第22話 フードの中身

 王立大学の校舎隅に存在する薄暗い研究室。

 その窓際で椅子に腰掛けている男は、ぼんやりと外の景色を眺める。


 彼の手元には二通の報告書が存在した。


 一つは、この国の将軍から送られた、先日の一件に関する簡素な追跡報告書。

 そしてもう一つは、その追跡者達の無能をなじる、とある黒髪の女性からの報告書。


 前者はミレンベルグ城からの逃走者が、大統領官邸に入り込んだ事が記されていた。しかし残念ながら、尋常ならぬ警備を前にして、それ以上の十分な調査が行えなかったことを謝罪する内容である。


 一方、後者に関しては、報告者の静かな怒りがその文面に現れていた。

 素人同然の追跡者のせいで、キスレチンが警備と警戒を増強したことに対する苦情と、そんな計画を立案した男に対する罵倒。そしてやむを得ず、一度当地に帰ってくるという内容がそこに記されてあった。


「マルフェスさんに一任したのがまずかったか……でも、さすがにムラシーンの飼っていた諜報員を使うわけにも行かなかったから、仕方ないといえば仕方ないのだろうけど」

 男性は首を左右に振ると、一度深い溜息を吐き出した。


 そして彼は何気なしに、再び外の景色へとその意識を移す。

 すると、本格的な夏の訪れを反映してか、木々の緑が強く彼の視界に飛び込んできた。


「そろそろ見納め……かな」

 週に一度の出勤ではあるものの、ようやく見慣れてきた校舎の庭の景色を見つめながら、彼は誰に言うでもなくそう呟く。

 そして彼はゆっくりと頭を掻き、書き途中であった二通の机の上の手紙へと向き直ると、その内容に若干の修正が必要であることに気がついた。


 めんどくさいという内心はその表情から隠しようもなかったが、彼は軽く首を左右に振り諦めをつける。

 そして彼は再びペンを手に取り、どちらから手を付けたものかと悩み始めたところで、突然部屋のドアがノックされた。


「アイン先生、いらっしゃいますか?」

「ああ、フェルム君か……どうぞ、開いているよ」

 廊下から響く声を耳にして、アインは返事を行うと共に苦笑を浮かべる。

 すると、ほんの一月の間に見違えるほど大人びた印象をまとった青年が、彼の前に姿を現した。


「何か書き物をされていたのですか?」

「少し昔の友人たちに手紙をね。で、今日は何の用かな?」

 昔の友人という言葉に強い興味を覚えたものの、問い掛けを受けたフェルムは、慌てて本題を切り出す。


「これを先生に見ていただきたくて」

「付加魔法の魔石流用に関するレポート草案……なるほど、仕上がったわけだ」

 アインはニコリとした笑みを見せながら、以前とは明らかに厚みの異なる草案の束を目の前の青年から受け取る。そしてそのまま彼は、次々と紙をめくっていった。


「……素晴らしい。もう自分でもわかっていると思うけど、まるで別物になっている。もはや私が指導することは何も無いくらいにね」

「いえ、指導は十分以上にして頂きましたよ。しかも実地で。そのために僕を同行させてくださったのでしょ?」

「はは、私はちょっとだけめんどくさがり屋だからね」

 図星を突かれたアインは、そう口にすると困ったように笑う。

 一方、そんな彼を目にしながらも、フェルムは一切笑みを浮かべることなく、彼に向かって口を開いた。


「先生。この草案を書き上げはしましたが、実はこの研究テーマを変えようかと思っているのです」

「なぜだい? 君の草案を見た限り、破綻した部分は見当たらないし、後は仕上げるだけだ。これだけ立派なものを準備しながら、その理由がわからないな」

 真剣なフェルムの表情を目にして、アインはその表情から笑みを消す。そして目の前の青年に向かい、率直な問いを放った。


「すでに読んで頂いたとおり、僕の研究は魔石から魔力を抽出し、付加魔法の効果を維持するための基礎研究です。本来ならまだ実験室段階の……にも関わらず、実践での応用例を身を以て体験させられたのです。もはやこのレポートに、何の意味があるというのでしょうか……」

 自らの研究が持つ意味。

 それを見失ったフェルムは、戸惑う心境をアインへとぶつける。

 しかしそんな彼に対し、アインは優しく首を左右に振った。


「ああ、なるほど。君の言いたいことはだいたいわかったよ。でも、それは違うよ、フェルム君」

「え?」

「確かに魔石からの魔力抽出を体験させるために、君をあの場に連れて行ったことは事実さ。でもね、あの時見せたアレは非常に特殊な方法なんだ。少なくとも、この私以外には取り扱えないね。だからこの研究の意義は欠片も失われてはいない」

 アインは柔らかい口調で、フェルムに向かってそう語りかけた。

 しかし淡い銀髪の青年は、そんなアインの言葉を耳にしつつも、わずかに下唇を噛む。


「ですが……」

「普遍的に魔石を使用する方法と、アレとは似て非なるものさ。何より私にしか使えない手法は、私がいなくなれば途絶える。でも、もし君がその理論を将来的に体系化することができれば、今後世界中で魔石利用が促進されるだろう。その礎となるレポート、それを書き上げる意味は十二分以上に存在すると、君は思わないかい?」

「魔石からの魔力流用理論を体系化……ですか」

「その通り、体系化さ。誰もが魔石をより有効に使うことができる未来。私もできることなら、見てみたいものだね」

 アインは両手を左右に広げながら、フェルムに向かって微笑みかける。

 その表情を目にして、ようやくフェルムは苦笑を浮かべると、軽く肩をすくめてみせた。


「なんかうまく言いくるめられている気もしますが……分かりました。やってみますよ」

「はは、それは結構。ともかく、私の出来る範囲でなら協力する。フェルナンドと言ってね、いつかこの分野の先鞭を付けた男も紹介してあげたいしさ。ただ、しばらく私はここを不在にするから、ちょっと先になってしまうのが申し訳ないのだけどね」

「不在? 何処かへ行かれるのですか?」

 思わぬアインの発言を受けて、フェルムは首を傾げる。

 すると、途端にアインは渋い表情を浮かべた。


「いや、別に私自身は行きたいわけではないんだけど、そろそろ私のところに依頼が来る頃かと思ってい――」

 アインがそこまで口にしたところで、彼の発言を遮るように二度目のノック音が部屋の中へと響く。

 そして柔らかく、それでいて芯のある声が部屋の中へと放たれた。


「アインさん、いらっしゃいますか?」

「噂をすれば……か。しかも直々のご訪問とは。開いているからどうぞ、カイル」

 アインは頭を掻きながら、部屋の外にいるであろう訪問者に向けて声を放つ。

 すると、顔をフードですっぽりと覆った一人の青年が、ゆっくりと部屋の中へ足を踏み入れてきた。


「お邪魔します。おっと、ここはあそこより綺麗にしていらっしゃるんですね」

「この部屋は借り物だからね」

 カイルの言葉を受け、アインは思わず苦笑を浮かべる。

 だがカイルとしても、その返答に対し弱った表情を浮かべた。


「いや、あそこもお貸ししているだけのつもりなのですが……おや、もしかしてこちらにいるのが例の?」

「ああ。彼がフェルム君さ」

 アインの眼前に立っていた青年をその目にして、カイルはフードの奥の瞳をわずかに輝かせると、興味深げに視線を向けた。

 一方、怪しげな青年によって見つめられる形となったフェルムは、やや訝しげな表情を浮かべる。そしてアインに向かって、目の前の青年のことを問いかけた。


「先生、こちらの学生さんは誰ですか?」

「学生さん……か。はは、確かに君とそう歳は変わらないからね。えっと、彼はカイルと言ってね、私の友人さ」

「初めまして、フェルム君。カイルと言います。先日は、君の先生だけではなく、君にもお世話になったみたいでね。改めて感謝を言うよ」

「へ? お世話?」

 はっきりとその顔は確認できなかったものの、目の前の青年の世話などした覚えのなかったフェルムは、思わず首を傾げた。

 そんな彼に向かい笑いながら首を縦に振ると、カイルはアインへと向き直る。


「その表情だと、僕の用件は既にお分かりのようですね」

「はは、まあね。正直、そろそろ訪ねて来る頃だとは思っていたよ」

「本当はかなり迷いました。でも、ダメで元々という思いで、改めて恥を忍んでお願いに参りました。僕と……僕とともに、南東への旅に付いて来てもらえませんか?」

「やはりその件……か」

 カイルの口から発せられた予想通りの依頼。

 それを前にして、アインは顎に手を当てると、わずかに考える素振りを見せる。そして不意に彼は視線をフェルムへと向けると、何かを思いついたかのように苦笑を浮かべた。

 一方、そんなアインに対し、カイルは机の上に両手を置くと、やや強い口調で目の前の男に懇願する。


「お約束にないことは重々承知です。でも、これ以上彼等に舐められたままではいたくないんです。僕の出来る限りの条件も用意いたします。ですから――」

「彼も連れて行って構わないかい?」

 突然差し挟まれた予想外の言葉。

 それを受けて、一瞬カイルはその場に固まる。そして次の瞬間、眼前の黒髪の男に向かい、喜びにあふれる震える声を発した。


「も、もちろんです。あなたが望まれるのでしたら、当然彼も同行できるよう手配いたします」

「なら、決まりかな。ちょっと働かされ過ぎて過重労働気味だけど、まあ今回の旅を終えたら長期休暇を頂くとしよう」

 アインは苦笑を浮かべながら、ゆっくりと頭を二度掻いた。


「ちょ、ちょっと待って下さい。旅とか同行とか言われてますけど、それって僕のことですか?」

「ああ。ここには彼と君以外、他に誰もいないだろ?」

「でも、僕はこのレポートが……」

 二人の会話をそのまま解釈するなら、アインと同行する形で旅に出なければいけないことになる。

 だがフェルムは先ほどレポートの草案が完成したばかりであった。それ故に、そんな余裕はないと彼は慌てる。

 しかしそんな彼に向かい、アインは思わぬことを口にした。


「ああ、フェルム君。それは心配しなくていい。実験機材ごと、運んでもらうから」

「は?」

 フェルムは最初何かの聞き間違いかと思った。

 この研究を行うにあたり、その機材の量は並大抵の量ではない。それ故に、ここにいる三人だけで運ぶなど、常人の考える発想ではなかった。


 しかし、そんな無理難題を提案されたフード姿の男は、ほんの一瞬だけ悩む姿勢を見せるも、あろうことかあっさりと同意してみせる。


「現地で揃えられるものは、向こうで調達する形でよければ……でも、できれば予算を抑えたいので、出来る限り荷物は絞ってくださいね」

「はは、わかっているよ。というわけで、フェルム君。これで君の問題は一件落着だ。良かった、良かった」

 フード姿の青年の言葉を受け、アインはニコリとした笑みを浮かべると、嬉しそうに頷く。

 だが、置き去りにされたまま話を進められたフェルムは、慌てて声を荒らげた。


「いやいや、何を言っているんですか。運べるわけ無いでしょ」

「え、なんで?」

「だから仮に先生方の旅に僕が参加するとしても、三人だけで機材なんて絶対に運べませんよ」

 フード姿の青年とアインを交互に見つめながら、フェルムははっきりとした口調でそう言い切る。

 そこでアインは、目の前の青年に対し、全く説明が足りていないことにようやく気づいた。


「なるほど……いや、三人じゃないんだ。カイル、申し訳ないけどそのフードを上げてくれないかな。彼には同行してもらうつもりだし、知っておいてもらっていいだろう」

「そうですね、分かりました」

 カイルはそう口にすると、ゆっくりと顔をすっぽりと覆っていたフードを外す。


 その瞬間、フェルムはその場に凍りついた。


「えっ、カイラ……カイラ陛下!?」

 フェルムの目と鼻の先、そこに存在したのはこんな場所にいるはずがない人物。


 そう、この国の王カイラ・フォン・ラインドルその人であった。

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