第15話 エルムンドの戦いⅠ

 帝都南部に位置するエルムンド平原。

 周囲を森林に囲まれながらも、大きく開けたこの平原は、青々と茂る草がどこまでも広がっている。そんな夏草の広がるこの土地へ到着したフィラメント軍が目にしたもの、それは大地の彼方に大きく広がる黒色の一団であった。


「ふふ、やはりここを死に場所に選びおったか」

 フィレオは横に大きく広がって陣取る黒の一団を目にして、ニヤリとした笑みを浮かべた。

 すると、その言葉を耳にしたメディウムは、彼なりに帝国の思考をトレースしようと試み、そして口を開く。


「数の上では帝国の方が兵数は多い。遊兵を作りたくないということか」

「もちろん、それもあるだろう。だが、それ以上に我らの魔法への対策かもしれんな。どちらにせよ、我が軍としてはこの手前のロムシアラ渓谷で戦いを挑まれた方が遙かに嫌ではあったが……守りよりも攻めを優先したということだろう。どちらにせよ、この開けた場所での戦いは、我らにとって悪くはない」

 メディウムの解釈を一部肯定しつつも、フィレオは自らの持論を織り交ぜて帝国の配置をそう評した。

 一方、そんな彼らの戦略論を無視するかのように、もう一人の御三家の当主であるウイッラは、彼らの隣でよだれを口角から垂らしながら、いつもの引き笑いを見せる。


「ヒッヒッヒ、帝国のゴミクズ君達はまだ自分のことがわかっていないのかな? いないのかな? クククッ、まあ、僕はモルモット君達に楽しい人殺しをさせてあげられるなら、何でも構わないけどね」

「……どちらにせよだ、例の作戦でいくのだな?」

 ウイッラの言動に眉をしかめながらも、メディウムは一つ溜め息をついたのちに、フィレオに向かいそう問いかける。


「もちろん、当然だな。この策を取る為に、わざわざ奴らのいなくなったエーデミラスで一夜を過ごしたんだ。あれを無駄な作戦遅延だったということにしたくないものだな」

「ヒャヒャヒャ、ボクも自分の美学に反した行いを我慢している。許せない、許せないけど、ゴミクズ君達の命で我慢してあげる。ああ、彼らの絶望が、恐怖が見えるよ。ああ、エクスタシー!!」

 戦いを前にした高揚感のためか、ウイッラは普段以上にハイとなり、彼の口にする言葉を残りの二人は半分も理解できなかった。

 しかし、この戦争の間にウイッラという人物に対しだいぶ慣れてきたためか、フィレオは彼を丁重に無視して、メディウムに向かい口を開く。


「……取り敢えず、まずは手はず通りだ。メディウム殿。約束通り、今回も貴公の軍を借りるぞ。貴公には、前回同様に最後衛の警戒をお願いする。なにしろここはやつらの土地だ。どこに伏兵を潜ませているかわかったものではないのだからな」

「わかっているさ。今回の戦いは君が指揮官だ。指示には従おう」





「予想通りだな」

 帝国軍の幕僚本部の中心。

 そこに座していたノインは、近づきつつあるフィラメントの一団を目にして満足そうに笑う。

 そんな彼の側に控える軍務副長官のホプカインは、皇太子の発言に一つ頷き、目の前の光景を言語化した。


「ええ、敵の右翼から深緑、黄土、群青の順番。前回のエーデミラス城塞攻略戦の時と同じ隊列という訳ですね」

「ふむ、ではとりあえず前哨戦といこうか。前衛には十分な矢は行き渡っているか?」

 おそらく返されるであろう答えを理解しながら、あえて念を押すためにノインは副長官に問いかける。


「もちろんです、殿下。全将兵は既に殿下の号令を、一日千秋の思いで待っております」

「焦るな、副長官。どうせこの距離で矢を放とうとも、敵軍にはほとんど届きはせん。私はあまり無駄が好きではないな」

「はい、心得ております」

「だがやはり準備は必要だ。敵軍が射程距離に入り次第、一気に矢を斉射する。前衛はそろそろ射撃の準備せよ……ん、まて。あれは!」

 ノインはそう口にしたところで言葉を止めると、遠くに見える敵陣で、魔法の煌めきが生じたことを見逃さなかった。


「敵軍の魔法構築……この距離は奴らの距離ということですか」

「さすがフィラメントと言うべきかな。我が軍の魔法射程で、相手との距離を図るべきではないということのようだ。計画とは若干違うがやむを得ん。魔法防御士隊、前面に防御結界を構築せよ! そして全軍を少し前進させる」

「殿下。しかしそれでは」

 ノインの口から吐き出された命令を耳にして、ホプカインは思わず躊躇の声を上げる。

 その副長官の声の意味を理解したノインは、苦笑いを浮かべながらも、しっかりと敵陣を見つめながら口を開いた。


「副長官、君の言いたいことはわかっている。しかしだ、この距離でなぶり殺しになる訳にはいかない。それに作戦を第二段階に進めるためにも、このまま待ち続けるわけにはいかん」

「ですが……いえ、仰るとおりです」

 皇太子の決断を耳にしたホプカインは、一度大きく息を吸い込んだのちに、彼も腹を括る。そしてノインの説明に納得し一度頷いた。


「ならば急げ。敵の魔法はいつ射出されてもおかしくない。防御壁を急ぐのだ」

 敵陣で次々と魔法の煌めきが生じ始め、ノインは舌打ちをしつつホプカインに向かい、急ぎ指示を下す。

 そして矢継ぎ早にその指令は伝達され、今回防御魔法を担当する魔法士達は、自軍の前方に魔法による防御壁を編み上げ始めた。そしてようやく魔法の展開を行うだけとなったところで、敵兵を監視していた部下の一人がノインに向かって報告を行う。


「敵軍より魔法の一斉射出を確認。まもなく我が軍へ到達します!」

「急ぎ防御壁を構築! そして敵の第一射を凌ぐと同時に、一気に全軍前進だ!」

 険しい表情を浮かべたノインの指示が、本陣内に響く。その指示が発せられた瞬間、帝国軍の前方には、無数の魔法壁が構築される。

 そしてそれらの防御壁はたちまちフィラメントの魔法とぶつかりあい、爆発音が周囲に鳴り響いた。


「我が軍の魔法防御壁はほぼ壊滅。破壊された防御壁の隙間から、多数の攻勢魔法が我が軍へ到達し、被害が出ております!」

「わかっている。この距離での戦いは明らかに我が軍が不利だ。早く、指示通り全軍前進せよ!」

 部下からの状況報告を受けたノインは、僅かに焦りの色を浮かべながら、大声で前進を命じる。その指示をとなりで聞いていたホプカインは、重ねて指示を繰り返した。


「全軍前進。敵を弓の射程内に捉えるまで前進だ。敵が再び魔法を編み上げる前に、できるかぎり前進せよ!」

 威厳に満ちた声で、ホプカインの号令が部下たちに向け放たれる。その指示を受けた帝国軍は、その指示が発せられた途端、一気に軍を前進させる。


「敵軍、第二段の魔法を準備している模様! すぐに魔法の構築が開始されるものと思われます」

「くっ、さすがに早い。魔法士隊、防御魔法の再構築準備を!」

 部下の報告を受けて、ノインは敵軍へ視線を向け直す。そこには再び魔法を構築しているが故の煌きがそこかしこに見て取れた。


「殿下……やはり魔法に関しては、奴らは侮れません」

「当然だ。そんなことは、この戦いが始まる前からわかっている。そしてだからこそ前進させるのだ。敵の魔法を防御にも分散させなければ、我が軍は超遠距離からの攻撃だけで壊滅という事態に陥るぞ。なんとしても、敵軍を弓兵の射程内にまで持ち込め」

 そう発言したノインは、自らの本陣も前進させるよう指示を行う。


「お待ちください、殿下。何も殿下までが危険に合う必要はございません。本陣はここに置かれて、兵達の戦いをご覧ください」

「ふん、今回の策を最初から最後まで把握しているのはこの私とあいつだ。そしてこの帝国本隊を、私以外の誰が指揮すると言うんだ?」

「ですが……」

「君の気持ちはありがたく受け取っておく。だが、後衛に控えていては正確な指揮など取れん。そして今ここで議論している時間はない。さあ、前進だ!」

 ノインは遠くに見える三色の敵軍を睨みつけ、ホプカインの静止を振り切り本陣を前進させていく。

 そして帝国軍の前線に配置された弓部隊が、ようやくフィラメントを射程内にとらえた時、敵軍の一帯が一斉に煌めいた。


「敵軍、次々と第二射の魔法を構築開始しました!」

「魔法士部隊、防御壁の構築を。そして弓隊、矢をつがえ敵をギリギリにでも射程内に捉え次第、迷わず射て! 正確な射撃などいらん。それに矢の残量も無視しろ。ありったけの矢を敵目掛けて降らせてやるのだ」

 絶叫にも似たノインの命令が、本陣を中心に帝国軍内に響き渡る。その言葉を合図にして帝国軍の前に魔法壁が次々と構築されると、帝国の前線からは一斉に矢が放たれていった。


「ホプカイン。モルフィ団長の部隊に合図を送れ。『時は来た。敵右翼目がけて邁進せよ』とな」

「殿下、早すぎませんか?」

 本来、帝国の第一師団を率いる団長の名前を皇太子は口にすると、その命令を受領した副長官は、計画より早いその指示に戸惑いを見せる。


「わかっている。だが、先ほどの敵の魔法を見ただろう? このままでは我が軍の防御魔法が持たん。例え弓の斉射で敵の攻勢魔法の規模が縮小しようとも、ジリ貧になることは確実だ。もちろんリスクは存在する。だが、今時計の針を進めんで、何時進めるというのだ!」

「……わかりました。すぐに手配させます」

「頼んだぞ。全てが予想通り、そうあいつの考える通り進むとは限らん。それは何より、あいつ自身が言っていたことだからな。大事なことは、主導権を確実に取り返し、そして自らの流れへと引きよせることだ」





「レメルアン、どうだ?」

 フィレオはマイスム軍の副官に向かい視線を走らせると、彼は状況を説明する。

「はっ! 敵軍の射撃は常規を逸しています。まともに狙いさえ付けず、闇雲に矢を放っている模様。ですが、数が数だけに我が軍にも少なからぬ被害が出ております」

「ちっ、第二撃を中断し防御に徹したというのに、やはり被害が出たか。攻撃こそ最大の防御ということだな」

「はい。我らの初撃時には、帝国の防御壁のいたるところに綻びを作っておりました。恐らく奴らの魔法防御は長続きしないものと思われます」

「ふむ、では少しディオラムの奴らに守りの面を手伝わせるか……」

 フィレオは自軍有利の報告に僅かに笑みを浮かべる。しかしながら、より優位に立てるよう、さらなる策を模索して脳裏に浮かんだ案を口にした。


「悪くない考えと思います。ですが、それをすると例の仕掛けが……別に状況は我が方が有利であります。ここで積極策に出る必要はないかと。むしろ全軍を後退させて敵軍の射程外へと下がり、超長距離での戦いに徹するのも一つの方法かと思います。」

 副官のレメルアンはフィレオとは長い付き合いであり、彼の性格を考慮してその提案を尊重しつつも、現状の維持と安全策を主張する。

 その言葉を受け取ったフィレオは、顎に手を当てると、険しい表情をしながら妥当な意見だと頷く。


「確かに……な。貴様の言には一理ある。さて……」

 フィレオがレメルアンの助言を受けて、その場でぶつぶつと独り言をつぶやく。そして決断を下そうとしたまさにその時、彼の下へ伝令兵が飛び込んできた。


「フィレオ様、大変です!」

 息を切らせながら駆け込んできた兵士は、フィレオに発言の伺いを立てること無く、そう言葉を発する。


「どうした、何があった?」

 形式を無視して話すのならば、要件を先に言えという叱責が、フィレオは喉元まで出かかっていた。しかし、今は戦中でありそんな状況ではないと我慢すると、彼は伝令内容をその兵士に問いかける。


「帝国軍が……帝国軍が突如右翼方面から出現しました」

「何? 右翼だと? どういうことだ。そんな所に連中はいなかったではないか!」

「それが、連中は森林の奥深くに騎馬兵を隠し、我らがこの地に来るまで伏せさせていたようです」

「……ちっ、小細工を。だが、所詮隠しておける程度の人数の部隊だ。別にそれほど驚くことでもない。むしろ例の策が実ったということべきだろう。もっとも私としては、敵の突撃を迎え撃つ為に使うことになると思っていたがな」

 フィレオが独り言の様にそう口にすると、それを耳にしていた伝令兵が思わず上官に向けて疑問の声を上げる。


「では、フィレオ様。そのまま迎撃なさいますか?」

「ああ、右翼の者達に伝えてこい。フィラメント最強は我らがマイスムであると証明してみせよとな!」

 その号令でフィレオの指示は瞬く間に右翼へと伝わり、『深緑色の一団』が伏兵の騎馬隊目がけて一気に動き出した。




 フィレオが迎撃の指示を出した同時刻、フィラメントに向かい猛然と突進する一団の先頭に、本来は帝国第一師団を預かるモルフィ団長の姿があった。


「さあ、おまえ達。もう少しだ。もう少しで敵の喉元にたどり着くぞ。混戦となれば、奴らは同士討ちをおそれて、魔法を使いづらくなる。そしてそこに至れば、味方の軍と呼応して理想的な白兵戦を開始できるであろう。ここで足を止める者は、我が兵にあらずぞ!」

 モルフィは後方を振り返りながら、部下達に向けてそう激励した。その頼もしい団長の声に部下達の士気も否応なく高くなる。そしてあともう目と鼻の先と言うところまで彼らの部隊が迫ったとき、後方にいた彼らの部下が、叫び声をあげた。


「団長。魔法です。奴ら攻勢魔法を準備しています!」

 その部下の声を耳にした瞬間、モルフィは馬からわずかに視線をあげ、敵左翼に視線を走らせた。すると次から次へと生み出される巨大な炎の魔法が、彼の視界へと飛び込む。

 そして次の瞬間には、彼の部隊めがけて一斉に魔法が射出された。


「だ、団長! やはり、これは!」

「マイスム……やつらミラホフじゃない。中身がマイスムに替わっているぞ!」

 自らの部隊に襲いかかる尋常ならざる攻勢魔法。

 迫り来るその魔法自体が一つの事実を、雄弁に語っていた。


 目の前の深緑色の一団の中身、それはミラホフ兵ではなく、攻勢魔法を得意とするマイスム兵であるということを。

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