第18話 親友

「生きている……か」


 ユイ・イスターツはベットの上で意識を取り戻すと、少し前まで生活していたアモキサート市役所の天井を目にする。

 まず彼が最初に行ったこと、それは体全身に力が伝わることを少しずつ把握することであった。


 そして横になったまましばらく動かしていなかった体の各所が稼働することを確認すると、すっかり重く感じる様になった上半身を、彼はゆっくりと起こしていく。


「だ、旦那! 旦那が起きやしたよ!」


 ユイが突然起き上がったのを目にしたクレイリーは、今にも泣きそうな声でそう叫ぶ。

 すると、隣の部屋に控えていたカインスとセシルが、その声を聞きつけてバタバタと部屋の中へ飛び込んできた。


「ああ、みんなお久しぶり。しかし、私の部屋で見守る役はどうせならセシルにしてくれよ。最初に見た顔が泣きそうなハゲヅラのおっさんだったから、一瞬現実かどうか悩んだじゃないか」

「旦那ぁ、それはないですぜ」


 目元に涙を浮かべながら、クレイリーは文句を口にする。

 そんな彼の反応を目にしたユイは、悪かったとばかりに苦笑いを浮かべた。


「はは、ごめんよ。それよりも私は何日寝ていたかな?」

「十日間よ。彼があの魔法を使ってくれてね、すぐに呼吸が戻ったの。それからみんなで、ここまで運んだのよ」


 セシルは彼の疑問に対し回答を口にすると、自らの視線を後方へと向ける。

 その彼女の視線の先には、いつの間にか憮然とした表情のリュートが立っていた。


 リュートはユイの視線が自らへ向けられたことに気がつくと、彼の側へと歩み寄りゆっくりと右手を前へと突き出す。


 その行為を目にした周囲の者たちは、握手をするのかと思った。

 しかし次の瞬間、彼はその手を振りかぶると、ユイの頬を真っ直ぐに叩く。


「いっつ! ……はは、随分な挨拶だね」

「ふざけるな! 本気で怒っているんだ、俺は」


 頬をさすりながら弛緩した笑みを見せるユイに対し、リュートは心底怒りを込めた声で彼を怒鳴りつける。


「ああ、ごめんよ。いや、これにはね……多少事情があってさ」


 すぐさま言い訳を口にしかけたユイを睨みつけると、先ほどはたいた右手を引き戻す形で、今度はユイの逆頬を叩く。


「今度という今度は、言い訳は聞かん。いいか、お前は自分の立場を本当にわかっているのか? 今回のことが許されるような立場だと、本気で思っているのか? わざわざこんな偽物の計画書を作って、俺達を騙そうとして」

「いや、わかってはいるつもりだよ。だからさ、君たちには黙っていたんだ……たぶん止められるってことが、わかっていたからね」


 リュートが本気で怒っていることを言葉だけではなく全身で感じながら、ユイは俯き加減にそう返答する。

 すると、ユイのその発言を耳にしたリュートは、先程よりも更に強い口調で彼を叱りつけた。


「いいか? 俺達は既にお前と一蓮托生なんだ。カーリンからお前を追って付いて来た奴らも、士官学校からお前を慕って親衛隊に入った奴らも、セシルもアレックスもエインスも、今この国を背負われているあの方も……そしてこの俺もだ。俺達はお前がいなくなればどうすればいい?」

「それは……もちろん考えないわけではなかったさ。だけど、親衛隊にはアレックスもエインスも、そして君も居るんだ。だから――」

「馬鹿野郎!」


 ユイが反論を口にするや否や、リュートは三発目となるビンタをユイの頬に叩きつける。

 そしてユイの襟元を両手で掴むと、視線を合わせて真剣な表情で語りかけた。


「本当はわかっているはずだ。ただわからないふりをしているだけでな。だからこの際はっきりと言ってやる。いいか、お前の代わりはいない。お前の代わりはいないんだ」


 一切の含むところのない純粋なリュートの言葉に、ユイは真顔になると小さく一つだけ頷く。そして彼はわずかに視線をそらし、目の前の青年に向かい謝罪を口にした。


「……ああ、わかったよリュート。もうこんなことはしない。約束する」

「ふん、お前の口約束ほど当てにならんものはないが……いいか、ユイ。その言葉、俺は絶対に忘れんからな」


 リュートはそれだけ口にすると、ユイの襟元にかけていた手を放した。

 そしてそのままゆっくりと部屋の隅へ移動すると、目をつぶったまま壁にもたれかかる。


「えっと……それで、ユイ君。これからどうしようか」


 少し硬くなってしまった場の空気をほぐそうと、意図的に柔らかい口調でセシルはユイに向かい問いかける。


「そうだね。まずは魔法の普及が最優先かな……リュート」

「なんだ?」


 ユイから向けられた声を受けて、リュートは無愛想に問い返す。


「先日君が使ってくれた魔法だけどさ、君の部下たちには扱えるかい?」

「かけらも使用者のことを考えていない魔法は、とてもじゃないがすぐには無理だ。それに……」

「それに?」


 下唇をかみながら言いよどんだリュートを目にして、ユイは先を促すよう問いかける。

 するとリュートは一度周囲を見回し、ここにいる人員なら大丈夫だと判断すると、重い口を開いた。


「あれをそのまま他の者に使わせること自体、俺は反対だ」

「そんなに扱いづらかったかい?」


 確かにテスト的な要素を含んでいたために、無駄に魔法式が長すぎることはユイも理解していた。しかしながらそれは、新たな魔法を編み上げる際にやむを得ない部分でもある。


 誰しもが最初から最適化された魔法を編み上げられるのなら、現存する魔法の研究者などお払い箱の存在にすぎない。

 だからこそユイは、もっと中身を簡略化し、扱いやすくすることを求められていると解釈した。


 しかしながら、眉間にしわを寄せる銀髪の男の解答は、まったく異なるものであった。


「ちがう。俺が問題にしているのは、あの魔法式そのものだ。お前やあの人のような奇人は、あの魔法を構築している理論を当たり前のことと解釈しているかもしれん。だがあの魔法式は、一般的に公表されていないコードの集合体だ。深淵を覗くものだけしか知り得ぬはずのな」

「……やっぱり君が相手だとバレてしまうか。極力わからないように、二人で隠蔽しておいたつもりなんだけどね」


 ユイは頭を掻きながら、目の前の男性を持ち上げつつそう答える。

 そんなユイの追従をあえて無視しながら、リュートは重ねて一つの提案を口にした。


「ふん。ともかくだ、俺の部下がここに駆けつけるまでの間に、魔法式を一から見なおしてもう一度書きなおしておけ。既に答えは出ているんだ、不可能ではないだろ」

「そりゃあ不可能とは言わないけど、ちょっとめんど……いや、はは、なんでもないよ。分かった、やるから、ちゃんとやるからさ」


 普通の魔法士があの魔法の構造を目にして、その裏にある特殊なコード理論に到達できるとは思えず、ユイとしてはあまり作業の必要性を感じてはいなかった。

 だが今回の件でリュートに頭が上がらなくなってしまった彼は、やむを得ず書き直しを行うことを約束する。


 一方、そんな彼の反応を目にしたリュートは、再びユイを睨みつけ、必ず聞いておかなければならないことを問いかけた。


「一つ確認しておくが、あれを広めるつもりはないんだな?」

「……さすがだね。その通り。現状では、君の部下たちと私達、そしてあの人以外にあの魔法を出すつもりはない」

「やはりな……ならそのつもりで、ここに呼びつける人選を考えておく」


 ユイの意図するところを理解したリュートは右手を顎に当てると、すぐさま頭の中でこの地に呼ぶ部下のリストを並べ始める。

 そんな勤勉な親友の反応に苦笑を浮かべながら、ユイは素直に感謝を口にした。


「ありがとう。もちろん今後状況が変わったら、その限りではない。だけど、今のクラリスの状況を考えると、数少ない守りのカードを手放す訳にはいかないからね」

「守りのカード……ですかい?」


 それまで二人の会話を見守っていたクレイリーは、違和感を覚える単語を耳にして、思わず疑問を口にする。

 すると、ユイは彼へと向き直り、大きくひとつ頷いてみせた。


「ああ、守りのカードさ。現状としてはあくまで保険ではあるけど、必要にならないとは限らないからね」


 ユイは苦笑を浮かべながら、クレイリーに向かってそう解説する。そして彼は再びリュートに向き直ると、その口を開いた。


「リュート、現段階での予測でいい。君の部下たちがあの魔法を使えるようになるのにどれくらい掛かる?」

「二ヶ月だな。彼らがここについてから、それくらいは必要だろう」

「二ヶ月か……長いな」


 リュートの回答を受け取ったユイは、やや険しい表情となると二度頭を掻く。


「ならば、せいぜいわかりやすい魔法式に書き直すんだな。全ては貴様が書き直すものの出来次第だ」

「やはりそうなるか……しばらくは休めると思ったんだけどね。まあ、その件はそれでよしとしよう。それと、君にお願いしておきたいんだけど、彼らが付くまでにここにいる――」

「それは既に済ませている。お前がのうのうと寝ている間にな。この部屋にいるもの全員には、既にアンチルゲリル処理を俺が行った。クレイリーやカインスに発症の心配はない」


 ユイが頼みを口にするより早く、リュートは既に先回りしてクレイリーたちにルゲリル病対策を済ませたことを口にした。

 すると、ユイは肩をすくめながら、改めて彼を称賛する。


「はは。さすがだね、君は。だとしたら、計画の第一幕は終了ということかな。一つだけ私の仕事が増えてしまったけど、ここからはレムリアックにおける第二幕へと移るとしよう」

「第二幕……ですかい。だけど、これでルゲリル病対策は出来たんでやすし、一体これ以上何をするんで?」


 ユイの発言を耳にしたクレイリーは、訝しむかのような表情を浮かべると、そのまま詳細を問いかける。

 この部屋の中にいる誰しもが覚えたそんな疑問に対し、顎に手を当てたユイはニコリと微笑みながら口を開いた。


「クレイリー。ルゲリル病に関する対策は、今回のレムリアックの改革における一番大きな要ではある。だけど、それ自体は別に目的ではないんだ。あくまで目的は、この土地を豊かにすることだからね。そしてルゲリル病が治ったとすれば、すぐにでも新しい問題が生じることになる。だから、今回は先回りして対策を取らなければならない」

「新しい問題……でやすか」


 ルゲリル病対策となる魔法が生みだされたことは、プラスになることはあってもマイナスになることはない。

 当然のこととしてそう捉えていたクレイリーは、ユイの発言に対し疑問符を顔に張り付かせながら首を傾げる。


「ああ、新しい問題さ。なので、まずカインス。君はすぐ実家に帰って、今から書く私の手紙をおやじさんに届けてくれ。そしてリュート、君にもう一つだけお願いがある」

「なんだ?」


 チラリと視線だけをユイに向け、リュートは一言だけ言葉を返す。


「申し訳ないが、魔法士のついでにもう一人ほど助っ人を呼んでくれないか。できれば赤い髪の男がいいが、ダメだったら金髪の女たらしでいい」

「さすがに金髪は無理だ……赤髪で我慢しろ。だったら呼んでやる」


 無愛想なリュートの回答を耳にして、ユイは苦笑を浮かべながら一つ頷く。


「ああ、それで十分さ。ついでに彼の下にいる眠そうな剣士も呼んでおいてくれ」


 その依頼に対し、リュートはわずかに思案する表情を浮かべた。しかしすぐにユイの狙いを把握すると、彼は黙ったまま小さく頷く。

 一方、ユイがなぜ戦力を必要としているのか理解できない他の者達は、そんな二人の会話の意味が理解できなかった。


「あの……隊長。なんであの方たちが必要なんですか。差し当たって、このレムリアックは別に治安も悪く無いですし、問題無いと思うのですけど」

「ん、それは簡単さ。喧嘩を売りに行くからだよ」


 不穏な香りが漂うユイの発言を耳にするなり、カインスは僅かに目を細めて訝しげな表情を浮かべる。


「喧嘩? 一体、誰とです?」

「そりゃあ、ここに喧嘩を売りにきそうな相手のところにだよ。喧嘩っていうのはね、先手必勝だからさ」


 笑いながらぶっそうなことを口にしたユイに対し、セシルは思わずつばを飲み込む。そして彼女の脳内である存在がクローズアップされると、途端に驚きの声を上げた。


「……もしかして、ユイ君」

「ああ、多分君が思っているとおりのところ……つまりノバミム自治領さ」

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