第5章 レムリアック編

第1話 望まざる歓迎

 灼熱の太陽が大地を照りつけ、それに逆らうかのように木々が鮮やかな濃緑の葉を天に向かって伸ばす夏。


 そんな灼熱の季節は、当然のことながら大陸西方の小国であるクラリス王国にも他国同様に到来する。

 もちろん容赦なく頭上から熱を降り注いでくる太陽を嫌うものは、この王国の中にも少なくはない。


 そしてここにも一人、そんな太陽を嫌う者が、手で顔を仰ぎながらぐったりとした様子で馬の背に揺られていた。


「お天道さまはさ、一体この私に何の恨みがあるというんだい。と言うか、せっかく涼しいラインドルにいたっていうのに、わざわざこんな暑い時期にクラリスに戻されるなんて、本当に意味がわからないよ。クレイリー、君はそうは思わないかい」


 黒髪の青年は手で額の汗を拭いながら、隣で馬を並べるスキンヘッドの男へと話を向ける。

 すると、隣に馬を並べていたいかつい山賊のような風貌の男は、話を振ってきた男に向かい、呆れたかのような視線を返した。


「太陽に向かって愚痴っても何もなりやせんよ、まったく」

「じゃあ、この帰還命令を出した人物に愚痴れっていうのかい?」

「またそんなことを……別にあっしは、そんな物騒なことは言ってやせんよ。っていうか、旦那。少しはカインスのやつを見習ってくださいよ。あんな体型をしているのに、文句ひとつ口にしてないんでやすぜ」


 クレイリーと呼ばれた男は、一同を先導する形で前を行く大男を指さした。

 自らの名を呼ぶ声が耳に入った筋骨隆々の男は、ゆっくりと後ろを振り返る。


 だが彼は何ら言葉を発することはなかった。その代わり、彼は自らの見事な筋肉を主張するかのようにポージングを行う。


「カインス……君が自分の筋肉を愛していることは知っている。だけど、今は申し訳ないけどやめてくれ。なんかさっきより一層暑くなった気がするからさ」


 自らの上腕二頭筋を誇示しようと、カインスが両腕を上げてから折り曲げ始めたところで、ユイはげっそりした表情を浮かべながら彼の行動を抑止する。

 カインスは一瞬だけ少し寂しそうな表情を浮かべたものの、前方を向き直ると虚空に向かって自らの筋肉を披露し始めた。


「はぁ……暑苦しい。全くもって暑苦しい。クレイリー、なんかこう気分の清涼剤となるものはないのかい?」

「こんな道中になにかあるわけないでやしょ。アレですか、美人の女性でもご所望でやすか?」

「……いや、それはいらないや。君が次に誰を指さそうとしているか予想は付いているけど、お願いだからやめてくれ」


 ただでさえ暑いのに、これ以上トラブルの火種に油を注ぐ必要はない。

 そう判断した黒髪の男は、ゆっくりと首を左右に振ってクレイリーの行動を止めた。


 だがそんな二人のやりとりに気がついた最後尾を行く人物は、不機嫌そうな表情を浮かべると、手にしていた空の瓶を前方の上官に向かって投げつける。


「隊長、あたいになんか文句でもあるのかい?」


 共に街道を行く四人組の中において、まさに紅一点と呼ばれるべき赤髪の美女。

 そんな彼女が何の躊躇も見せずに投げつけてきた酒瓶を、隊長と呼ばれた青年はあわてて首を動かすことで回避する。

 そして彼は、上官を上官と思わぬ女性に向かい、頬をひきつらせながら視線を向けた。


「いや……何もない。文句なんて何もないよ、うん」

「そうかい。だったら隊長、あんたの腰に下げたその袋を、今すぐにあたいによこしな」


 男の言い訳を耳にした赤髪の美女は、酒臭い息を吐き出しながら、その視線を男の腰に備え付けられた酒袋へと向ける。

 突然、要求を受ける形となった黒髪の男は、弱ったような表情を浮かべながら二度頭を掻いた。


「いや、これは私が今夜飲もうと思っていた分で……わかった、わかったよ。でもさ、少しくらいは残しておいてくれよ」


 こんな晴天の最中、これ以上彼女に関わって疲れることの不毛さを感じ取った男は、あっさりと白旗を揚げる。

 そして無念さをその表情に現しながらも、やむを得ず酒の入った腰袋を彼女に向かって放り投げた。


「へへ、隊長。これだから、あんたのことは大好きさ」

「ナーニャ……君が好きなのは私ではなく、私の持っていた酒だろ」

「別にどっちも同じようなもんだろ?」


 ナーニャと呼ばれた女性は、目の前の上官を酒と同じであると、誰に憚ることなく公言する。そして決して訂正することなく、彼女は手にした酒を自らの口元へと運んだ。


 自らの酒が勢いよくナーニャの胃袋の中へ収められていく光景。

 それを目にして、彼女の上官は疲れたように肩を落とす。そして悲しそうな表情を浮かべながら、ユイは思わず二度頭を振った。


「まったく……どいつもこいつも……」

「旦那ぁ。人間、諦めってものが肝心でやすぜ。というか、旦那がその発言をするのは、あっしとしてはどうかと思いやすがね」


 上官の口から吐き出された言葉を耳にしするなり、クレイリーはまるで自分を棚に上げたかのようなその発言に対し、半ば呆れたようにそう呟く。

 一方、黒髪の男はもはや反論を口にする体力もなくしたのか、馬に対して前のめりにもたれかかるような姿勢をとると、ぐったりとしたまま身動きすらとらなくなった。


 そうして幾ばくかの間、四人の間には無言の時間が訪れる。

 だが、そんな僅かな沈黙は予想外の事象によって突然破られることとなった。


「隊長。前方におっきな荷馬車が止まっています。で、その側にこっちに向かって手を振っている男性がいますけど、どうしますか?」

「……どんな人物だい?」


 もともと野山を駆け巡り狩猟を行っていたカインス。

 そんな彼の優れた視力を把握していた黒髪の男は、だらしない姿勢のまま詳細を問いかける。


「えっと、小太りのおじさんです。あと、他に人影は見られませんね」

「連れのものがいない……か。ふむ」


 カインスの言葉を受けて、黒髪の男はしぶしぶ視線を前へと向ける。

 そしてまるでゴマ粒のようなその存在を視界に収めると、彼は軽く顎に手を当てた。


「小太りの男でやすか。荷馬車が止まっているということは、行商人か何かでやすかね?」

「さあて、どうだろうね。ともあれ、どうせこの道を行くなら必ずすれ違うことになるんだ。どうやら我々に用があるようだし、話しくらいは聞いてみるとしようか」


 黒髪の男は気だるげな表情を浮かべたながら、残りの三人に向かってそう告げる。

 そうして彼らは、ゆっくりと小太りの男性の下へと近づいていった。


「旅の方でしょうか? 申し訳ないのですが、少しご協力をお願いできませんかな」

「協力……ですか」


 何かしらの用はあるのだろうと考えていたユイは、特に驚いた素振りを見せること無く、小太りの男性に向かって先を促す。


「実は売り物の荷を載せ過ぎたせいで、荷馬車の車輪が外れてしまいましてね。それを何とかしたいのですが、私一人ではなんともはや」

「ああ、それで立ち往生というわけですか」


 商人が外れた車輪を持ち上げて誇示してきたのを確認し、黒髪の男は納得したとばかりに一つ頷く。


「はい。お恥ずかしい話、少し欲をかいて荷を載せすぎましてね。こいつも年季の入ったやつでしたから、おそらくずいぶんとガタがきていたんでしょう」

「ふむ、それで一体何を運ばれていたんですか?」


 商人から荷馬車へと視線を移した黒髪の男は、何気ない口調でそう問いかける。


「運んでいる荷ですか? ジュネヴァというお酒ですよ。口に含んだ瞬間、ジュニパーベリーの香りが口の中でほんのりと広がるってんで、最近エルトブールでも人気でしてね」


 荷馬車の上に詰まれた樽をポンポンと叩きながら、小太りの男はラインドル地方特産のスピリッツの名前を口にする。

 すると、それまで無関心であったが故に遠巻きに推移を見守っていたナーニャが、突然表情を一変させると、横から口を挟んできた。


「ジュネヴァだって? ちょっと隊長、何をしているんだい。さっさとこちらのお兄さんを助けてやりなよ。隊長も公僕なんだから、率先して人助けをすべきさ」


 まるで吸い寄せられるかのように酒樽へと視線を向けたナーニャは、明らかに商人からのお礼がある事を前提としてそう発言する。


「荷がわかった時点で、君ならきっとそう言うと思ったよ……取り敢えず、上の荷を順番にどかせていくとしようか。その後に、荷馬車をみんなで持ち上げて車輪をつけ直すのがいいだろう」


 酒を前にして説得など不可能と判断し、黒髪の男は渋い表情を浮かべながらも矢継ぎ早に指示を口にする。


「でしたら、隊長。こいつは、オイラの出番ってことですね」


 自らの誇る筋肉を活躍させる場が来たと判断したカインスは、嬉しそうにわざわざポージングをとりながら、つかつかと荷馬車へと歩み寄っていく。

 一方、そんな彼の姿を目にした黒髪の男は、頭痛を感じたためか思わず眉間を押さえた。


「ああ……任せるよ」

「旦那は手伝われないので?」


 あっさりとした黒髪の上官の指示を耳にすると、クレイリーはニヤけ笑いを浮かべながらそう問いかける。


 すると、黒髪の男は疲れたように深い溜息を吐き出し、そのままゆっくりとカインスの後を追い始めた。

 そして荷馬車の側まで歩み寄ったところで、彼は突然歩みを止める。


「私はダメさ。別の仕事があるからね」

「別の仕事?」


 後を追いかけてきたクレイリーは、手伝わないと言いつつも荷馬車の側まで歩み寄った上官に対し、わずかな違和感を覚える。

 しかし彼がそんな感覚を覚えたタイミングで、突然黒髪の上官は姿勢を低くすると、カインスの背後に立つ商人に向かい駆け出した。


「ああ。嘘つきにお仕置きをするっていう、ちょっとめんどくさい仕事がね」


 そう口にした彼は、すっと腰に帯びた長刀へと手を伸ばすと、次の瞬間に迷うこと無く白刃を一閃させる。


「なっ、馬鹿な……」


 突然自らの身体を襲った痛みに、小太りの男は目を見開く。

 そして次の瞬間、彼はそのまま地面に崩れ落ちていった。


「旦那、一体何を! この暑さで気でも触れやしたか」

「いや、確かに気が狂いそうになる暑さだけどね。残念ながら私は正気さ。クレイリー、落ち着いて彼の右手を見てみなよ」


 血糊を振り払うために刀を更に一閃させた男がそう口にすると、クレイリーは慌てて視線を動かす。


 そうして彼は上官の意味するところを理解した。

 そう、小太りの男の右手に、液体を塗られたナイフが握りしめられていたが故に。


「こ、これは……」

「たぶん私達の油断を狙っていたんだろうね」


 苦笑を浮かべながら黒髪の男はそう口にする。そして改めて小さく頭を振ると彼はゆっくりと言葉を続けた。


「ただ政情不安だったラインドルと行き来している商人が、護衛もなしにこんなところで立ち往生しているってのはちょっと無理があるかな。もし偽装をするのなら、ちゃんとそのあたりのことも踏まえるべきだっただろうね」


 そう口にした黒髪の男は、まったく状況の変化についていけていないカインスの肩を軽く叩く。

 そしてそのまま視線を荷馬車へと向け直すと、彼は唐突に口を開いた。


「さて、もうかくれんぼする意味はないよ。そんな狭いところにいて疲れただろうし、そろそろ、出てきたらどうかな?」

「くそ。おのれ、ユイ・イスターツ!」


 黒髪の男が荷馬車に乗せられた樽に向かって言葉を発した瞬間、突然載せられていた大型の樽の中から、無数の人影が姿を表す。

 その突然の光景を目にして、悲鳴の如き声を上げたものが一人存在した。


「ちょっと樽の中にって、あたいの酒は?」


 ラインドル産のジュネヴァを、すぐに味わうことができると考えていた赤髪の女性は、側にいた黒髪の男に向かい祖うといかける。


「残念ながら存在しないよ。彼の荷馬車に積まれていたのは彼らだけさ」

「なんだって!? てめえら、よくもこのアタイを謀ってくれたね、フレイムショット!」


 ユイと呼ばれた男の口から告げられた事実を耳にするなり、ナーニャは顔を真赤にする。

 そしてすぐさま両手を突き出すと一気に炎の弾丸を編み上げ、彼女は迫り来る黒装束の男たちに向かって次々と解き放っていった。


「……あのさ、ナーニャ。彼らには少し聞きたいことがあるから、多少は手加減をしておいてくれよ」


 怒りで我を忘れかかっているためか、不必要なまでに多量の炎の弾丸を放ち続けるナーニャを横目にして、ユイはたしなめるようにそう口にする。

 するとそんな彼に向かい、クレイリーが意味ありげな笑みを浮かべながら問いかけてきた。


「で、旦那は手伝わないんで?」


 愛槍を手にしながら、眼前の敵を警戒しつつクレイリーはそう口にする。

 ユイはその問いかけを受けるなり、露骨にめんどくさそうな表情を浮かべると、あっさりと首を縦に振った。


「もういいだろ。最初の一人を相手にしたんだしさ。だいたいこんな暑い中で、どうして好き好んで体を動かさなきゃならないんだい?」

「はぁ、まったく旦那は、すぐ楽しようとするんでやすから」


 上官の返答を耳にするなり、クレイリーは深い溜め息を吐き出す。

 一方、後方でそんなくだらない会話が繰り広げられているのに気づいたナーニャは、突然魔法を編み上げるのをやめると、不機嫌さを隠さぬ様子で口を開いた。


「そこ。あいつらの尋問をしたいなら、くっちゃべってないで少しくらいは手伝いな。こんなか弱い女性一人に戦わせるなんて、恥ずかしいと思わないのかい?」

「いや、自分から暴れだした上に、どこにか弱い女性が……いや、はは。なんでもないよ」


 すごい勢いでナーニャに睨まれたユイは、慌てて誤魔化すように頭を掻くと、仕方ないとばかりに残り二人だけとなった敵に向かって駆け出した。

 そうしてその場に残されたクレイリーは、呆れた表情を浮かべながら首を左右に振る。


「まったく、誰も彼も適当なんでやすから。ほんと困ったものでやす」

「はは、そうですか? オイラは別に楽しいので、これでいいんじゃないかと思いますが」


 まるで自分だけは関係ないと言いたげなクレイリーの発言を耳にしながら、カインスはあえてその点を指摘することなく、いつもの様に爽やかに笑い飛ばす。そしてそのまま彼は肩にかけていた大弓を構えると、矢をつがえるなり、残った黒装束の片割れ目掛けて解き放った。


 カインスの下から放たれた矢は、まるで空気を切り裂くかのように空中を疾走すると、敵の男の眉間へと吸い込まれるように突き刺さる。

 そんなカインスの浮かべている表情と超絶技巧とのギャップを目の当たりにし、クレイリーは一層疲れた表情を浮かべると、再び深い溜息を吐き出す。


「はぁ、お前もお前か。まったく旦那の下にいる奴でまともなのは、やっぱあっしくらいなものか」

「おい、クレイリー。あんた、自分の顔を鏡で見てからそういうことはいいな。そうすれば、いくら鈍いあんたでも、自分の勘違いにに気づくだろうからね」

「なんだと、ナーニャ!」


 赤髪の女性の言葉を契機に、二人は互いにガンを飛ばし合う。

 しかしながらそんな二人のそばにいたカインスは、決してその場を取り繕うとはせず、可笑しそうに笑うだけであった。


「なんか後ろが騒がしいけど、チャックメイト……だね」


 自らの動向に対し、部下たちが何の関心も払っていないことを嘆きながら、ユイは残った唯一の黒装束の男を捉える。そしてその首元に自らの手にする刀を当てた。


「さて、君たちは一体どちら様から頼まれて、わざわざこんな手厚い歓迎を計画してくれたのかな?」


 空いた片手で頭を掻きながら、ユイは苦笑を浮かべつつ黒装束の男に向かってそう問いかけた。

 もちろんこのような暗殺じみた真似を計画していた連中である。そう簡単に口を割ってくれるとはユイとて思ってはいなかった。


 しかしながら、目の前の男が取った行動は、まったくユイの予期せぬものであった。


「なっ……待て」


 黒装束の男は突然ニンマリとした笑みを浮かべると、彼は急にユイの刀を鷲掴みにし、その切っ先を迷うことなく自分の喉に押し当てた。

 そうしてその場には、黒装束の男であったものの遺体だけが生み出される。


「このやり口……そうか、この歓迎はやはり彼等の意向によるものか」


 目の前で起こった事象に驚きながらも、ユイの脳内ではまるで現在の光景と重なるかのように、先年の記憶が蘇っていた。


 カーリンという田舎街で、無軌道王女などと呼ばれていた女性が、刺客に襲われた時の顛末。

 それと今現在、自分たちへの刺客が最後に取った行動が完全に一致していた。


 だからこそ、この度の襲撃がどの面々の脳内から描き出されたものなのか、ユイはおぼろげに理解する。


「なんというべきか、これは考えていたよりもちょっと面倒なことになりそうだ」


 そう呟いたユイは思わず二度頭を振る。

 そして彼は深い深い溜息を虚空に向かってゆっくりと吐き出した。

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