春の向こうから逢いに来て

「#適当なタイトルをもらうとそれっぽい小説の書出しが返ってくる」で頂いた題名③


 ──


 その人は、「春」を背負ってきた。


 ……というのも、僕が初めてその人を見つけた時、その人は桜を見上げていたのだ。僕からしたら、その人は「春」そのものだった。……これが一目惚れというやつだと知るのは、また後日の話だが。

「そこで何をしているんですか?」

 僕がそう尋ねると、その人はゆっくり振り返った。……綺麗な人だった。その人は、男かも、女かも、大人かも、子供かも、僕に一切の情報を与えなかった。それがまた、僕の中の何かを奮い立たせるようだった。

突然声をかけた僕に驚くこともなく、その人は答えてくれた。

「ひとをまっているの」

 少し時間を置いてから、ようやく頭の中で「人を待っているの」に、変換された。その人の声も、とても美しかった。僕が使うこの言語とは別のものに感じられた。それくらい、僕はしばらくその声に酔ったのだ。

「じゃあ暇潰しに、少し話しませんか」

 僕のその提案を、その人は快諾してくれた。断られると思っていた僕は、とても驚いた、が、それは嬉しさですぐに流れる。

 その人の名前は、桜さんといった。まさにこの桜に似合っていた。それから僕たちは様々なことを話した。僕は普段何をしているか、桜さんは何が好きなのか、どんな人を待っているのか。僕はどんな話も、目を輝かせて聞いていたことだろう。それだけ、僕はその人の魅力の虜になっていた。

 やがて、長い時間が経った。僕にとっては一瞬だったが、世間一般的にはとても長い時間だろう。僕がこの人の立場なら、もうしびれを切らして帰ってしまっている。

「あ」

 そこで桜さんが声を上げた。

「来た」

 僕はその声に辺りを見回す。この人をそこまで待たせた奴の顔を、拝んでやろうと思ったのだ。……しかし不思議なことに、いくら辺りを見回せど、誰もいない。

 どういうことかと桜さんの方を見たが……そこには誰もいなかった。


 どうして桜さんが忽然と姿を消してしまったのか、僕は知らない。ただ僕はその日以来、あの桜の木に近づいていない。

 今日も桜の木は、そこで咲き誇っている。

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