第4話 ミリア

 レンド城の奥深くに位置し、一人の美しい女性を主とする一室。

 その部屋の主であるミリア・フォン・ケルムは、まだ遠い冬に向けて鼻歌を歌いながら、部屋の椅子に腰掛けつつ毛糸の織物をしていた。


 自らの作品があと何日で形になるかと考えながら、彼女は大きく一度伸びをする。

 すると、そのタイミングで部屋のドアが突然ノックされた。


「すまんがミリア、失礼するぞ」

「あら、お父様? こんな時間に珍しいですね。どうして、こちらへ」

 ノックの後に部屋に入ってきた訪問者を目にして、ミリアは意外な表情を浮かべて目を丸くする。


「おやおや。父親がかわいい娘のところへ会いに来ることが、そんなに意外かね」

「そう言うわけではありませんが……今は御政務がお忙しいのではないのですか?」

 普段から娘に対して変わることのない優しい笑みを浮かべる父であるが、この日に限ってはその笑みの中にわずかな陰りを感じる。それ故に、ミリアは目の前の父から言いしれぬ不安を覚えた。


「ふふ、ちょうど休憩の時間だよ。その束の間の休息を、娘と茶でも飲みながら過ごしたいと思うのはいけないことかね?」

「いいえ、そんな事ありませんわ。どうぞこちらへ」

 リアルトの言葉を受けて、ミリアは気遣うような笑みを浮かべると、自らの向かいの席へ父を招く。


「うむ。そうそう、先日の茶会は東方の茶を飲み損ねたのでな。ほれ、今回はこうして予が自ら煎れてきた」

「あらあら。ふふ、ありがとう、お父様」

 昔から意外と不器用であった父が、自ら茶を入れている光景を思い浮かべて、思わずミリアは苦笑をこぼす。

 一方リアルトの方も、その愛娘の反応を目にして、つられる様に苦笑いを浮かべた。


「なに、かまわんさ。どうだ、最近変わったことはないかね」

「いいえ、特にありませんわ。それを言うなら、お父様は今がお忙しい時期なんでしょ。噂ではまた戦が始まると聞いていますけど……」

「うむ……残念ながら事実じゃ。お前には心配をかけるな」

 リアルトは大きな溜め息を吐き出すと、ミリアに向かって申し訳なさそうな表情を浮かべる。


「いいえ、私は皇室に生まれた身です。お父様がこの国を守るために戦をお決めになったのならば、私はただそんなお父様を信じるだけです」

「ありがとう。しかしお前の本当の気持ちは顔に書いてあるよ……お前は本当に優しい良い子に育ってくれたな」

 ミリアの戦に対する不安を、その表情から読みとったリアルトは、愛娘に向かって申し訳なさそうに言葉を発する。


「そんなことは……」

「お前には、いやお前たちには本当に苦労をかけておる。だが、予の背にはケルム全土の民の命が乗っておる。今はまだ立ち止まることはできんのじゃ。許してくれ」

「お父様。お父様の気持ちは分かりましたから。さあ、お茶が冷めてしまいます。せっかくの東方のお茶なんです。もったいないですよ」

 父の謝罪などこれ以上は不要とばかりに、ミリアが茶を勧めることで話題を切り替えようとする。

 その彼女の心遣いに対してリアルトは思わず感じ入り、わずかに弛緩した表情となる。


「おお、そうじゃった。すまんすまん、今から入れるでな」

 そう口にすると、リアルトはカップに向かってポットから茶を注いでいく。

 すると、カップへと注がれたその緑の色みを帯びた茶は、普段口にする紅茶と異なり、やや弱いながらも柔らかな香気を周囲に拡散させた。


「不思議な香り。これが緑茶というものですか。あの方の母君の香りですね」

「あの方……か。それはイスターツのことじゃな?」

 ミリアの言葉を耳にして、この国とは決して切り離して考えることができない他国の英雄の事を脳裏に浮かべると、リアルトは確認するようにそう問いかける。

 父のその言葉を耳にしたミリアは、言い当てられた気恥ずかしさのためか、僅かに頬を朱に染めた。


「ええ。お父様が同席の上で、初めて私に紹介してくださった男性です。つまりはそういうことなんですよね?」

 目の前の父の反応とその表情から、ミリアはリアルトの考えを予測し、あえて一歩踏み込んだ内容を口にする。

 不意打ちの如きその発言に、さすがの皇帝も驚きの表情を浮かべると、思わず言葉を詰まらせた。


「……お前は本当にいい子に育ったが、少し聡くなりすぎてしまったな。正直なことを言えば、まだ何とも言えぬ。ただし否定はせん」

 リアルトは自らの脳内で描いている絵を、未だミリアに直接口にしたことはなかった。しかしながら彼の溺愛する愛娘は、既に彼の描いている計画を、自らに対してのみ不器用な父から汲み取っていた。


「私は別に構いません。と言うより、下手をすればあの茶会の日に私は命を失っていたかもしれないんです。むしろ喜んであの方の下へいかせて頂きますわ。そう、むしろ喜んで」

 胸に手を当てて頬をさらに赤くしながら、ミリアはそう口にする。

 その彼女の表情を目にしたリアルトは、初めて見る娘の反応に戸惑いを隠せなかった。


「ミリア?」

「ふふ、そんな顔をされないでください、お父様。これは皇室に生まれた女性の定めです。それにお姉さま達は、決して自分から望んだ結婚ではありませんでした。なのに、私にはあんな素敵な方を選んで頂いたこと、むしろお父様に感謝しています」

 いつもと変わらぬ美しい花の様な笑み。

 そんな微笑みをミリアが浮かべると、リアルトは再び言葉を詰まらせる。そして首を二度左右に振り一度目をきゅっとつむった後、彼は彼女に向かって声を発した。


「そうか……そう言ってくれるか。ならば、もはやこの父は何も言わん。その可能性があると、それだけを心に留めておいてくれ」

 そのリアルトの言葉を耳にしたミリアは、表情を表に出さないよう両手を口に当て、そして一度だけ小さく頷く。

 そうしてお互いの瞳を見つめ合ったリアルト親子は、どちらともなく無言のままゆっくりとそれぞれの緑茶へと手を伸ばした。






「あの子は本当に過ぎた妹ですよ、陛下」

 愛娘との茶会を終えてリアルトが彼女の部屋を出てくると、廊下の壁に背を預けながら、一人の男が彼を待っていた。


「ノイン……か。それでイスターツの方はどうであった?」

 彼らしからぬ感情的な思いからミリアに関する話題は意図的に避け、リアルトはノインの会いに行った対象のことだけを問いかける。


「基本的には非干渉を貫くと宣言しております。ですが、十分に奴を巻き込む余地はあるかと」

 ノインは両手を左右に広げてニヤリと微笑むと、リアルトは感心したように一つ頷く。


「ほう……それは僥倖じゃ。しかし、なぜそう思った」

「思っていた以上に、彼とは話が合いましたからね。決して優柔不断な男ではありませんが、なんだかんだと言って彼にはなんの益もない私の質問にも、丁寧に応じてくれています。キスレチンに対する対処法までご丁寧にね」

「なるほど、やはりあやつもそこが急所であると考えておったか。それで、あやつはなんと?」

 顎に手を当てながら、視線をわずかに鋭くするとリアルトはノインに向かいそう問いかける。


「あの国の第一党である自由都市同盟。その最大派閥であるフェリアム派の議員に金をばらまけと」

「ふむ、たしかに悪くはない。だが、あの男がそんな当たり前の策をお前に授けるとも思えんな」

「ええ、彼はこう言いました。『ただし我が国が金をばらまいたことを、他の政党や派閥にバレるようにするのが望ましいね。そしてもしそれでも彼らが気づかないようなら、こちらからリークしてあげるべきだろうね』とです」

 肩をすくめながらノインがそう告げると、リアルトは納得した表情となり一つ頷く。


「なるほど、今更我が国とあの国の関係は良くなりようもない。ならばせいぜい悪評を利用して、奴ら同士で共食いをさせるということか」

「ええ、その通りです。もちろん我が国の干渉に対して怒り狂い、国が一つとなって拳を振り上げてくるならば逆効果もいいところでしょう。ですが、あの国が一つにまとまるなんてあり得ませんからな。たしかに奴の策が嵌まれば時間は稼げるでしょう。何しろ煩わしい議会などというものを通さねば、何ひとつできやしない連中ですから」

「ふむ、それは確かにそうだが……ああ、なるほど。あやつの真の意図が読めた」

 一瞬、考えこむ仕草を見せると、リアルトは次の瞬間苦笑いを浮かべた。


「真の意図……ですか?」

「ああ。ノインよ、あやつの策が上手く行った場合、さてさてどの国が最も益を得るかな?」

 そう口にしたリアルトは、値踏みするかのような視線をノインへと向ける。


「なるほど……そういうことですか。さすがというべきか、狡猾というべきか」

 リアルトの問いかけを受けて、ノインはようやくこの策がもたらす副次効果へと思いが至る。


「まあ、逆に言えば、それゆえにこの策は信用に足るといえようがな」

「全くもって、そのとおりですね。自らの手を汚さずに、我が国に汚れ役を引き受けさせた上で、隣国の力を削ぐことができる……ですか。まあこの際、奴の国にとって多少益があることくらい目をつぶりましょう。全てにおいて満点というわけには、なかなか行きませんからな」

 軽い笑みを浮かべながら清濁併せ呑むとも言うべきその案を、迷いなく受け入れると述べたノインを目にして、リアルトは満足げに頷く。

 そしてわずかに感慨深げな表情を浮かべると、自分だけにしか聞こえないほどの小さな呟きを発した。


「ふむ……どうやらお前も一皮むけたようじゃな」

「は?」

 以前のノインであれば、ユイの提案や思考が彼の上を行き、そしてその上で踊らされていたと考えて悔しさを隠さなかったであろう。

 しかしそんな彼が、ユイの提案の真の意図を理解しても、あえてそれを受け入れるという度量を見せたことに対して、リアルトはそれを高く評価する。


「なに、独り言じゃ。しかし、やはりあやつには首輪をつけておくべきだろうな。なにしろあやつを巻き込むのは、今回の戦いにおける我らの奥の手じゃ。もちろん基本的に予達だけで勝てるのならば、わざわざ奥の手を舞台に登場させて、あの男に借りを作る必要はないがな」

「はい。一時はクラリス向けの部隊を中心に魔法兵が激減しておりましたが、ようやく集合魔法を使うだけの最低限の人員は確保できました……ただ残念ながら質は以前より劣っておりますが」

 ノインはやや不満そうな声でそう口にすると、大きな溜め息を吐き出す。

 すると、リアルトは彼をなだめるように、苦笑いを浮かべながら口を開いた。


「仕方有るまい。我が国の魔法兵の中でも特に精鋭の者達を、ことごとくあの男に壊滅させられたのだ。今更こぼれたミルクを嘆くこともあるまいよ」

「確かにおっしゃるとおりです……ですので、軍を預かる私としては、現在の状況にて最善と言える体制を整えさせていただきます」

「うむ。ならば予はあやつの策を踏まえ、クラリス以上の目の上のたんこぶを動かさぬよう尽力するとしようか。それに他にも準備を進めねばならぬこともあるしな。今回の戦いは、お前に一任する」

 大陸西方においては帝国と並び称される共和国を引き受けることを明言し、リアルトは彼の息子に今回の戦のことを託した。


「はっ、それでは」

リアルトの信頼を受けて、ノインはわずかに表情を明るくさせた後に頭を下げる。そして彼は意気揚々とリアルトの下から歩み去っていった。


「ようやく予の後継者たる器と成り始めたか。じゃとしたら、予はお前が軍に専念できるように、完璧にあの国を弄んでみせんといかんな。キスレチン共和国の民主主義者どもをな」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る