第4話 例の男を迎えるにあたり

 ケルム帝国の帝都レンド。


 この大陸西方の国家の中では最大の規模を持つ国家の首都であり、その規模はクラリスのエルトブールの三倍ほどの規模に上る。

 エルトブールがその豊富な資源から商業都市としての側面を強くもつ首都なのだとしたら、このレンドは商業、文化、学問等あらゆるものが高い水準で揃う一大都市であった。


 もちろん他国と比べて、圧倒的な規模を誇るレンドにも欠点がないわけではない。それは商業面ではエルトブールに及ばず、文化に置いては共和国に及ばず、学問に置いてはフィラメントに及ばないという、要するに特化したものがない点である。

 しかし先ほど名前を挙げられた三国でさえ、自国の得意分野をのぞけば、レンドほどの水準を誇るものなど存在しない。だからこそ大陸西方においては一番の都市であると、誰もが認めるところであった。


 さてそんな帝都のまさに中央に、皇帝が居城とするレンド城がある。

 帝国のあらゆる行政に関する決定は、この城と呼ぶにはあまりに巨大な建物のどこかで絶えず行われており、今回帝国の首脳部が一堂に会したのも、城の中枢部にある豪奢な内装の一室であった。


「さて、ここまでは計画通りと言うべきなのかな?」

 第二皇子であるトールがそう口にすると、今回のユイを帝国へ引き込む絵を描いたセルベックは、笑みを浮かべながら彼の発言を肯定する。


「まあ、そう言えるのではないでしょうか。王国のロペン伯爵は、なかなかにいい仕事をしてくれました」

「それで、次の一手をどうするつもりだ。奴をこの国に呼び込んで、はいそれでお終いというわけにはいくまい?」

 セルベックの満足気な笑みを目にして、皇太子のノインがわずかに咎めるような視線をぶつけると、やや苛立たしげにそう問いかける。


「はは、それは確かにその通りです。ですが、私としてはしばらく彼を泳がせてみても良いのではないかと考えておるのですが」

「なに? どういうつもりだ、セルベック卿?」

 その厳つい顔を、さらに険しくさせながら軍務長官のパデルはその発言を質す。

 すると、問い質されたセルベックは、なおも笑みを浮かべたまま彼に向かって回答を口にした。


「私たちからの介入を最小限にして、彼を自由にさせる。すると、彼は自身の意志で動き始めるでしょう。それをまず確認することで、彼の狙い、人柄、気質を正しく把握できるかと思います。もちろんその為には、彼に厳重なマークを行うことが前提となりますが」


「ふむ、おもしろい意見だが、メニゲス。卿はどう思うかね?」

 部屋の最奥に位置する豪奢な椅子に腰掛けていた皇帝リアルトは、興味深そうに右の口角を吊り上げると、今の発言に対する意見を内務長官のメニゲスに求める。


「セルベック長官の意見には、確かに一理あるかと思われます。何しろ我が国の宿敵ともいえる彼のことを、我々はほとんど知らない。ですから、今後の方針決める上でも、まずは彼を観察するところから始めるべきかと」

「果たして、そうだろうかな。私に言わせれば、いっそひと思いに暗殺してしまうのが良いとも思うのだが……なにしろ、のこのこと我らの庭に鴨が飛び込んできたのだ、積年の恨みと悩みを解決するまさに好機だと思うがね」


 皇太子のノインが過激ながらも、一同が脳裏に浮かべながらそれまで口にしなかった提案を言葉にする。

 しかし彼の弟であるトールは、そんな彼の過激な発言を耳にして、表情に嫌悪感を隠せなかった。


「兄上、いくらなんでもそれは……そんな事をすれば、ただでさえ他国から警戒されている我が国は、外国の大使さえ好機であれば殺してしまう信の置けぬ国と思われてしまいます。下手をすると、周囲の国が手を取り合って我が国に攻め込む口実とされかねません」

「だが、我が国の兵士達の無念を、お前は忘れたというのか?」


 軍を統括しているノインは、机に腕を叩きつけトールを叱りつける。

 この場にいる誰もが、そのノインの行動に息を呑み体を硬くした。

 しかしいつもは兄に従順なトールが、この度は意外なことにノインに向かって反論する。


「元々、集合魔法の威力に目を奪われた兄上が、特に口実や理由もなく先年の侵攻を決断したのではありませんか。一方的に攻め込んでおいて、戦いに敗れ撃退されたらその指揮官を逆恨みする。これはさすがに如何なものでしょうか?」

「なんだと、もう一度言って見ろ!」


 いよいよ怒りを抑えられなくなったノインは、席を立ち上がると、トールを睨みつけて威嚇する。

 その怒声が発せられた途端、会議室は静まり返り凍りつく。しかし、最も奥の席に腰掛ける男の声が発せられると、とたんに場の空気は入れ替わった。


「落ち着け、ノインよ。兵を思うおまえの気持ちはわかるが、トールの言に一理あることも認めよ。物事を短気に判断する愚は避けるべきだ、それは先年の戦いでお前も思い知ったじゃろ」

「そ、それはそうですが……いえ、仰るとおりです」


 反論を口にしかけたノインであったが、皇帝の言葉を受けて少し冷えた頭で怒りを抑えこみ、それ以上の言葉を彼は飲み込む。


「それに今回のイスターツの護衛には例の男がおるのだろ、パデルよ」

「はい、今回のあの男の護衛には、あの『朱』が付いておると報告を受けております」

「朱……まさかあの『朱の悪魔』か」


 パデルの発言を耳にするなり、過去の国境線での悪夢を思い出し、ノインは表情を引きつらせる。


 以前、軍の統括者として前線の視察を行っていた際に、彼はしばしば国境線付近で小衝突をその目にすることがあった。

 これら国境付近での小規模な戦闘においては、基本的に配置している兵士数の関係上、帝国優位に推移することがほとんどである。


 しかしある日、高台から自軍の優勢を満足そうに眺めていたノインは、奇妙な出来事を目にすることとなった。

 それは大規模魔法を使用されたわけでもないのに、局地的に帝国の陣形が崩壊する光景である。


 彼はそのあまりにも現実離れした光景に、最初は自軍の一部部隊に指令系統のミスが起きたのだと勘違いをした。それくらい短時間の間に、帝国軍の陣形が局所的に崩壊したのである。


 しかし戦闘が進むにつれ、そうではないことに彼は気づいた。

 前線が崩壊する地点には、必ず一人の敵兵が存在した。

 赤髪の彼が姿を現すと、その場所は帝国兵の血で真っ赤に染め上げられ、途端に前線は崩壊する。


 そうして結局帝国は、数的優位を活かしきることはでき無かった。

 そのようなことが繰り返される中で、帝国軍は敵の赤髪の兵士に一つの呼び名が付ける。


 そう、『朱の悪魔』と。


「まさにその通りです。もちろん人数さえ大量に動員すればユイ・イスターツの殺害自体が不可能とは言いません。ですが、朱の悪魔が護衛している限り、少数で極秘裏に暗殺することは極めて困難といえるでしょう……それにもう一つ、奴の殺害に失敗したときの問題がございます」

「我が国はその日から魔石の輸入をせき止められ、その上でイスターツ自身が率いるクラリス軍と戦わなくてはならなくなる。そういうことですね」


 第二皇子のトールが、パデルの意図するところを汲み取りそう言葉にする。その発言の意味を理解した他の者達は、皆思わず口を閉ざしてしまった。


「まあ、取りあえずは泳がせる方針でよかろう。予にもあやつを取り込むために、一つ考えておることがあるでな。まあ、それは置いておくにしても、今回は確か我が国の息がかかった者を、副大使としてイスターツの側に配置させることにも成功したと聞いておる。さしあたって、あやつを監視するには大きな問題は無かろう」


 皇帝リアルトは堅くなってしまったその場の空気を緩和させるために、自ら口を開いて話題を提示する。


「それに関してなのですが……奴らの副大使であるロペン伯爵は、確かにこれまでは我が国に協力的でした。しかし、相手がイスターツとなるといささかの懸念が残されます」

 諜報部部長であり細身で学者然としたレーミッドが、高位の者たちに気を使いつつ恐る恐る発言する。


「懸念? どんなことかね」

 軍務長官のパデルは彼の部下であるレーミッドに、詳しい説明を求めた。


「ロペン伯爵ことフェルナンド・フォン・ロペンですが、元々あのユイ・イスターツとはかつて浅からぬ仲であったようです。彼がクラリスの貴族院の名門たるロペン家に養子入りして、跡を継ぐ前の話ですが……そして軍人であり庶民であるユイ・イスターツと、貴族院の一員であり研究者であるロペン伯爵。この二人を過去に繋げた人物がいささか問題でして」


 言いにくそうな口振りでレーミッドがそう発言すると、パデルが間髪入れずに彼に問いかける。


「誰なんだ、その人物というのは」


 上官からの催促を受けるも、レーミッドは一瞬戸惑う。

 しかし周囲の視線が自らへと集まっていることを自覚し、彼は迷いを覚えながらもその人物の名を口にした。


「アズウェル……アズウェル・フォン・セノーク。あの亡国の賢者です」

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