第7話 山賊

 ラインドルの首都セーブルの南西に位置する迷いの森。

 普通の人間ならば決して足を踏み入れないこの森に、一人のやや大人びた青年と、フードをかぶって顔を隠した少女の姿があった。


「ルナ様。こんな所まで来てしまいましたけど、あの……本当に大丈夫なんですか?」

「ここまで来たら、もう誰も私のことに気づく人なんていませんよ。先輩は本当に心配症ですね」

「いや、そういう意味ではなくてですね……」

 王宮に連れ戻されることの心配しかしていないルナを目にして、フェルムは額に手を当てながら言葉を濁す。

 すると、そんなフェルムの仕草を目にしたルナは、ニコリと彼に向かって微笑んだ。


「ふふ、まあ、ここまで来てしまったらもう一緒ですよ。それにこの迷いの森には私を狙う人なんかいるわけ無いし、むしろ逆に安全だと思いませんか?」

「それはそうかもしれませんが……ですが、本当にこんなところにアイン先生はいるんですか?」

 いつもポジティブな思考しかしない目の前の王女に内心で頭を抱えながら、溜め息混じりにフェルムはそう問いかける。


「ええ。ここにいるはずです。週一回の大学に来る日以外は、いつもここに引きこもって研究しているって聞きましたから」

「しかし、ルナ様。とてもこんなところに住む人なんていないと思いますが……一体、どなたがそんなことを言っていたんですか?」

「えっ、お兄様だけど、それが何か?」

 フェルムの問いかけに対し、ルナはなんでもないことのようにあっさりとこの場所のことを彼女に教えた当人のことを口にする。

 その回答を耳にした瞬間、フェルムは一瞬石になったかのように固まり、そしてその後に目を見開いた。


「お兄様って……ええ!? ちょ、ちょっと待ってください」

 人気のない静寂に包まれた森の中に、フェルムの驚きの声が響き渡る。

 普段は落ち着き払って動揺を見せることのないフェルムが、突然甲高い声をあげたためルナは逆に驚いた。

「え、なに? どうしたんですか? 急に大きな声なんか出されて」

「ルナ様のお兄様って、それってつまり国王陛下のことですよね?」

 ルナの意外そうな表情など気にもとめず、フェルムは矢継ぎ早に彼女に問いかける。

 その問いに対するルナの回答は、至極簡素なものだった。


「うん、そうですよ。うちのカイラ兄様」

 その回答を耳にした瞬間、フェルムは口をあんぐりと開けて硬直する。

 そして、はっと我に返った彼は、脳裏に湧き上がった一つの疑問を彼女へとぶつけた。


「どうして陛下が……そう、どうして陛下があのアイン先生の居場所を知っているんですか?」

「そりゃあ、兄様があの人にあげたんですしね」

「あげたって……一体何をですか?」

 不意に不吉な回答がもたらされる予感を覚えたフェルムだが、好奇心と興味が勝り、恐る恐るルナに先を促す。

 すると、やはり彼にとって驚くべき回答が、彼女の口からあっさりと紡がれた。


「迷いの森にあるお兄様の持ち物なんて一つ。以前、レジスタンス時代に使っていた館に決まっているじゃないですか」

「レジス……って、えええ!」

 この地に来る段階で、アインがかの館に住んでいるということは彼女から聞いてはいる。

 しかしながら、それが国王自らアインに与えられたものとはさすがにフェルムも考えてはいなかった。


「ちょっと、フェルム先輩。さっきから声が大きいですよ。こっそりここまで来ているんだから、もう少し静かにしてください」

 普段は冷静沈着で決して取り乱さぬフェルムの姿に頬を緩めながら、ルナはあえてニコリとした笑顔を浮かべつつそうたしなめる。


「いやいや、それどころじゃないでしょう。ちょっと待って下さい。何なんですか、それは。どうして先生がレジスタンスの使っていた館をもらえるんですか」

「そりゃあ、仲がいいからじゃないかしら?」

 わずかに首をひねりながら、依然として動揺を隠せない先輩に向かってルナはそう告げた。

 その答えに対し、どうしても無意識に理解が妨げられ、フェルムは頬を引き攣らせながら彼女へと確認する。


「だれと……だれが……ですか?」

「決っているじゃない、お兄様と先生がです」

 大学一の天才が凍りつくその眼前で、ルナは落ち着き払った声で、一つの事実を告げる。

 一方、鼓膜を打ったその言葉に、思わずフェルムはつばを飲み込んだ。そしてわずかに震える声で彼は目の前の王女へと一つの問いを口にする。



「……ルナ様。一体……そう一体、アイン先生って、何者なんですか?」

「ふふ、それはね……って、危うく口を滑らすところでした。先輩、それは自分で調べてください。そしてその答えにもし至られたら、それは貴方の胸の中でしまっていてください。この国とあの方のためにもね」

 ルナはそう口にすると、そのままフェルムに軽くウインクをしてみせる。そしてそれ以上は答えませんよという意思表示であるかのように、少し速度を上げて彼の前を歩き始めた。


 その場に取り残される形となったフェルムは、怠惰でずぼらでだらしないというアイン博士像が、自らの脳内でガラガラと音を立てて崩れていくのを感じ取っていた。

 彼の足は、目の前の少女から遅れないよう、どうにか歩みを続ける。

 しかし彼の脳内は、黒髪の男に対する疑問と様々な仮説で埋め尽くされ、彼の口からは無意識にその思考の一部が漏れ出していく。


「陛下と友人……レリム先生とも顔なじみ……ビグスビー校長が認めている……」

 おぼろげながら、一つの仮説がフェルムの中で生まれ始めていた。

 しかし、彼の中に存在する常識という名の二文字が、ありえないという判断を何度も下し、決してその仮説が彼の脳内で形取ることはなかった。


 そうやって、ぶつぶつと独り言を呟きながら歩き続けるフェルム。

 そんな彼をよそに、前方を軽い足取りで歩いていたルナは、ようやくその視線の先に目的としていたとある館を捉える。


「先輩、ちょっと先輩。帰ってきて。ほら、目的地につきましたから」

 暫くの間、自分の世界に入り込んでいたフェルムに向かい、苦笑交じりにルナはそう呼びかける。

 すると、ようやくフェルムははっとした表情となり、彼女の呼びかけに応じた。


「あ、すいません。えっと、あれ……ですか?」

「ええ、私も実物を見るのは初めてですけどね。お兄様に聞かされていたとおり、こんな森の奥に似つかわしくない、古びた大きな館。間違えるようなものは、他にないと思いますよ」

 フェルムが指し示す館へとあらためて視線を移し、ルナは一つ頷く。そして、彼女は意を決して森の茂みの中からその館の庭へと足を踏み入れた。

 フェルムは彼女に遅れないよう、慌てて彼女に駆け寄る。

 そしてルナの側に辿り着いたその瞬間、彼の鼓膜はガサリという、ほんの小さな異音が周囲で発せられたことに気がついた。

 不意に背中に一筋の冷たい汗が流れ落ちるのを感じ、フェルムは周囲を見回す。

 しかし彼の周囲には何も存在しない。

 そして何気なく上方の館の屋根に向かい視線を移した瞬間、彼は上から落下してくる一つの存在をその目にした。

 そう、彼目掛けて棍を振りかぶりながら落下してくる一人の男を。


「くっ!」

 回避するのは困難ととっさにフェルムは判断すると、両腕をクロスする形で自らの頭部を庇い、重力の乗った木の棒の一撃を受け止める。

 一方、不意打ちとなる一撃を止められたその山賊様のスキンヘッドの男は、鮮やかに地面に着地すると、にやりとした笑みを浮かべながら軽く距離をとった。


「ほう、こいつを受け止めるか……なるほど、旦那が目をかけるわけだ」

 その禿頭の男は口の中でそう呟くと、目の前の青年たちを睨みつけて口を開く。


「おい、クソガキども。誰に断ってこの地に足を踏み入れた」

「と、突然何を――」

 突然の蛮行に腹を立てたフェルムは、見るからに強面である眼の前の男に向かい、恐怖心を押し殺して反論しにかかる。

 だが彼が全てを言い終えるより早く、山賊の如き風貌の男は次なる棍の一撃を彼に向かって浴びせ掛け、その口を封じた。


「あん、なんか文句があるのか、ひよっこ? ここはてめぇらみたいな、乳臭えガキの来るところじゃねえんだよ」

「待って下さい。僕はこの館の中にいる人に用事があるんです」

「あん、用事だと? だとしたらあっしを……もとい、この俺様を倒してから行くんだな」

 その恐ろしい顔つきの男は、わずかに言い間違えたことに一瞬表情をしかめたものの、気を取り直して彼らを睨みつける。


「いや、ちょっと待って下さい。僕らの話を――」

「うるせえ、問答無用!」

 強い怒気を込めた強面の男の一喝により、フェルムは言葉を失う。

 そして次の瞬間、目の前の男は再び棍を片手に彼目がけて襲いかかってきた。

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