第2話 先手

 首都ミラニール。

 それはかの国家の土台となる半島の付け根に存在する、キスレチン共和国における最大都市の名称であった。


 他のキスレチンの主要都市よりも北に位置することから、気候としてはそこまで温暖な土地ではない。

 だがそれでも、大陸西方で最北に位置するラインドルに慣れた者にとっては、この地は十分に温暖な気候ではあった。


 ましてや、今は夏真っ盛りである。

 それ故に、この首都へとたどり着いた一人の男性は、案内された自室へと辿り着くなり、設置されていたソファーへと倒れこんだ。

 すると、そんな男性の背中に向かい、突然冷たい声がかけられる。


「なに、その格好? 何時から喜劇役者に転向したの?」

 気配を殺していた黒髪の女性によって投げかけられた辛辣な言葉。

 それを背中で受け止めることとなったアインは、彼女に視線を向けることなく、ソファーにうつぶせのまま悲しげに返答を行う。


「……言わないでくれ。自分でも気にしているんだからさ」

「まあ、普段から変装させられてる私の気持ちを理解するいい機会ね。しばらくはその格好のままでいらっしゃい」

 クレハはそう口にすると、普段は凍りついたようなその表情を、ほんの僅かに緩めた。

 一方、普段から彼女に潜入調査等を依頼してきたアインは、この話題に関して自らの分が悪いことを理解すると、やや投げやり気味の声で返答する。


「もとよりそのつもりだよ。決して望んでではないけどね。それで、状況は?」

「ほぼ各国共に、キスレチン入りを果たしたわ。誰かの仕業もあって、今まで通り五カ国が揃い踏みよ」

 西方会議の参加資格。

 それはこの第一回会議が開かれた時に決議をされたひとつの条文に基いている。それは『大陸西方に存在し、一定以上の人口を有する国家』という一文であった。


 もちろんこの文面だけでは、あまりに抽象的すぎる。だからこそ一般的には、大陸中央との接合点に存在するホスヘル公国より西に存在する国家であり、彼の国の人口以上であることが暗黙の内に基準とみなされていた。

 そうした要件を元にしたこの大陸西方会議において、前回となる八年前もその前の十六年前も、今回と同様の五カ国の参加により開催されている。


 しかしながら前回と異なり、今回の開催に関しては紆余曲折が存在していた。

 それはクラリスとラインドルという五カ国の中では中堅に位置する二国家が、参加を危ぶまれていたことである。

 そんな状況を覆してみせた当人は、かつての故国の事に関し、クレハに向かって問いかけた。


「それでクラリスの代表はどなたになったのかな?」

「ライン大公よ。あなたとしては、お姫様にお会いしたかったかしら?」

 アインに向かい、クレハはわずかに含むところのある口調でそう問い返す。

 すると、アインはソファーに預けていた体をようやく起こし、そしてクレハに向かって首を左右に振った。


「いや。それにエリーゼ様は既にお姫様ではないさ。女王だよ」

「そうね。ともかく、彼女が国を離れるには、貴方が打った手だけでは不十分だったようね」

「まあ、妥当なところだろうね。貴族院に取って、ほぼ侵攻してこないとわかっているラインドル軍の存在は、足裏についた米粒のようなものさ。実際にもう少し圧力をかけてあげたいところだったけど、あまりカイルに迷惑をかけるわけにもいかないからね」

 両手を左右に広げながら、アインは苦笑を浮かべた。

 すると、クレハは小さく頷くと共に、再び口を開く。


「ともかく、クラリスはライン大公が代表。そしてラインドルはカイラ国王。まあ、これは同行しているから言うまでもないことね」

「ああ。それでクロスベニアとホスヘルは?」

「クロスベニア連合はシャドヴィ代表が。そしてホスヘル公国からは、コルドイン大公殿下がご出席とのことよ」

「ふむ、どちらも老獪な最高権力者を出してきたというわけか。ラインドル家臣団に名を連ねるひとりとしては、若いカイラ国王の手腕に期待するところ大だね」

「それはライン大公に関しても同じでしょ?」

 彼女もよく知るとある人物を思い浮かべながら、クレハはそう告げる。

 するとアインは、やや困った表情を浮かべながら頭を数度掻いた。


「まあ、確かに。それで、彼らの結束はやはり固いのかい?」

「ええ。もともと民主改革運動と両国の関係は良好だったからね。その辺り、前任の大統領とは違うわ。それに両国とも、大陸中央と密接している事もあって、自国民に多くのクレメア教の信者を抱えている。その辺りも、現在の蜜月関係の一因でしょうね」

「なるほど、宗教……か」

 クレメア教団を母体とする統一宗教主義戦線が連立政権に存在する意味。

 そこに思いを馳せたアインは、顎に手を当てたままわずかに黙りこむ。

 そんな沈黙にしびれを切らしたクレハは、彼に向かってシンプルに問いかけた。


「で、どうするつもり?」

「クレハ、君は彼らの真の狙いは何だと思う?」

「そうね……おそらく、西方会議の最終日に行われる協定案策定。そこに狙いを絞っていると思うわ」

 問い返される形となったクレハは、僅かな戸惑いを見せるも、ほぼ確信を持ってそう答える。


 これまでの西方会議において、大陸西方における各国に共通した方向性を示すことが、最終日の一つの慣習となっていた。

 もちろん例外は存在するものの、基本的にこの数回の西方会議は対帝国が常にその主題であり、そのために開催されたと言っても過言ではない。それ故に、最終日には彼の国に対する圧力を共同で明言し、全会一致の多数決を持って協定案という名の約定を交わす形となっている。

 そのことを知るアインも、今回のキスレチンの狙いを正確に洞察しているが故に、クレハの見解に対し深く頷いた。


「そうだね、私もまったく同意見さ。西方会議の成果を表明する協定案作成。これは実にうまく出来たシステムだよ。キスレチン……いや、旧キエメルテ共和国の面々にとってはね」

「数の力というわけね。でも、もともとキスレチン一国で、他の四カ国以上の力があるわけだから、妥当といえば妥当よね」

「ああ、そのとおりさ。だけど幾ら力があるとはいえ、自分の財布で喧嘩なんてしたくないものさ。どうせ使うなら他人の財布がいい」

 やや皮肉げにアインはそう口にすると、二度鼻の頭を掻いた。

 そんな彼の反応に、言語化していない内容を読み取ったクレハは、薄ら笑いを浮かべながら口を開く。


「ラインドルもクラリスも、対帝国という目的において、使い勝手のいい駒というわけね」

「基本的には……ね」

「基本的には?」

 思わぬアインの物言いに、クレハは引っ掛かりを覚える。

 するとアインは、小さく頷き、そのまま別の考え方を披露した。


「ああ。視点を変えてみれば少し違った見方もできる。例えば、クラリスにしてみれば、これまでキスレチンの存在があったからこそ、帝国と全面抗争にならずに済んでいたわけだ。帝国が集合魔法なんてものを開発するまではね」

「……確かにそうね。彼等だけを非難するのは、いささかアンフェアということかしら」

 アインの発言に納得すると、クレハはあえてそう言葉にする。

 すると、アインは軽く肩をすくめると、あえて言葉を濁した。


「さて、どうだろう。でも国家間の駆け引きってのは、そういうものさ。お互いがお互いを利用しようと伺っている。そしてそれは当然の行為さ。その意味では、なかなかにクラリスもしたたかだったと思うよ。少なくともこれまではね」

「これまでは……か。で、あなたはこれからどうしたらいいと思うの?」

「状況は変わった。そして帝国の状況も変わった。となると、これまでと同じ対応をするというのは愚策だろう。そして、キスレチンは愚策を選ぶつもりはない。つまり、キスレチンはやりたいんだろうね」

 アインはそこまで口にしたところで、一度言葉を区切る。

 一方、クレハはそんな彼に向かい、あえて先を促した。


「つまり戦争を?」

「ああ、戦争を。帝国と同盟派の関係を糾弾し政権奪取に成功した彼らだ。この辺りで決定的なイニシアティブを取りたいと思うのは、政治的に妥当な判断だろう。ましてや、最初は自らの手を汚さずに済むのならね」

「なるほど。つまりこの西方会議は、彼等の政権維持を目的にした帝国糾弾会議というわけね。まったく……馬鹿げているわ」

 そう言い切るなり、クレハは小さな溜め息を吐き出す。

 だが彼女の眼前の男は、同じ事象に対しまったく異なる反応を見せた。


「そうかな? 大陸西方の国家も、それぞれ内に悩みを抱えている。大なり小なりね。そしてそれは今に始まった話じゃない。別に彼等を責めるべき話じゃないさ」

「でも、巻き込まれる側としたら、たまったものじゃないわ」

 アインの見解を理解しながらも、クレハは首を左右に振るとともに、そう口にする。

 すると、アインはもっともな解釈だとして、軽く笑い声を上げた。


「はは、確かにそれはそうだ。ともかく、彼等の狙いは明白。その上、今の帝国は十全とは言いがたい。となると、あまり芳しい未来が見えない……かな」

「つまり大陸西方に、一強国家が誕生するということがかしら?」

「いや、単一国家の誕生がさ」

 アインの口から発せられた予想外の単語。

 それを耳にした瞬間、クレハは思わず驚きの声を発する。


「え……」

「民主主義という名の魔力。それはおそらく彼らを、その方向へと後押しするだろう。それがいいことか悪いことか、私にはわからない。私はあくまで王政国家の出身だからね。ただ……」

「ただ、あなたとしては彼らの邪魔をすると?」

 アインの発言を先回りし、クレハをそう告げる。

 やや面食らったアインは苦笑を浮かべながらも、その通りだとばかりに彼女の発言を肯定した。


「ああ。もちろん彼らの考え自体は理解できる。ただ残念ながら、同意してあげることはできない。つまりはそういうことさ。だから、彼らが根回しを終えるよりも早く、先手を打つとしよう」

「先手?」

「うん。要するに、この国における最初の一手さ。そのためにも、これから向かわ――」

 アインがクレハに向かって自らの考えを告げかけたその時、突然部屋のドアがノックされた。

 途中で言葉を飲み込んだアインはその視線をドアへと向ける。そしてもう一度クレハの方へと視線を向け直した時、既に小柄な黒髪の女性はその姿を消していた。


「アインさん、よろしいですか?」

 ノックされてから、少し間をとった後に外から発せられた声。

 それを耳にしたアインは、小さく息を吐きだすと、すぐに返事を行う。


「……どうしたんだい、国王殿。鍵は開いているから、ご自由にどうぞ」

「失礼します。って、まだかつらを被っていらっしゃったのですか。アレだけ文句を言っていたのに」

 ソファーに腰掛けた状態のアインが未だに金髪姿であったことに、カイルは驚きを見せる。

 すると、アインは自らのかつらに右手を当てながら、苦笑交じりに言葉を返した。


「そりゃあ、こんなの邪魔でしか無いけどね。ま、単純に取るのが面倒だっただけさ」

「はぁ……やっぱりそんなところですか」

 やや呆れた口調で、カイルはそう口にする。

 一方、最近カイルからの風当たりが強くなっていることを感じたアインは、疲れたように大きな溜め息を吐き出しながら、目の前の国王に対し来訪の目的を尋ねた。


「で、用件はなんだい?」

「はい。今日の夜に、キスレチンの外務官の方々と、食卓を囲む予定です。その際にできれば、アインさんにも出席して頂ければと思いまして」

「出席というか護衛だろ……美味しそうなものを食べている人の姿を、じっと見ているのは正直好きではないんだけどね。でもまあ仕方ないか。わかったよ」

 仮面を付けた護衛がいると、キスレチンに対し認識させる最初の機会。

 そう解釈したアインは、やむを得ないとばかりに自らの役割を受け入れた。


「ありがとうございます」

「いや、別に構わないさ。それに今回、表向きとしては護衛として雇われている形になっている。君が礼など言わなくていいよ。彼のこともあるしね」

 日中はマルフェス付きの副官見習いとして現場の空気に触れ、そして夜はアインの監督下で研究を行う。そんな破格の条件が、アインの教え子であるフェルムには与えられていた。

 もちろんこのような厚遇は、アインの願いであったことも大きい。しかしそれ以上に、現在のところは非公式ではあるものの、フェルムがルナ奪還において大きな役割を果たしたことが最大の理由であった。


「ふふ、まあ彼には僕も期待していますから。だからあなたのことがなくても、彼にはできるだけいい環境を与えたいと思っています」

「甘やかしすぎるのも良くないから、ほどほどに……ね」

「ほどほどですか……わかりました、こころがけてみます」

 カイルとしてはあくまで功に見合った範囲の扱いという認識ではあったものの、アインの危惧するところも理解できたため、素直に頷く。

 すると、若き王のそんな反応に、アインはニコリと笑みを浮かべた。


「うん、そうしてくれ。で、君からの要件を受け入れる代わりに、ちょうど私からも君に一つお願いしたいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」

「お願い……ですか。一体、何でしょうか?」

「実は少し会いたい人がいるんだ。ただ、一人で行くのもアレだから、一緒に来てくれないかい。夜までには戻るつもりだからさ」

「会いたい人?」

 キスレチンに着いてそうそうのアインの申し出に対し、カイルは怪訝そうな表情を浮かべる。

 だが思わぬことを言い出した当人は、特に気にする風もなく、更に言葉を重ねた。


「ああ。私がこのキスレチンで会いたい人物が二人いてね。その中でも、さしあたって早く会っておく必要がある方さ」

「……一体どなたです? 早く会わなければならない方って」

「私のちょっとした知り合いでね、フェリアムって言う、こずる賢いおじさんさ」

 まるで近所のおじさんの名を告げるかのような、アインの軽い口調。

 それ故に、カイルは最初誰のことかわからず首を傾げかかる。しかし、すぐにこの国の中でも最も有名な人物の名を思い出すと、彼は思わず目を見開いた。


「フェリアム……って、まさか!?」

「ああ、おそらく君が思い浮かべたおじさんだよ。この国の第一党にして、最大野党の党首。フェリアム・グルーゼンパーク前大統領さ」

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