今は古きユメの跡

 大きな、それでいて古ぼけた洋館。

 以前、校内で兄さんを発見し、何の気無しに追跡した末に辿り着いたあの見晴らしの良い小山の階段口がある住宅街。ついこの間バラバラに解体された人間の遺体が発見されることになった裏路地も存在する、光と闇の対立という二面性を含む、まさしく社会そのものの縮図のようなあの住宅街——から更に外れた、ひび割れたコンクリートでコーティングされている山道を軽く一時間もうろついた山の中腹辺り。こんな所に、どっぷりと街を見下ろすように、見下すように鎮座している巨大な洋館があるだなんて、知るよしもなかった。

 危険。

 売地。

 立ち入り禁止。

 そんな言葉の書かれた看板もフェンスも立ってはいないのだけれど、しかし、一目見ただけで、何なら一眼見ることすらもなくこの館を包み込む空気そのものを肌で感じただけであっても、この洋館に人が住んでいないことは理解するのは容易い。

「何をぼーっとしているの? ほらほら入るよ入るよハリーアップ! 人生長くて世界は廻っていようと時間は有限なんだからサクサク行こうよ。それとも、有限だからこそ諦めてダラダラしてみたり? ま、私の前では許さないぜィベイベー」

「………………」

 有無を言わさぬ絶対強者からの命令に、ボクは断る理由がないという理由付けの元——断ることなどできる筈がないのだと理解した上で——彼女の尻を追って館の内部へと侵入していくのであった。内部に入って最初に目に入る煤けた大階段。その大階段を彼女は迷う様子もなく登っていく。

 どこか、向かうべき場所へと確かな足取りで進んでいく由比ヶ浜優希。何も知らない無知なるボクは、ただ、彼女の後を追って着いて行くことしかできはしない。

「君はさ」

 ふと、彼女が閉ざしていた口を開いた。

「六感に選ばれた自分は特別な人間であると思うかい?」

 六感に選ばれていてもいなくとも、ボクはその質問に対しての解答なんてものはひとつしか持ち合わせていない。自分が特別なのかと問われた際の解答なんてものは、数学の計算問題のように狂いなくただのひとつのみ、常にボクの中には存在しているものなのだ。

「、勿論思いますよ。だって、他の有象無象が持っていないモノを、この世にたったひとつだけの特異な力を持っているんですよ? そんなモノを持っていながらにして、自分が特別でないと言う。それは謙虚なのではなく傲慢である、なんて、ボクは考えますけどね」

「そうかい」

「そうなんです」

「そうなのかい」

「ええ、ボクは生まれながらにこういう人間でしてね」

「つまり君はそういう奴なんだね」

「つまりボクはこの程度の奴なんですよ」

 しかし、ボクは考えるのだ。

 特異な力を持つモノは、どのような生き方をしようとも『とある責任』というモノが一生涯付いて回ることとなるのだと。勿論ボクにもあり、何なら今現在進行形でその責任に苦しめられている真っ最中であり、そして目の前の彼女にも、勿論その責任は逃れる術もなく付き纏い続ける。まあ、それがどのような責任なのかなんて、人それぞれだとは思うけれど、思い出したくもないがあの殺戮者に《殺戮》という血に刻まれた『責任』があったように、ボクらにも各々で補完した『責任』とでも呼ぶべきものがあったとしても可笑しな話ではないのだろう。

「君は、イイ男ではなくともイイ奴なんだね」

 今のを聞いてか聞かぬか——聞いていたとしたら頭の中で上手く編集されて——前を歩く由比ヶ浜優希は嘲るようにそう言うのである。

「イイ奴? ……どうをどこすればそんな発想に至るんですかね? もしかしたら自分で気付いていないだけで由比ヶ浜部活ってば疲れているんじゃないですか? 疲れた時は休息するに限りますよ。努力に対する休息は等価交換のギブアンドテイクなんですから、質量保存の法則と自然摂理の法則は守らなくては」

「ありがとう。でも、そうはいかないものなんだよ。私ってば、凡才な人間だからね。君達のように特別ではないんだ。なら、凡人は凡人らしく努力と発想と友情と努力でその圧倒的な差異を埋めなくちゃだからね」

 何を言っているのか、本当に意味がわからなかった。理解に苦しむという言葉を、ボクは生まれて初めて体験したと言っても過言ではない。

 ボクが特別だって? 何を馬鹿な話をしているのか。ん? いや、ボクが特別だなんてくだらない話をしたんだったか? そうだとしたら申し訳ないな。謝罪ものの失態である。そうか、そうだな。彼女がそんなことを言う訳がないか。まあ取り敢えず、ごめんなさいってことで。

 ……とは言っても、まあ、別に構わないか。八つ当たりとて人の技。仕方ないんだ、人なんだから。人である限りは神になれない……人偏がついていないしね。

「ま、君は私が言っているようなそういう類いモノじゃあないんだろうけどね。知ってて言いました嫌がらせです万歳!」

「? ん、まあ、はい。そうですよ」

 そういうモノって何だろうか?

 何となく肯定してしまったが、これが『変態』とか『変質者』とか『靴紐野郎』のような意味だったら馬鹿な事をしてしまったな。悲しみ。

「ささ、入って」

 両開きの扉を開いて、体を逸らして入室を促す由比ヶ浜優希。実はホラーが苦手なボクとしてはここに入ったら何かいけない感じのイベントが発生しそうで気乗りしないのだが、しかし、今思い出してみるとボクの秘密のみを露出狂のようにさらけ出しており、女郎の内容物というか構成物は聞き出せていないのだ。世界が理不尽なモノだと言っても、ちょっとこれはどうにかしたい案件ですね、はい。

 腹を括るなんて言葉が似合わない四天王の三番目くらいの立ち位置にいるボクだけれど、腹を括って室内へと侵入する。室内は、何と表現するべきか、至って平凡な、皆様方のご想像通りの埃っぽい西洋風の部屋と言った雰囲気だ。中央には机を挟む形でソファが設置されており、そのソファの片割れだけは少々ばかり埃の積もり具合が浅い気がする。

 背後では扉が、キィ、なんてコナンのCM入りの時のような、いや、それをもう少し落ち着いた感じで行ったような音で扉が閉められる。扉を閉めた張本人である由比ヶ浜優希が無言のまま埃の少ないソファに腰をかけたので、客人に対してその態度かと思いつつも埃が可視化されるレベルで積もっているソファへと近付き、軽く叩いてから腰を下ろした。

 何やら「埃が散るからそのまま座りなさいよ」みたいな視線を感じたが、無視を決め込んでみる。流石のボクでもこんな埃まみれのソファには座りたくないということだ。

「して、一体」

 そんな視線がウザく、そして何より恐ろしくボクは由比ヶ浜優希に話を促した。

 由比ヶ浜優希は一瞬何とも言えない軽蔑し切った眼でボクを見たが、次の一瞬にはその眼はいつものあの干からびた笑顔へと変化していた。

「いや、ね。流石の私とて君のアレコレだけ聞いて脱兎の如しとシュタタなんてしないよ。君の私に対する評価なんて知ったことではないけどさ、私には私なりのルールっていうものがあるんだなぁ、これが。だから、ルールに沿って君をここに連れてきた」

「ルール、ですか。じゃあ、まずはそれから聞きましょうか」

「ん? え、ルール? つまらないでしょ、そんなの聞いても。初恋とかスリーサイズとか今年の文化祭の予定とかそういうの聞いていこうぜ? 男だろ? 男に生まれたならガツガツ行こうよ」

「いえ、まずはルールからでお願いします」

 自分自身のルールをさらけ出すことは、心臓を露わにするも同然である。

 人体の心臓が血液を送るポンプなのであれば、自分自身を縛るルールとは思考を回すポンプなのだ。そう言った直接的な弱点になり得るものこそ、ボクの望む話である。脳味噌覗き魔よ、これを聞いているのならば答えてみろ。

「まあ、いいよ。いーよーっだ。私なんて君の全てを知ってるんだからさ」

「まあ、そういうこともあるでしょう」

「んにぃ。本当、なんなんだろうねぇ、君って奴は。で? 私のルールだっけ? えーっと、まずは『人と関わる際は相手の事情をある程度理解した後に関わる事』とか、『他人の姿勢に口を出さない事』とか、『物事の等価交換は可能な限り行う事』とか、『こちらが完全な無罪の場合、やられたらやり返し、これを正当化するだけの理由を相手に提示する事』とか、『常に笑顔でいる事』とかそんなところだよ? つまらないでしょ?」

「………………」

「ほら、やっぱりつまらなかったんでしょー。おっぱいの話ししようぜおっぱいの」

「あーソッスネ。しましょ、しましょ」

 まさかこれほどとは思っていないし完全な想定外だったな。煙突に詰まったサンタの気分だ……全く。

 セルフマーケティングの結果、とでも評しておくとしよう。

「じゃあ次は……そうですね。名前、性別、年齢、身長、誕生日、好きなもの、嫌いなものでも行ってみましょうか。仕返しです」

「私の名前は由比ヶ浜優希! 性別は規約正しい女の子! 身長百六十七センチ! 誕生日は十二月二十五日のクリスマスの日だから毎年クリスマスプレゼントが誕生日プレゼントなり! 好きなものは草餅で、嫌いなものは煎餅だったりする! 彼氏は……悲しきかな、今はいないね! スリーサイズは上から七十、五十五、七十六! 左肩の裏の辺りに火傷の後があったりする! 初潮は十二歳の七月で処女膜は未だ健在なのだ!」

「………………ハァ」

 何でこの人はこうなんだろうか。

 何というのだろうか……こうも可愛げがないのだ。志雄生ちゃんには存在する可愛げというか、こう、母性本能をくすぐる守ってあげたくなるような感じがないんだよ。勝手に生きてろ、ぐらいにしか思えない。勝手に生きてろ。

 多分彼氏がいないのはそういった部分によるものだと推測してみたりする。男はキツネタイプよりたぬきタイプを好むらしい……よくわからないがそうらしい。

「いやいや、告白されたことはあるぜ?」

「冷蔵庫のプリン食べたのは私だ! って妹にでも告白されたんですか?」

「何故にわかったし⁉︎ おま……ロリコン? 私の妹を狙ってるのか⁉︎」

「いやいや、歳下には興味ないんで。今回はご縁がなかったということで、ひとつここはお引き取りを」

「なんと……」

 なんと、って何だよ。

 好き嫌いくらい誰にだってあるだろ。好き嫌いがない奴は万物万象を疑っているか、自分以外の全てを自らよりも上位の存在であると思い込んでいる奴だけだろうさ。

「では、次の質問です。あなたは、何のために前に進むんですか?」

 ボクのその質問の真意は、自分自身でも完全な状態では理解していなかった。しかし、煌めくような七色の魂を持つ彼女が『生きていられる』理由というものは、ボクの深層に眠っていた知的好奇心というものを呼び起こすには十二分なほどの財宝であることは、言うまでもないだろう。

 きっとこれは、実際に体験してみた者でないと体感できないであろうが、人間は常に奴隷であり、深層心理では先導者を求めているのだ。その先導の根底は『死』であるのだと信じて疑わずに進んでこんな所までやって来てしまったボクの人生であるが、まさか、ここでようやくルートの分岐でもあるのだろうか? ルート十四から別の場所へ……。

「何のために前に進むのか? 何を言っているでござる何が言いたいでござるか⁉︎」

「…………『生きている』、『生きていられる』理由って奴ですよ。今だって、あなたは別にあなた自身がやらなくたって他の誰かがやるであろうことを本気でやっている……やはり、ボクはどうにもこうにも理解できないんですよ。他人のために命張って頑張る意味というものが……」

「ああ、君は、そうだね。人を信じることで信用を失い、信じた者が巣喰われるような、そういう風景を見て育って来たんだもんね。……うん、でも別に、私だって他所様のために命を張って努力したことなんてこれっぽっちもないよ? 今しているのは、助けられているのかどうかすらわからない偽善を振りかざしてこの異常から目を背ける——言ってしまえば自慰行為と何ら変わることはない行為なのさ。気持ち良くなっているだけなんだなぁ、これが」

「……本音で話してくださいよ。折角こんな過去の遺物を引っ張り出してきたんですから」

「………………」

 自分に出来ないことだから、他人にそれを求めてみた。

 彼女はただ嬉しそうな瞳で何も見ず、こくりと首を振るだけであった。

「笑わないかい?」

 静かにその声はボクに問う。

「わかりませんね」

 ボクはただ彼女だけを見て、しかしそれでいて彼女から目を逸らして、絞り出すようにそう受ける。

「……私はさ」

 ……………………そうか。

 まさか、ああ、何ということだ……いやそんな。

「誰か……たったひとりだけでも良いんだ。いや、本当はみんななんだけどさ……限界って言うのがさ、私の場合目に見えてるからさ……そのぉ……」ごにょごにょと、言いづらそうに手遊びをしながら目を逸らしていく。「……うん。あのね、私はさ……えい……英雄になりたいんだよ」

「英雄……ですか?」

 EIYUU。

 Hero。

 正義の……味方。

「だ、誰だって憧れるだろ! そういうの!」

「ああ、いや、はい、まあ、そうですね」

 でも、そういうのは。

「あはは……馬鹿だって思っちゃうのかなぁ」

「…いえいえ、『夢』を持つのはどのようなものであっても良いものですよ。人を車に例えたら、『夢』ってものはバッテリーみたいなもんですから」

「うぅん……何ともウサンクサングラス。君が『夢』とか『希望』とかそういう光っぽいことを言うとさ、何とも信じ難いのはなんでだろうねぇ。こう、さ。何でだろうね? きっと君は心の底からそう言っているんだよね、私はそう思うよ。でもねぇ、うぅん……不思議だねぇ」

「不思議ですねー、ハッハッハー」

 まあ、生きていたらそういうこともあるのだろう。

 それに胡散臭いなんて聴き慣れた言葉だしね、主に鴎からだけど。全く失礼しちゃいますよ、こちとら必死に自分の尻尾追いかけて生きているというのに、猫は猫でも山猫ってか?

「ま、それは置いておいて、次の質問と行きましょう」

「あいさー。気は乗らないし話たくもないけどね、約束は約束ですから〜バッチコーイ」

 約束。

 それは守らなければいけないものだ。どんなものであったとしても。

「あなたは、自分自身のことが特別だって思いますか?」

「思わないさ」

 即答だった。

 即答なのかぁ……即決即断、流石上に立つだけのことはあると誉めるべきかそんなもので『夢』を語ったのかと落ち込む、あるいは貶すべきか。

「私にやれることなんて、別に私じゃあなくてもやれるんだぜ? 人の心の声を聴く、だなんて行為は六感が無くても可能なんだよ、これが。人の細かい動きを見ればわかるって言うだろう? あとは、今の科学技術の進歩も驚き桃の木山椒の木でね、人の脳波を読み取るだか何だかで、人の思考を覗き見る機会があるそうだ」

「ああ、そういう」

「って言うのは、まあ、正直に言うと最近自分を納得させるために作り上げた砂の城なんだけどね。鯨に笑われちまうかな?」

「……そうなんですか」

「私もさ、ずっと自分は特別なんだとばかり考えていたんだよ。もしくは神様か何かが下さったチャンスなんだって、さ」

「……はぁ」

「だから頑張ったんだよ。この力を使って、誰かの役に立とうとしたんだよ。他にもこの力を持っている人がいるんだと知って、その力を悪用している人がいると知ったらそれを挫いてここまで来たんだよ。その結果生まれたのが六感課外活動部であって、私は少しでも人の役に立とうと思って……今まで頑張って来たんだ」

「そうなんですか」

「でも……はは。私はどうやら、英雄とかそういう器じゃあなかったみたいなんだよね」

 ——は?

 そんな訳がないじゃあないか。ここまでやって来たのは彼女本人であり、彼女がボクに与えた功績は間違いなく正義の味方のソレであった。

「一年前の夜に出会った神々しいまでの光に憧れて、心の中でそんなものを目指すようになってしまったけど、とても、私が見ていいような夢じゃなかったのかもしれないね。身の丈に合っていないから、だらしがなくてしかたないよ。こんな異常事態ひとつで心を病んで、仲間を巻き込んで自殺をしようとしている奴なんて——とても英雄とは呼べないでしょう?」

 ……光なんてものは絶え絶えで、結局夜を包むのは闇なのだ。逆に昼を包むのは光ではなく、また闇でもない。昼を包むのは熱であり、より正確に記すのならば焔である。

 彼の偉大なる夜警ナイトウォッチを見てしまい、目を焼かれた結果がそれなのならば、そりゃ、もう休んだ方がいいでしょう。あれは英雄の器ではなく、正義の味方の器なのだ。アジとサバ程度の違いではあるが、その差は深く険しく何より厳しい差異がある。目指す場所が違うならば——歩む道も変えていかなければなるまい。

 あなたは、英雄の器なのだから。

 残念至極な話だが、どこまで行っても彼女じゃない。

「私は君が嫌いだよ」/「ボクはあなたが好きですよ」

「君は私の夢を打ち砕くに足る存在だった」/「あなたはボクに足りない全てを持っている憧れの存在ですよ」

「私に出来なかった事を君はやり遂げたんだ」/「どうしようもなくて諦めていたことにあなたは立ち向かわせてくれました」

「だから私は君が嫌いだ」/「だからボクはあなたを愛しています」

「だから私は私が嫌いだ」/「だからボクはボクが嫌いです」

「夢ばかり見る愚か者だったから」/「夢すら見れない死体人形なのだから」

「殺し合おう」/「愛し合おう」

「その果てに私達は/腐るような夢の果てに」

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