第2話 旅は道連れ

 春の気配が漂い、野山を彩る花達が最も美しく色づく季節。

 クラリスの国境からさらに南に位置する街道を、見た目がバラバラな集団が、帝都に向けて馬を歩ませていた。


「隊長、次の街はまだなのかい? そろそろあたいの栄養源が切れそうなんだけどねぇ」

 やる気なさげな黒髪の男の隣で、酒瓶を片手に握りしめている赤髪の魔法士は、物欲しそうな視線を向ける。


「そんな目で見てもダメだよ、ナーニャ。私は自前の酒なんて持っていないからね。取り敢えずさっきの街道に備え付けられていた立て札が正しいなら、もうそろそろ宿場町が見えてくる頃だから、もう少しの辛抱さ」

「……そうかい。ならそこにいい酒があることを祈っているよ」

 空となったポケットタイプの酒瓶を名残惜しそうに見つめながら、ナーニャは溜め息を吐き出してから瓶を腰紐に括りつける。

 酒を友とし、酒なしでは生きていけないナーニャであるが、現在は親衛隊の魔法士隊を預かる六位待遇であり、その魔法士としての実力は堅物の女王付きの男を除けば間違いなく隊で一番である。

 だからこそ、今回のユイの同行者として選抜されたことには、その能力面からは一切異論が出ることはなかった。

 ただし、能力面ではなく日頃の素行面に関しては、絶対になにかやらかすのではないかと多大な懸念が持たれていたことは公然の事実ではあったが。


「一応、ノバミム自治領から帝国に行くのにもさ、この道を通って次の宿場町を経由するからね。帝国の北部の中では最大の宿場町さ。だから、たぶん酒を置いてある店には困らないと思うよ」

「そうかい。まあそれを楽しみにもう少しだけ我慢するかね。おい、フート、あんたもあたいに付き合いなよ。昨日はあたい一人残して、さっさと寝ちまったんだから」

 後方で抜身の剣を肩にかけながら眠そうに馬を操っているフートに向かい、ナーニャは視線を移して声をかける。


 フート・ノーミック。

 彼女もカーリン時代からのユイの部下であり、現在六位待遇として親衛隊の剣士隊を預かっている女剣士である。ただ彼女に関しても、その剣技は非常に高い水準にあったが、極端に無口であり隊長として隊を引っ張る事ができるかを当初不安視されていた。

 しかし、彼女の部下として今回も同行する形となった士官学校出身のレイス・フォン・ハリウールが、現在は隊員とフートの良き橋渡し役となり部隊の雰囲気は非常に良好に維持されていた。むしろ、隊員の中にはこの可愛らしく無口なフートに保護欲を掻き立てられ、命も掛けられると豪語する者までいる有り様である。


「ナーニャさん、勘弁してあげてくださいよ。フートさんがお酒弱いのは知っているでしょ。先日王都でもナーニャさんに潰されてしまって、剣士隊の朝の訓練が中止になってしまったんですから……」

「おっと、ひよっこ。偉そうな口をきくじゃないか? ならあんたが代わりにあたいに付き合ってくれるっていうのかい?」

 フートの隣で彼女が眠ってしまって落馬しないか見張っていたレイスは、ナーニャの突然の誘いに対して、弱った表情を浮かべる。


「まだ帝都にさえ着いていないんですよ。僕は旅の途中で、酒のせいで死んでしまうなんてごめんです」

「へぇ、面白いことを言う坊やだね……アレックス、こいつを今晩借りてもいいかい」

 レイスをニヤリとした笑みで眺めやったナーニャは、最後尾のアレックスに確認を取る。すると、キツネ目の赤髪の剣士は、ニコリとした表情を浮かべ一つ頷いた。

「どうぞ、ご随意に」

 ユイの学生時代からの戦友であるアレックス・ヒューズは現在四位。

 もともと陸軍省の所属であり、親衛隊へ加入以前は帝国との国境防衛の前線部隊に長いこと従事していた剣士である。その剣技は達人という領域を半歩踏み越えたところにあり、ユイに言わせれば、死んでも二度と手合わせしたくない相手であった。

 彼の実力を物語るエピソードとしては、国境付近で帝国との小規模戦闘を繰り返していた頃から、彼はその剣技故にクラリス軍では朱のアレックス、帝国軍からは朱の魔法士殺しや朱の悪魔と呼ばれ恐れられていたという話がある。そして紛れも無くそれは事実であり、更に付け加えるならば恐れているのは敵だけではなく、彼の弟子であるレイスとて例外ではなかった。


「し、師匠……勘弁して下さいよ。僕が何をしたっていうんです」

「ふふ、これも一つの人生修行ですよ。たまには私の監視下を離れて、羽根を伸ばすのもいいでしょう」

「いや、師匠の下も十分にやばいですが、今回はそれ以上に……いや、なんでもないです」

 反論を口にしようとしたレイスは、アレックスのキツネ目がいつも以上に細くなるのを目の当たりにする。その瞬間、明らかにナーニャと酒を飲むこと以上に危険な事態を感じ取ったレイスは慌てて口をつぐんだ。


「へへ、話せるじゃないか、アレックス。別にあんたも一緒でいいんだよ」

「ふむ、そうですね……せっかくの美女のお誘いですが、今日は遠慮しておきましょうか。今夜は満月になりそうですしね」

「何を言ってるのかわかんないけど、まぁあんたはいいや。と言うわけで、レイス。街に着いたら早速飲みに出るよ」

 ナーニャの発言を耳にしたレイスはげっそりした表情を浮かべるも、アレックスの目の前でこれ以上抵抗することが出来ず、諦めとともに力なく頷く。


 そんなたわいのない会話を繰り返しながら、のんびりと馬を歩ませ宿場町へと向かっていた一行であったが、突然彼らの後方から騒がしい声と馬の鳴き声が近づいて来た。

 その音に最初に気づいたアレックスが、先頭のユイに向かって声を上げる。


「ユイ、後ろから団体さんが来るようだよ。馬の蹄の音からいって人数は十人ちょっとといったところかな。僕達より少し早いペースだから、じきにすれ違いそうだ」

 馬の蹄の音から、大まかな距離と人数を把握したアレックスは、前を行くユイに向かってそう告げる。

 その報告を受けたユイは、顎に手を当てると、頭を掻きながら皆に向かって指示を出した。


「ふぅむ……まあ、面倒ごとはごめんだからね。誰だかは知らないが、とりあえず脇に寄って行かせるとしようか」

 ユイがそう口にするなり、一同は街道の端へと馬を寄せる。そうして道の中央部を一同が空けたタイミングで、いかにも柄の悪そうな集団が徒党を組んで馬を走らせてきた。


「なんだ、ただのチンピラじゃないか」

 酒に酔っていたナーニャは、通りすぎようとする彼らの姿を目にして何気なくそう呟く。

 するとその声を聴きとったのか、ユイたちの側を通り過ぎようとしていた一団の一人が、馬を止めるとナーニャに向かって声をかけてきた。


「なんだ、姉ちゃん。ずいぶんな言いようじゃねえか。俺たちになんか文句でもあるのかい?」

 ユイ達一行がたった五人であったこともあり、そのガラの悪い男たちは薄ら笑いを浮かべながら、馬を止めてユイ達の周囲を囲み始める。

 その面倒事が始まったという空気を察したユイは、二度頭を掻いた後に、彼等に向かって侘びを口にした。


「はは、ごめんごめん。連れが失礼なことを言ったようだね。私が代わりに謝——」

「はん、息が臭いんだよ、あんた。むさ苦しい男ばかり、図体並べやがって。顔と体と口の中を洗ってから出直してきな」

 ユイが穏便にことを済まそうと頭を下げようとしたタイミングで、酔っぱらいのナーニャはまったく遠慮すること無く彼等に向かって火に油を注ぐ。

 すると、そのチンピラたちの中でのリーダー格らしきスキンヘッドの男が前へと進み出てくると、人数差からくる余裕からか、ユイ達に向かって見下すような口調で言葉を吐き出した。

「へぇ、俺らに喧嘩を売るとはいい度胸じゃねえか、ネエちゃん。もうすぐうちの頭も後から来るんでね、その前にしっかりと誠意のあるわびを入れてもらおうか」

 ナーニャの肢体を上から下まで眺めやりながら、リーダーらしき男はそう発言すると、下卑た笑みを浮かべる。


「頭……ね。なるほど、そういうことか。君たちもこの道を来たということは、クラリスかノバミム自治領の人だと思うけど、その言葉の訛りはノバミムかな?」

「ああ、その通りだ。クラリス育ちの上品な兄ちゃんたちには、社会の厳しさってものを教えてやりたいところだが、誠意としてそのネエちゃんと有り金を全て置いて行くなら見逃してやってもいいぜ」

 ユイ達の馬や装飾品から十分金になると算段をつけたのか、スキンヘッドの男は笑みを浮かべながら、威嚇するかのように使い古されたナイフを舌なめずりする。


「ゼニドさん、いいんですかね……頭は絶対に道中揉め事を起こすなって命令されていましたが」

 この集団の中にいることに違和感を感じるやや華奢で商人風の男が、心配そうな表情を浮かべながらそう口にする。


「構わねぇよ。だいたいこいつらが先に喧嘩を売ってきたんだぜ。ここで買わなきゃ、俺達の看板に泥を掛けられたも同じだ。そういうわけにもいかねえだろ?」

「ですが、すぐに頭たちも来られますし、その判断を仰いでからでも……」

「馬鹿野郎。なめられた時に、いちいち上になめられましたって報告する奴がいるか? さあ、てめえらつべこべ言わず囲んじまえ」

 そのスキンヘッドの男が指示を発すると、他の者達は一気にユイたちの周りを囲む。


 すっかり周囲を取り囲まれてしまい、一触即発の空気。

しかしそんな状況を気にする風もなく、先程から何やら耳を澄ましていたアレックスは、ニコニコとした表情のままユイに向かって声を発した。


「ユイ、もうすぐもう一回り大きい集団が来るよ。十中八九は彼の集団だろうね」

「ああ、わかっている……さて、申し訳ないんだけど君たち、もうすぐ君たちの頭がここに来るみたいだし、その人と話をさせてもらっていいかな。もしどうしてもやり合いたいというのなら、その人と話してからがありがたいんだけど」

 ユイはアレックスに対し一度頷いた後に、チンピラ達のリーダー格らしき男へと向き直り、苦笑いを浮かべながら一つの提案を口にした。


「何でおめえごときを、頭に会わせなきゃならねえんだ。意味がわかんねえよ。かまわねぇ、お前らやっちまえ」

「は、なんであんたらに黙ってやられなきゃいけないんだい? くらいな、ファイヤーアロー!」

 酒が切れたことによる鬱憤が溜まっていたナーニャは、大量の炎の矢を自らの眼前に出現させ、右の口角を吊り上げる。

 その形成された魔法を目にした瞬間、彼女を小馬鹿にしていた男たちの表情は一変した。


「な、魔法士だと!」

 勇ましくユイたちに飛びかかろうとしていた者たちは、その炎を目にした瞬間、驚愕の表情を浮かべる。

 彼等のその滑稽な表情を目にしたナーニャは、彼等を鼻で笑うと炎の矢を解き放とうとした。

 しかしまさにその瞬間、彼女の目の前に一筋の剣が突き出される。

「何するんだい。アレックス!」

「ふふ、ちょっと待ってください。それを使うよりも、もう少しすればもっと面白いものがみられますから」

「あん、どういうことだい?」

 アレックスの発言に訝しげな表情を浮かべたナーニャであったが、その実力には一目置いていることもあり、素直に編み上げた炎を霧散させる。

 そうして、彼女が魔法を解除したタイミングで、彼等の後方から砂埃を立てながら、目の前の連中より更に多数の屈強な男たちが姿を現した。


「ふふ、ようやく彼等の本隊の到着です。彼等は元々露払いのようなものだったんですね。おそらく軍や役人の監視を確認するための先遣隊というところでしょうか。そして彼等を率いているのはおそらく……」

 アレックスはニコニコした表情を浮かべながら、ナーニャに向かいそう口にする。

 一方、先ほどのスキンヘッドの男は、彼等の頭が到着したことに気づいて、慌てて報告に向かう。


「お前等、何をしてやがるんだ。誰がこんなところで油を売れと言った?」

「頭、実はこいつらが俺たちになめた口を利きやがりまして……少し身の程を教えてやろうとしたんですが、どうも魔法士が混じっているようです。すいませんが、お力を貸して下さい」

「はぁ、魔法士? なんで魔法士がお前に喧嘩を売ってくるんだ? また相手もみずに喧嘩を売ったんじゃねえだろうな。ともかく、相手はどこのどいつだ?」

「へぇ、そこに取り囲んでいる、身なりの良い世間知らずの奴らです。ちょっと魔法が使えるからといっていい気になっているようでして、頭から身の程というものを教えてやって下さい」

 その話を聞いた彼等の頭は、ユイたちを取り囲んでいる部下たちを掻き分けて中へと進む。

 そして中にいる集団を恫喝しようと睨みつけた瞬間、彼はそこにいる面々を目にして、その場から崩れ落ちそうになった。


「やあ、オメールセン。久しぶりだね。はは、まさかこんなところで再会するとは思っていなかったよ」

 レムリアックの主要取引相手であるノバミム最大手の商会の会長であり、犯罪組織セラーレムの長であるオメールセン。そんな目の前の男に対し、ユイは片手を上げながら、旧友にでもあったかのような笑顔で声をかける。


 一方、すぐに目の前の人物の正体に気がついたオメールセンは、先日の彼等によるカチコミの記憶を蘇らせ、たちまち顔色が蒼白になっていく。そして、あっという間に部下であるスキンヘッドの男へ向き直ると、迷うこと無くそのまま彼の頭頂部にげんこつを落とした。

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