第8話 クレイリーという名の男

「ルナ様。すぐに離れてください! この山賊は僕が引きつけますので!」

 フェルムは目の前のスキンヘッドの男から放たれた棍の一撃を、体勢を崩しながらどうにか体を捻る形で回避すると、背後に立つルナに向かってそう告げる。

 一方、当然のことながらそのフェルムの発言は、目の前の男の怒りを駆り立てるには十分であった。


「だれが山賊だ、コラ!」

 自らのことを山賊と表現された強面の男は、額に青筋を浮かべると、更に前方へと一歩踏み込む。そして体勢を崩したままのフェルムを豪快に蹴り飛ばした。


「うぐっ! な、なんだよ一体!」

 腹を抱えながら地面を転がる形となったフェルムは、痛みを押し殺しながら目の前の男に向かいそう吐き捨てる。しかし、まさにそのタイミングで追撃の棍の一撃が自らに迫り来るのを視界に捉えた。

 彼は舌打ちをひとつはなつと、自ら地面をさらに勢い良く転がり、どうにか棍の一撃を回避する。

 そしてフェルムは慌てて立ち上がると、反撃とばかりに一気に風の魔法を編み上げていった。


「やらせねぇよ!」

 フェルムが魔法を使おうとするのを察知した男は大地を強く蹴り、フェルム目掛けて地面の砂と小石を浴びせかける。


「な!」

 普段の大学で行っている模擬戦ではありえない目の前の男の行動に、フェルムは思わず動揺すると、魔法を編み上げるのを中断して目を守るために右手を顔の前へと動かした。


 反射的と言ってもいい、その判断。


 結果的にそれがフェルムにとって致命的な隙となった。

 地面を蹴りつけた男は、魔法の反撃がないと判断した瞬間、フェルムの腹に向かって容赦無い棍の一撃を放つ。


「グホッ!」

 胃の内容物を全て吐き出すかのように、彼はその場で嘔吐すると、そのまま痛みのあまり地面を転げまわる。

 しかし、彼と対峙していた男は、そんな彼を見逃すほど甘くはなかった。


「クソガキ、これで終わりだ!」

 凄みのある笑みを浮かべ、地面にのたうち回るフェルムに向かい、その男は棍を突き立てようとする。

 しかし、そんな彼の行動を妨げたのは、その後背から放たれた言葉と拳であった。


「このまま終わりにするのは少し勿体無いわよね。だから、私も少し手合わせしてもらおうかしら、クレイリーさん?」

 柔らかく美しいものの、明らかに強い意志が乗せられたその声。

 それを耳にした瞬間、クレイリーは後ろを振り返ると、彼は自ら目掛けて鋭い拳の一撃が迫っている光景を目にした。


「……あっしのこと、知っていやしたんですか」

 体を逸らすことで小柄な女性の拳をどうにか回避すると、クレイリーはルナに向かってそう問いかける。

 一方、問い掛けられたルナはニヤリとした笑みを浮かべた。


「ええ。この国が変わったあの日、貴方はあの方と二人で王宮の庭を歩いていらっしゃいました。その時にそれまで人質に取られていた一人の母親がお礼を言いに行ったこと。そしてその側に無口で可憐な少女がいたこと。貴方は覚えていらっしゃいますか?」

 そう言い切るや否や、ルナはクレイリーめがけて体重の乗った二撃目の拳を放つ。

 クレイリーは渋い表情を浮かべると、襲いかかる少女の拳を、側方へと飛び退ることで回避した。


「ええ、無口な少女ですよね、覚えていやすよ。まさかこんなにお転婆になられているとは、思いもしやせんでしたがね」

 一度間合いを取りなおしたクレイリーは、軽く呼吸を整えると、改めてルナと正面から対峙する。

 一方、奇襲に近い自らの初撃、そして確信を持ってはなった二撃目が回避されたことに、ルナは少なからず驚きを覚えていた。


「……さすがですね。あの方の右腕と呼ばれるのは、やはり伊達じゃないということかしら?」

「はは、冗談はやめてくだせぇ。あの人の周りには二人……いや、三人ほど本物の化け物がいやすからね。あっしのこいつはただの素人の手習いでやすよ」

 そうクレイリーは口にすると、自らの手に持つ棍をポンポンと遊ばせる。

 その仕草を目にして、ルナは嬉しそうに右の口角をわずかに吊り上げた。


「素人の手習い……ね。ふふ、本当に親衛隊の方々は奥ゆかしい方が多いのですね。では、私にもその素人の棍捌きを見せて頂けるかしら」

「本気でやすか?」

「ええ。今の貴方の得物を見れば、あの人の意図はなんとなくわかります。だからこそ私にも稽古をつけてくださいと、つまりそういうことです」

 ルナはそう言い切ると、次の瞬間地面を強く踏み出し、そしてクレイリーへと接近する。

 クレイリーは想像以上に早いその出足に一つ舌打ちすると、彼女の突進を止めるため棍を前方に突き出した。


 彼女の行動に対応する形で放たれたクレイリーの一撃。

 それはルナの想像の範疇であった。


 彼女はあらかじめ予期していた棍の突き出されるラインを回避するように姿勢を更に低くすると、そのままクレイリーの至近まで一気に詰め寄る。

 そして彼女の拳が、彼を捉える距離となったその瞬間、突然彼女の背には衝撃が走った。


「相手の行動を予測し後の先を取るでやすか。なるほど、旦那があなたに稽古をつけているというのは本当のようでやすね。だが……まだ甘い」

「突き出した棍をそのまま斜め下方へ振るったのですね」

 地面に這いつくばる形で叩きつけられたルナは、自らの身に襲いかかった一撃のことをクレイリーに問いかける。

 すると、クレイリーは軽く首を縦に振った。


「戦いにおいては先を読むだけじゃなく、先の先を読まなければいけない。貴方も聞いたことが有るんじゃないでやすか? あの人が口を酸っぱくしてよく言うセリフでやすよ」

「……ええ、伺っています。そしてあの方はいつも言っています。相手の力量を読み間違ってはいけないよと……どうやら私一人では分が悪いようですね。さて、フェルム先輩。時間は稼ぎましたよ」

「なに!?」

 ルナの言葉を耳にして、クレイリーはとっさに後方を振り返る。

 するとその視線の先には、片手で腹部を抑えながらも、空いた右手で風の魔法を編み上げた青年の姿があった。


「トゥール・ビヨン!」

 その青年の右手の前に生み出された風の束は、その呪文が唱えられた瞬間、一気に前方の男に向かって解き放たれる。


「ちっ、ラインドル式の風魔法か!」

 先ほどまでの笑みを表情から消したクレイリーは、側方に飛び退るような形でその一撃を回避する。


「ルナ様。言いたいこと、そして聞きたいことは非常にたくさんありますが……ここは力をおかしください」

「ええ、もちろんです。先輩」

 さきほど何もできなかったというわずかな苛立ちと、そしてそれ以上に目の前の標的に対する興味。

 未だに棍の一撃を受けた腹部は、フェルムに活動を止めるよう痛みという形で訴えかけてくる。しかし、その痛みよりも上回る、興味という名の強い欲求が彼を動かした。

 そして次の瞬間、彼は一気にその新たな風の魔法を構築すると、目の前の男に向かい解き放つ。


「ラファール!」

 彼の右手から解き放たれた突風とも呼ぶべき猛スピードの風は、まっすぐにクレイリー目掛けて襲いかかった。

 クレイリーは舌打ちを一つ打つと、斜め前方へと大きく踏み出し、魔法の回避とフェルムへの接近を同時に行おうとする。

 しかし、そんな彼の動きに反応する一つの影が存在した。


「後の先。貴方ならただ避けるだけではなく、少しでも自らに有利な位置へと体を動かすと思っていました」

 さわやかな笑みを浮かべながらそう言い放ったルナは、彼女の接近を予期していなかったクレイリーに向かい、全力で拳を叩きつける。


「くぅ……なかなかやるでやすね」

 彼女の拳が狙ってきた下腹部を守るように、クレイリーは棍を握る右腕の肘で彼女の一撃を受け止める。そして肘から走る痛みで顔をしかめながら、クレイリーは体勢を立て直すために大きく後ろへ飛び退った。

 だが、そのクレイリーの下がろうとした先には、もう一人の青年が魔法を編み上げながら待ち構えていた。


「フードル!」

 青年が右手を突き出しその呪文を口にした瞬間、彼の右手から稲妻がほとばしり、一気にクレイリーめがけて解き放たれる。


「やる……なるほど、旦那が目を掛けるわけだ、だが!」

 慌てて側方へと転がるように飛び、ぎりぎりのところで姿勢を崩しながら回避したクレイリーは、思わずそう呟く。

 しかし、視線を上げた彼はそこで予期せぬものを目にした。


「フードル……トゥーブル!」

 その呪文が響き渡った瞬間、クレイリーの目は大きく見開かれる。

 彼が目にしたもの、それはただの一学生が同時に二つの稲妻を制御して操ろうとする光景であった。


 その魔法を目にした瞬間、クレイリーははっきりと二つのことを悟る。

 そう、どのように動こうとも、もはやこの二本目の稲妻は回避し得ないということを。


 そしてそれと同時に、目の前の青年たちの死角にいるあの男が、先の先の先を読んで、既にその魔法を侵食しようとしているだろうということを。


「クラック!」


 ある男の口の中でその呪文が唱えられた瞬間、クレイリーへ向かっていた稲妻は、突然まるで幻であったかのように消失する。

 その予想だにしない出来事に、その場にいた二人の学生は呆然とし、そしてその理由を知るクレイリーは禿頭を軽く撫でた。


 一瞬の静寂。


 それを破ったのは、頭を掻きながら苦笑いを浮かべる黒髪の男の声であった。


「はい、そこまで。うん、中々におもしろい戦いだったよ。そして腕を上げられましたね、ルナ様」

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