第15話 英雄

 帝国軍の残兵が撤退し、クラリス王立軍は全ての兵士を王都内へ撤収させる。

 すると、彼等から伝えられた戦勝の報告で街中は大騒ぎとなっていた。


 ほとんどの民が帝国軍の集合魔法を目の当たりにして絶望感と共に敗北の予感を募らせていただけに、圧倒的不利を覆しての王立軍の奇跡的勝利はエルトブールに住む全ての人々を歓喜させた。


 城下町でも、王城でも、人々はお互いの無事と勝利を喜び合い、そして抱き合う。


 そんな歓喜の輪から外れるように、ユイは城壁の上へと登ると、その縁に腰掛けてそんな光景をどこか寂しそうに眺めていた。


「貴方は、あの輪の中には入らないの?」


 不意に背後から掛けられた声に、ユイは一瞬驚く。

 しかしその聞き覚えのある声色故に、彼はそのまま振り返ることなく彼女に向かって返答した。


「私はいいんです。疲れるのは嫌いですから。それにこれだけたくさんの人が、心の底から喜んでくれている。そんな素敵な景色を、ここからが一番良く見れますからね」

「ふふ、そうですか。じゃあ、私もご相伴に預かるとしましょうか」


 ユイの返答に満足気な笑みを浮かべると、エリーゼは彼の隣へと歩み寄り城壁の縁に腰掛ける。


「こんな所にいていいんですか? 王女のいない祝勝祝いなんて、まずいんじゃないかと思いますが」

「あらあら。今回の最大の功労者が、そんなことを言っても説得力がありませんよ」


 エリーゼの指摘を耳にして、ユイは肩をすくめる。

 そしてその場に片膝を立て、彼は頬杖をついた。


「さて、今回の顛末についていくつか聞きたいことがあるのだけど、教えて頂いてもいいですか、英雄さん?」


 興味深そうに見つめてくるエリーゼの視線に、ユイは苦笑いを浮かべて応じる。


「とりあえず、英雄は止めてください。えっと、それで一体なにをお話すればいいんですか?」

「そうね……まず私の前でした貴方とヤルム公爵との言い争いについて教えてくれるかしら。今思うと、たぶんあれはあなた達の狂言だったのでしょ?」


「はは、その通りです。実は前日にラインバーグ閣下と打ち合わせをしましてね、閣下の方からヤルム公爵にあのようなお芝居を打診して頂きました。公爵自体は当初あまり乗り気じゃなかったようですが、どうも後で聞くと、かなり力を入れて演技してくださっていたみたいですね」


 そのユイの発言を受けたエリーゼは、やや拗ねたような表情を浮かべる。

 そしてそのまま彼をわずかに睨みつけた。


「私には全然教えてくれなかったのに……ラインバーグはともかく、ヤルムにさえこの計画を話していたというのに」

「すいません。こういったものは、身内から騙さないと意味がありませんので」


 拗ねた王女の視線から逃れるように、ユイは思わず上空を眺める。

 追求を逃れるようとするその仕草を前に、エリーゼは溜め息を吐くと次の疑問を口にした。


「……まぁ、いいわ。じゃあ二つ目の質問だけど、貴方はどうやって帝国軍の集合魔法を跳ね返したの? そういえば、貴方は私が誘拐された時にも、相手の風の魔法を跳ね返したことがあったわよね……というか、そもそも貴方は本当に魔法を使うことができないの?」


 そのエリーゼの問いかけに、これ以上隠すわけにはいかないかとユイは諦観する。

 そして彼は、彼女に向かい自らの能力を打ち明けた。


「一般的に使われている魔法に関しては、私自身では逆立ちしようとも使うことはできません。私がやったことは、他人が編み上げた魔法にいたずらをしただけです。能力名はクラッキング。これが私の扱うことのできる魔法もどきです」

「魔法もどき?」


 聞きなれぬ単語を耳にして、エリーゼはユイに向かって問いなおす。


「はい、魔法もどきです。そうですね、そもそも魔法とはどうやって使われるものか、エリーゼ様は御存知ですか?」

「もちろんです。自分の魔力を触媒にし、編み上げた魔法と世界の法則を同調させ、その上で世界の法則に自らの描く新たな法則を書き込むこと。間違っていますか?」


 模範解答と呼べるエリーゼの答えに対し、正解だと伝えるようユイは一度大きく頷く。


「いいえ、その通りです。ですから、魔法を使うためには世界の法則と同調のするために必要な調律の魔力と、書き込みのための魔力という二種類の能力が必要となります。ですが、私は生まれつき書き込むための魔力に特化してしまい、同調するための魔力を持っていないのです」

「つまり貴方は自分の魔法を世界と同調させることができないから、自分一人では魔法を使うことができないと……そういうことかしら?」


「はい。魔法を使う際に同調する世界の法則を私達はソースと呼び、そこに自分の起こしたい事象を書き込む作業をハックと呼んでいます。私はこのハッキング能力だけに特化したエセ魔法士なんです」


 苦笑いを浮かべながらユイはそう説明すると、頭を二度掻いた後に再び話を続ける。


「今回、彼らは莫大な魔力をつぎ込んだ集合魔法で、この城壁を破壊しようとしていました。だから私は、彼らが世界の法則に書き込んでいたその魔法式の一部を書き換えたんです。具体的に言うと、着弾地点の座標がこの城壁となっていた部分を、彼らの軍の中心点へと書き換えました」

「そんなことが……本当に?」


 ユイの口から明かされていく想像もしていなかった内容に、エリーゼは思わず言葉を失う。


「ええ、本当です。先ほど貴方が言われたように、以前にもお見せしたことがありますよね。エリーゼ様を助けるためにタリムの所へ突入した時、私に向かって風魔法が放たれたことがありました。あの時も着弾地点を書き換えることで、タリムの方へと風を向かわせたんです。まあ今回は、書き換える対象をちょっと大きくしただけと言えますか」

「……ちょっとと言えるものだとは思えないけどね。取り敢えず、貴方の能力に関してはわかったわ。でもそれだったら、わざわざ敵に寝返る演技なんてする必要はなかったんじゃないの? 私達のところにいたまま、あの集合魔法を城壁前で跳ね返していたらそれで済んだじゃない」


 これまで聞いたこともないユイの能力に驚きながらも、実際二度目にしたことからエリーゼは彼の説明をそのまま受け入れる。

 しかし彼女はその能力を認めたからこそ、別に王都防衛司令官を勤めながらでも十分戦うことができたのではないかという疑問を覚えた。


「はは、そう言われると思っていました。残念ながら、私のクラッキングにはいくつかの制限があるのです。一つは魔法を同調する段階から魔法の発生点、つまり世界との同調点を目視下に置かなければならないこと。そしてもう一つの制限は、同時に二つ以上の魔法をクラッキング出来ないということです。それ故、私は寝返る演技をしようと決断しました」


 ゆっくりと日が落ち始めた空を眺めつつ、ユイはこれまであまり他者に話したことのないクラッキングの欠点を口にする。


「……なるほど。魔法の発生点を正確に確認するためには、相手の近くにいる必要があるということね。だけど二つ以上クラッキングできないことは、何かの理由になるの?」

「彼らがもし全魔法士を投入して集合魔法を使わなかった場合……例えば魔法士を二つや三つの部隊に分け個別に集合魔法を放たれると、二つ同時にハッキングできないことから必ず一発は直撃を受けます。ただでさえ我が軍は数的にも不利でしたし、そう言った作戦を取られた場合、私達の負けに終わっていたでしょう。ですから、私は彼らの将軍に面会し、それとなく城壁が分厚いことと大規模魔法を恐れていることを伝えておきたかったのです」


 そのユイの説明を聞き終えると、エリーゼは改めてまじまじと彼の顔を覗き込む。


「貴方という人は……本当に貴方が帝国に行かなくて良かったわ」

「はは、今回帝国に寝返ってみて思ったのですが、彼らの軍隊は規律が厳し過ぎます。どうにも真面目過ぎるんですよね。仕事中に話しかけても、相手さえしてくれませんでしたし……たぶん帝国軍の中では、私なんてとてもやっていけませんよ」


 ユイは首を左右に振りつつ、自嘲気味にそうエリーゼに告げる。

 その言葉を耳にしたエリーゼは表情を改めると、真剣な目でユイを見つめ一つの問いを口にした。


「ユイ、あなたはこれからどうするおつもりなんですか?」

「これから……ですか。一応公的には全ての役職を辞めた身ですからね。そのまま軍を退職して何処かを放浪するか、田舎でのんびり農業をやるのも有りだと思っています」


 笑みを浮かべながらユイがそう口にすると、エリーゼは途端に表情を険しくし、改めて彼の意志を確認する。


「……本気で言っているの?」

「ええ。別に私は軍人に成りたいと思って成ったわけではなく、ただ食べていくため軍に入った人間です。他に食べていく方法があるのならば、別にそれでもいいと思っていますよ」


 エリーゼの問いかけに対し、その回答としてユイは自身が軍に入った理由を口にする。


 しかしその答えを耳にした瞬間、エリーゼは今にも泣き出しそうな少女の表情となり、ユイの左袖を自らの右手でそっと掴んだ。

 それは袖を掴まれているユイも、自らの目でその姿を見なければ判らない程、とても控えめな掴み方。


 でも決して放したくないという意思がそこには込められていた。


「……ダメよ、ユイ。だって私と約束したじゃない。『他に適した後任が見つかるまで親衛隊長職を続ける』って。なのに、辞めてしまうなんて……」


 彼の袖を掴んだエリーゼの手は、少し震えているように見えた。

 ユイは彼を上目遣いに見上げてくるエリーゼから視線を逸らすと、次々と祝杯を上げていく民衆の方へ視線を移し、別の人物を彼女へと勧める。


「……エインスは十分に適した後任だと、私は思いますけどね」


 そのユイの言葉を受けて、エリーゼは寂しそうに視線を落とす。

 しかし彼女は少し袖を掴む力を強めると、彼に向かって強い口調で訴えかけた。


「別に彼に不満があるわけじゃないわ。でも、今回の戦いで疲弊したこの国には、あなたが必要なの。この国にとっての英雄がね」

「大丈夫ですよ。英雄なんていなくても、この国の人達はやっていけます。だって、クラリスにはあなたがいるではありませんか。この国を誰よりも愛する、あなたが」


 ユイは微笑みながらそう言ったが、エリーゼはそれには答えなかった。


 そうして二人の間に沈黙が流れる。

 しばらくしてユイは隣に座るエリーゼへと再び視線を向けると、彼女はその宝石のような瞳から大粒の涙を流していた。


「ち……違うのです」


 頬を涙で濡らしながら、エリーゼは首を何度も左右に振る。

 その姿を目にしたユイは、エリーゼの真意を掴むことができなかった。


「どういうことですか?」

「私は先ほど嘘を付きました。この国が、英雄であるあなたを必要だと」


 そこまで口にするとエリーゼはユイの左腕を両腕で掴み、彼女の決意を涙に濡れた美しい瞳に映して告白した。


「必要としていたのは……私なのです。私が、ユイ……貴方を必要としているのです。それだけでは、ここに居て頂ける理由にはなりませんか?」


 憧れと尊敬と愛情。

 それらの感情が複雑に入り混じるエリーゼの瞳を前に、ユイは視線を逸らすことができず、そのまま見つめ返す形となる。


 そうして二人の視線が重なり続け、ユイは一つ息を吐きだすと、頭を掻きながら自らの意思を言葉にしようとする。


 しかし彼の口から返答が紡がれようとする直前、祝勝会の主賓である彼らを探していたエリーゼの侍女が、遠くから二人の姿を見つけて手を振りながら呼びかけて来た。


「エリーゼ様、イスターツ様! こんな所にいらっしゃったんですか……主賓がそんなところにいらっしゃってはなりません。せっかくの戦勝祝いなのですから、早くお戻りになってくださいませ!」


 その侍女の声を耳にしたエリーゼは一度大きく深呼吸をする。

 そして先ほどまでの少女の顔から王女の顔に切り替えると、彼女は侍女に向かって返事をした。


「……すぐに参りますわ。さあさあ、あなたも諦めて参りましょう」


 ユイは彼女の言動に苦笑いを浮かべると、腰掛けていた城壁の縁よりゆっくりと立ち上がる。


「仕方ないですね。取り敢えず、今日のところは英雄イスターツという役目に甘んじますか。こんなにやる気なしの英雄でも、どうやら望まれているみたいですからね」


 そう口にすると、夕日に照らされるエリーゼに向かいユイはそっと手を差し伸べる。

 そして彼女は彼の手を掴かみ、優雅にその場から立ち上がった。


「今日のところは?」


 エリーゼはユイにしか聞こえないように、彼の耳元に顔を近づけてそう問いかける。

 ユイはやれやれとばかりに頭を二度掻くと、先ほどは言えなかった台詞を彼女に向かって口にした。


「いや、今しばらくは……少なくともこの国と何処かの誰かが、私を必要としている間は」


 彼がそう口にした瞬間、春の日差しのように明るく柔らかい笑顔がユイの視界に写る。

 そしてエリーゼは、ユイの目を見つめながら、彼の手を強く握った。


「だとしたら、それはずっとね。この国も私も、決して貴方を手放さないわ」


 いつの間にか太陽は地平線の先に沈み、夕闇に包まれた二人は、手を繋いだまま城壁から戦場となった南部平原を見渡す。


 その平原で繰り広げられたはずの戦いも、叫びも、祈りも、全て夕闇に覆い隠されていくかのように大気中に霧散し、彼らの視線の先には、どこまでも、どこまでも、緑の平原が遥か彼方へと広がっていた。








【あとがき】

本話にて第2章カーリン編は終幕となります。

次章オルミット編もどうぞよろしくお願いいたします。


また本日9月22日にコミカライズ版やる気なし英雄譚第一巻が発売となりました!

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