

 

「はぁ、疑り深いんですから。ともかく、目的も果たしたし、前大統領殿の家族団欒をこれ以上先延ばしにするわけにも行かない。というわけで、今日のところはお暇させて頂くとしようか」

「何? どういうことだ?」

 フェリアムはあまりにもあっさりと引き上げようとするアインに対し、その意図をはかりかね、怪訝そうな表情を浮かべる。

 そしてそれは、アインの隣りに座るカイルも同様であった。


「えっと、顔合わせにと言われていましたけど、本当にそれだけのために?」

「ああ。そうだよ。顔合わせのためにさ。それだけで、前大統領殿の家庭の時間を奪った意味は十分にある」

 アインは一切に迷いを見せることなく、はっきりとそう言い切る。

 そこで初めて、フェリアムはこの極短期間の来訪に対し、一つの確信を抱いた。


「……なるほど、そういうことか。私と接触したという事実。それ自体が彼らに対するメッセージというわけだな」

 アインの口にした目的という言葉から、フェリアムがたどり着いた答え。

 それを受けて、アインはニコリと微笑むと、まったく思いもよらぬことを口にした。


「前大統領。準備はしっかりとしておいてくださいね」

「準備? 一体何のだ?」

 アインの口にした言葉の意味がわからず、フェリアムは眉間にしわを寄せる。

 するとアインは、さらなる爆弾を彼へと投げかけた。


「それは決まっています。来たるべき組閣の為のですよ」

「な……」

 歴戦の政治家であるフェリアムは、口を開けたままその場に凍りついた。


 もちろん若かりし頃より、彼は常に自らを長とする政権構想を常に有しており、それは大統領の座を奪われ、野党の党首となった今も変わらなかった。

 だが彼の驚きはそこにはなかった。


 そして目の前の胡散臭い商人は、そんな彼の反応を目にして、薄く笑いながら更に言葉を重ねてくる。


「西方会議と言う嵐が通り過ぎると、ひとつの看板が倒れることになるでしょう。それはラインドルかも知れませんし、クラリスかもしれない。もしかしたら――」

「……キスレチン共和国の現政権かもしれないと、そう言いたいのか?」

 アインの言葉を遮る形で、フェリアムはそう問いかける。

 すると、アインはわざとらしく肩をすくめてみせ、そして意味ありげに微笑んでみせた。


「いえ、それはわかりませんけどね。でも、何事も備えというものが大事なのですよ、次期大統領殿」

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