第17話 そこに存在する意志

「何……ラインドルの王国軍が南下を始めただって?」

 椅子に腰掛けた若い長髪の男は、彼よりも一回りは年上の部下から報告を受けると、思わず椅子から立ち上がり、その眉間にしわを寄せる。


「はい、クルネルソン様。連中は軍事演習と称して、クラリス王国の国境沿いにて、実戦訓練を行っている模様です」

「どういうことだ。なぜ奴らは僕たちに向かって軍を動かさない……」

 クルネルソンと呼ばれた男は、顎に手を当てながらそう口にする。

 すると、彼の部下は一つの可能性に言及した。


「わかりません。もしや、前王たちが捕まっているということに気づいていないのでは?」

「グリセル、そんなことはありえないよ。万が一を考え、数ルートを用いて連中に警告を行っているからね」

 そう、クルネルソンは前王たちを襲撃し捕らえた瞬間から、すぐに様々な方法で王国に向けて自らと人質の存在の誇示を行っている。

 中には、以前より彼と裏で繋がっている王国の重臣も存在し、それ故に彼らの通告が伝わっていないとは考えづらかった。

 しかしながら彼の部下であるグリセルは、状況から判断し別の可能性に言及する。


「しかし、実際に彼らの目が何故か南へと向けられているのは事実です。となれば、もはや前王たちのことを諦めたということでしょうか?」

 グリセルのその問いかけに対し、クルネルソンはわずかに考えこむ。

 しかしすぐに首を左右に振ると、その可能性を否定した。


「いや仮にそうだとしても、それならばなおさら我らに向けて軍を動かすはずだ。人質の命が本当に惜しくないのならな」

 人質の存在があるからこそ、ラインドル王国軍の全面攻勢に直面することなく済んでいることを、クルネルソンは理解していた。


 むしろ彼にしてみれば、そのような事態を防ぐために、前王たちを捕らえることを目論んだわけである。

 だが、このように王国からのリアクションがないなどという事態は、いくら彼でもまったく想定していなかった。


 そうしてクルネルソンは一度押し黙る。そしてその脳内で様々な仮定を並べ始めると、そんなタイミングで突然部屋のドアをノックする音が響き渡った。


「だれだ?」

 急に思考を停止させられたクルネルソンは、やや刺のある声をドアの外に向けて発する。

 するとすぐに、やや野太い男の声が返された。


「ミヤッカです」

 部屋の外から発せられたその声を耳にするなり、クルネルソンはグリセルへと視線を向けた。

 その視線の意味を理解したグリセルは一つ頷く。そしてドアへと歩み寄りミヤッカを迎え入れた。


「失礼します、隊長」

 部屋に入ってきた大柄のミヤッカは、クルネルソンへと向き直ると、直ぐに頭を下げる。

 しかしそんな彼に向かい、クルネルソンは叱責を浴びせた。


「ミヤッカ。今の僕は隊長じゃない」

 その声を耳にするや否や、ミヤッカと呼ばれた兵士は、慌てて佇まいを直す。

 そしてすぐさま謝罪を口にした。


「し、失礼いたしました、クルネルソン様。実は先ほどエレンバウアー様がお見えになられまして、たい……クルネルソン様にお会いしたいと」

 あわや再び呼んではならぬ呼称を口にしかけたミヤッカは、表情を強張らせつつ、目の前の上官の顔色をそっと窺う。

 すると、彼の視線の先の男は、そんな彼のミスではなく報告に対し不機嫌を露わにしていた。


「ちっ、彼らも感づいたということか……」

「やむを得ないでしょう。王国軍がまるで我々に見せつけるかのように、大々的に軍を動かしているのです。彼らの耳に入るのも、時間の問題であったかと」

 横でミヤッカの報告を聞いていたグリセルは、渋い表情を浮かべながら自らの見解を示す。


「確かに……な。しかし、なぜこの時期に……まあいい、とりあえずあまり待たせて、いらぬ疑念を与えるわけにもいかないだろう。エレンバウアーをこちらに呼べ」

「はっ、直ちに」

 ミヤッカは返答を行うなり、速やかに部屋から駆け出していく。

 そんな大男の所作に眉をひそめると、クルネルソンは苦言を漏らした。


「まったく落ち着きというものがない……困ったものだ」

「しかしクルネルソン様。如何致しましょう?」

 その場に残ったグリセルは、自らの上官に向かい険しい表情を浮かべながらそう問いかける。

 しかしクルネルソンは、彼の心配を鼻で笑って見せた。


「ふっ、エレンバウアーのことかい? そりゃあ、彼が僕たちのことを怪しんでいることは知っているさ。だけど僕たちの真の狙いに気づいているとは思えないし、手を切るなんて出来ないことは彼が他の誰よりも知っている。何を言ってこようと、適当にあしらっておわりだよ」

「ですが……いえ、その通りです」

 一瞬、自らより若い目の前のエリートを諌めようかと悩んだグリセルは、自らの前任者が目の前の青年のプライドを刺激して左遷されたことを思い出す。それ故に彼は、口にしかかった言葉をそのまま呑み込んだ。

 だがそんな彼の物言いたげな視線に気づいたクルネルソンは、眉間にしわを寄せる。そしてそのままグリセルに向けて小馬鹿にした言葉を発しかけた。

 しかしそんな彼を遮るように、再びノック音が部屋に響く。


「失礼致します。エレンバウアー様をお連れしました」

 先ほどと同じ野太い声が部屋の外から発せられると、途端にクルネルソンは表情を一変させ明るい声を発した。


「おお、エレンバウアー殿か。どうぞどうぞ、お入りくださいな」

 その声を合図として部屋のドアが開かれると、そこから先ほどの大男とともに、彼に勝るとも劣らぬ中年の偉丈夫が姿を現した。


「クルネルソン殿、お忙しいところ申し訳ない」

 兵士としては標準的な体格をしているミヤッカが、まるで貧弱な男性に見えるほど自らの肉体を鍛えあげたエレンバウアーは、欠片も申し訳無さそうな素振りを見せずそう口にする。


 エレンバウアー・フォン・サレート。


 もともと猜疑心の非常に強かったムラシーンが、王都から身動きを取れぬ時に、自領の私兵の全てを預けるほど信頼した男が、このエレンバウアーである。


 そんな彼は、元々王都の警備兵の一人に過ぎなかった。

 しかしながら、その鍛えあげられた肉体は明らかに他の警備兵を凌駕しており、偶然ムラシーンの警護を務めた際に彼の目に留まる。


 最初はその個人としての武力のみを買って、ムラシーンは彼に直接警護を任せた。

 そうした中で、感情の起伏はあるものの彼個人に忠誠を誓い、自らの命令を忠実にこなすこの男をムラシーンは気に入り、ついには自領の治安維持を任せるに至る。


 そして今回のムラシーンの意思を継ぐものと名乗る独立軍は、彼が鍛え上げたこの地の治安部隊がその中心を担っていた。

 そんな事情もあり、彼は出所不明の膨大な資金と情報を持ち込んだクルネルソンとともに、この独立軍の頭として存在している。


「はは、いやお気になさらないでくださいエレンバウアー殿。で、此度はこの僕に何の御用で?」

「貴殿のところにも既に情報が届いているのではないかと思う。王立軍の連中が南下したとな」

 そのエレンバウアーの発言を受けてクルネルソンは、わざと首を傾げてみせる。

 しかしわずかの間ののちにポンと手を打つと、たった今思い出したかのように口を開いた。


「ああ、そういえばそんな報告も耳にしましたな。して、それがどうかされましたか?」

 笑みを浮かべながら、自らの告げた話をなんでもないことのように扱うクルネルソンを目の当たりにし、エレンバウアーはこめかみに青筋を浮かべる。


「どうかした……だと? この私には由々しき問題に思えるが、クルネルソン殿は違うとおっしゃるか」

「はて、由々しき問題? 一体何のことでしょうか」

 自分より遥かにたくましい肉体を持った偉丈夫の怒りを目の当たりにしながらも、クルネルソンは特に気にした風もなくあえてとぼけてみせる。

 すると、いよいよ我慢しきれぬといった様子で、エレンバウアーは声を荒らげた。


「だから先程も言ったであろう。連中が軍を南下させたことだ。これはつまり王都の連中は我々を無視しているということだぞ」

「はぁ、結構なことだと思いますが」

「結構だと……何を言っているのだ貴殿は! このままでは、奴らにこのムラシーン国の独立を認めさせることができんではないか」

 エレンバウアーはクルネルソンに向かって歩み寄ると、彼らを分けるように設置された執務机に向かってその両拳を振り下ろした。

 拳が机と接触するなり、その衝撃は部屋の床へと伝わり、その場に同席していたグリセルは地面が揺れたかのような錯覚を覚える。


 だがそんな目の前の男の威圧的行為を受けても、クルネルソンは一向に動じた素振りを見せず、首を軽く傾げながら言葉を発する。


「はて、そうですかな? 敵は我々に恐れをなし、南へ降った――」

「そんなわけがあるか。王立軍にどれだけの兵がいると思っている。我々の数百倍だぞ。にも関わらず、我々に恐れをなす理由などあるものか」

 クルネルソンのありえぬ仮定を聞く気はないとばかりに、エレンバウアーは現実を彼へと叩きつける。

 しかしそれでもなお、クルネルソンは薄ら笑いをその表情に浮かべ続けた。


「ふむ、まあたしかにそうでしょうな。で、それで?」

「あまりふざけるなよ、クルネルソン。貴様があの作戦の指揮をとったのだろうが。にも関わらず、手に入れた人質はなんの役にも立っていない。その責任をどうするつもりかと私は聞いているのだ?」

 いよいよ我慢ならないといった様相で、エレンバウアーは自らの来訪の真の目的をクルネルソンに叩きつける。

 一方、過日の作戦行動の責任の所在を問われた長髪の青年は、両手を左右に広げながら、不敵に笑ってみせた。


「ああ、そういうことですか。それならそうと早く言ってくださればよかったのに。ですが、残念ながら責任の意味が僕にはわかりませんね」

「なんだと!」

 彼の発言をあざ笑うかのような、目の前の小僧の発言を耳にして、エレンバウアーは今にも掴みかからん勢いでその怒りを露わにする。

 しかしながら、彼が具体的な行動に出ようとするのを制するかのように、クルネルソンは一つの問いを口にした。


「では逆にエレンバウアー殿に聞きますが、前王たちを捕えることで、僕らに何か不利益でもありましたか?」

「むっ……それは……」

 クルネルソンの問いかけを受けて、思わずエレンバウアーは言葉を失う。

 そんな自らより二回りは大きな男に向かい、クルネルソンは不敵な笑みを浮かべつつ口を開く。


「特にない……そうですよね。だったら別に構わないでしょう」

「確かに不利益は出てはいない。だが利益もないのでは、あれだけの人員や武装を持ちだして前王を襲ったことは無駄であったことになる」

 この独立軍の主導権を、胡散臭い目の前の男からどうしても奪いたいと考えていたエレンバウアーは、負けじとばかりにそう発言する。

 しかしながらそんな彼の抵抗を、クルネルソンは皮肉げに笑ってみせた。


「はは、確かにあの時に投入した部隊の多くの者は、エレンバウアー殿にお借りしました。ですが、彼らはほぼ無傷でお返ししたはずです。更に付け加えるなら、兵士たちの武装などはもとより、使用した兵糧なども我々が提供したもの。はて、違いましたでしょうか?」

 そのクルネルソンの言葉が発せられた瞬間、エレンバウアーは目の前の男を睨みつけつつも押し黙る。

 そんな彼に向けて、クルネルソンは更に言葉を続ける。


「まあどちらにせよ、エレンバウアー殿。今は無意味な手札でも、役に立たないとは限りません。ましてや私たちが持っているカードは二人の王族なのです。切り札というのは、いざという時に切るためにこそ持っておくものですよ」

「……いいだろう。今は貴殿の言うことを受け入れるとしよう」

 一つ一つが癇に障るクルネルソンの発言に対し、現状ではこれ以上詰め寄ることが出来ないと理解せざるを得なかったエレンバウアーは、やむなく引き下がることを宣言した。

 一方、そんな彼の反応に対し、クルネルソンは満足気に一つ頷くと、改めて自分たちが譲歩していることをアピールする。


「ありがとうございます。いや、エレンバウアー殿のお考えはわかります。どこの馬の骨かわからぬ者たちが、急に協力を申し出て、我が物顔で振る舞う。たしかに僕が貴方の立場でもいい気はしないでしょう。ですが、ここは僕たちを信頼していただきたい。その信頼の一環として、王族という切り札はあなた方の管理下に預けているのですから」

 さて、王族二人を力ずくで誘拐する作戦を立案したクルネルソンであるが、その管理はエレンバウアーたちに任せている。

 これはもちろん彼らに対する譲歩を形として示しているものであるが、それ以上に王族に対するクルネルソンの評価を如実に現していた。つまり、彼の真なる目的に対し、王族というカードはそこまで重要視されるものではなかったということである。


 こうして、彼らの間で交わすべき会話は終わった。


 この場での敗北を認めたエレンバウアーは、苦々しい表情で部屋を辞そうと発言しかける。

 しかしそのタイミングで、まったく予期せぬ報告が、部屋の中へと飛び込んできた。


「て、敵襲! 王国軍ですっ。王国軍の連中が突然姿を――!」

 エレンバウアーの子飼いの兵士は、顔面を蒼白にしながら部屋の中に駆け込んでくる。

 そんな彼の言葉が最後まで発せられることはなかった。


 何故ならば、城全体が揺れるかのような衝撃とともに、まったく別の音が一同の鼓膜をこの上なく強く震わせたためである。




「はは、学生の相手も悪くないけど、やはり戦場はいいね!」

 自らが解き放った爆発魔法が生み出した爆風。


 その風に髪をなびかせながら、レリムは満足気な笑みを浮かべる。

 すると、隣に立っていたマルフェスは、頬をひきつらせながら彼女に向かって声をかける。


「おい、レリム。あんまりやり過ぎるなよ。城の中には、お二方がいらっしゃるんだからな」

「わかっているさ。だから見ての通り手加減しているし、それにこれくらい使ったところで、何も問題になりはしないさ」

 不敵な笑みを浮かべていたレリムは、マルフェスのたしなめるかのような声を耳にするなり、やや不機嫌な声を発する。


「バカを言うなよ、レリム。本当に目的はわかっているのか? 俺たちの仕事は、この城を壊すことじゃないんだからな」

「……あんた、ちょっと偉くなったからって、いつからそんな良い子ちゃんになったんだい? それに、あたしはただあいつに言われた仕事をやっているだけだ。別にこの城を壊したいなんて思っちゃいないよ。さ、というわけで、次はもう少し本気を出してみようか」

「ま、待て――」


 レリムの言葉を耳にした瞬間、目を見開いたマルフェスは慌てて彼女を止めようと声を発した。

 しかしそんな彼の声は、あっさりと途方も無い爆音によりかき消されることとなる。


「弾けな、エクスプロジオン!」


 元宮廷魔法士長の女性が放った二発目の爆発魔法。

 この場にいない二人に対する合図としては、あまりに過剰ともいえるこの魔法が、まさに今回の作戦の始まりを告げる鐘となった。

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