第24話 実家の安心感

 最近はとても忙しく出かけており、これまでの本業であったライター業はしばらく休んでいたが、元々渡はインドア派の男だった。

 実家という心落ち着く場所にいると、しばらくの動きっぷりで疲れていた体が休みを取りたがっているのが分かった。


 二階のかつて使っていた自室のベッドに寝転がって、軽くスマートフォンでニュースを確認する。

 最近は付き合いが増えたために、色々なスポーツ速報に目を通すことが多くなっていた。

 野球選手はお盆休みでも仕事があるらしい。

 遠藤亮太がタイムリーヒットを打ったのが分かった。


「頑張ってるんだなあ、亮ちゃん」

「あるじー、大丈夫?」

「ああ。ありがとう。ちょっとゆっくりするよ。ほら、この前会った亮ちゃん、活躍してるんだって」

「へえ。主嬉しそうだね、良かったね」


 ベッドでぐったりとしているからか、エアが横に寝転がって心配してくれる。

 ピタリと並んで寝転ぶと、女性の柔らかな体に包まれて気持ちいい。

 エアは少し体温が高めだ。

 エアコンが十分に効いていないと暑苦しいだろうが、今はその温かさも心地よさに拍車をかけていた。


「そうだ、良かったらアタシがマッサージしてあげようか?」

「良いのか? っていうか、できるのか?」

「うん、任せて。アタシたちの一族は戦えない年齢のときは、よく戦士にマッサージするんだよ」

「へえ。それじゃあ頼もうかな」


 一体どんなものだろうか。

 ベッドのうつ伏せに寝て、枕を胸元に置いて手を組む。

 エアが太ももの上に跨ると、小さな手を腰に置いた。

 剣を握り勇敢に戦う戦士の手とは思えないほどに華奢で柔らかく、スベスベとした肌だった。

 むうっとエアの唇が尖る。


「まずは腰。主の腰、パンパンに張ってる。……毎晩えっち頑張りすぎじゃない?」

「うっ……。お前たちが魅力的すぎるからだぞ」

「ニシシ、可愛くてゴメンネ?」

「いや……。エアもマリエルも美人で良かったよ」

「そんなこと言われたら嬉しいなあ。ねえ、今夜もする?」


 目を細めて蠱惑的に微笑むエアの表情に、思わず性欲が刺激される。

 だが、少しだけ考えてそれはないな、と否定する。

 自分の祖父母がいるのだ。


 普段から一緒に暮らしているなら、何らかの機会を設けるのも仕方ないかもしれないが、たかが一日でわざわざ情事の音を聞かせたりする必要はない。

 とはいえ、誘われて断るのはちょっとだけもったいない気がする。


「しない」

「ちぇー。じゃあ帰ったらまたたっぷりしようね」

「おい、俺の腰を労ってくれるんじゃないのか」

「おっと、そうだった。どう、強さは大丈夫?」

「ああ。気持ちいいよ。疑って悪かったな。本当に、いい気持ちだ」


 ぐい。ぐい。とリズミカルに体重をかけて手のひらで筋肉を揉みほぐしてくれる。

 ガチガチに固まっていた筋肉のこりがゆるゆると解けていくのが分かる。

 ぎこちない動きではなく、的確で慣れた手付きは、言う通り何度となく繰り返してきたことを伺わせた。


「にしし。これからはアタシが主の体を見てあげるね。腰もだけど、太ももとかふくらはぎ、肩もパンパンだねえ」

「ああ、これまで運動不足だったからなあ。急に動きだしてるから、体がまだ慣れてないんだと思う」


 体中どこを触られても痛気持ちいい。

 こうして触られて、思ったよりもはるかに疲れていることに気づいた。

 旅に出かけたこともそうだし、夜毎行われる情事も体力を大量に消費する。

 筋肉痛にもなったし、以前よりは多少筋力や体力はついただろうが、疲労は蓄積していたのだ。


 だが、新しいことに挑戦していたり、旅に出かけると気分は高揚する。

 自分の疲労にも正確に気づけなくなっていた。

 強すぎず弱すぎず、痛気持ちいい強さでゆっくりとリズミカルにマッサージが続けられる。

 自然と口から声が漏れて、気が緩んでいく。


「実家に帰れて主嬉しそうだね」

「ああ。落ち着くよ。エアの故郷はどうなんだ?」

「アタシ? アタシかあ……」


 困ったような声が背中から聞こえて、渡は不思議に思った。

 これまで話している限り、エアは一族に誇りを持っているし、その中でも一番の戦士としての誇りは相当に高かった。


「アタシの一族は西方諸国にいてるんだけど、小競り合いが多いところでね。いつもどこかの国とか領地が戦をしてるの」

「物騒な地域だな」

「ずっと戦ってるから、戦士とかアタシたちみたいな傭兵一族が集まってて、戦に合わせて移動するんだー。だから同じところにずっといるってことはないから」

「ああ、そういうことか。テントとかで暮らしてるのか?」

「野戦だとそう。市街地戦とかの防衛の依頼とかだと、家でも住んでたよ」


 ずっと戦い続ける傭兵暮らしというのがどんなものかは分からないが、かなり殺伐としないものだろうか。

 そんな環境で、エアほど天真爛漫さを保つのはどれほど大変なことなのだろう。


「余裕ができたら、エアの故郷にも行ってみたいな……」

「うん、何もないところだけど、来るならみんな歓迎してくれると思うよ」


 やることはとても多いけれど、少しは落ち着くタイミングができるはずだ。

 その時にはエアとマリエルの三人ででかけよう。

 そんなことを考えていたのだが、徐々に眠気が体を包み始めていた。


「んっ、んっ、よいしょ、あー、ここガチガチだよー」

「あ゛ああああ……。そこ……いいなあ……」

「主、眠たそう。このまま寝ていいからね」

「うん、ありがと……」


 優しげなエアの声や手つきが、体と心を安らぎに導いてくれる。

 気づけば渡はぐっすりと眠りについていた。


 ○


 おどろくほどぐっすりと眠ってしまっていた。

 エアのマッサージは本物だったし、自分の疲労もまたひどいものだったのだろう。

 渡は頭を振って眠気を覚ますと、時計を見た。

 もう夕食の時間になる。

 堺家では夜七時に夕食と大抵は決まっていた。


 エアは隣で寝ていた。

 むにゃあ、と緩んだ表情は熟睡しているようで、渡よりもよっぽど眠りが深そうだ。

 相変わらず隣に寝ているとぎゅうっと抱きしめる癖はそのままで、今も渡にぴたりと体を添えて寝ていた。


「おーい、エア、起きろ」

「うにゃ、むにむに……」

「エア、おきろー」

「んあー、お腹へったよ~」

「エア、起きろ。御飯の時間だぞ」

「ごはん!? ごはんどこ!?」

「もうすぐできるだろうから、起きて準備しよう」

「あい!」


 食事と聞いたら一瞬で覚醒して、がばりと体を起き上がらせる。

 反応の速さに苦笑しながら、渡はエアとともに階下へと降りた。


 階段を降りる途中から、香ばしい肉の匂いと、味噌汁の匂いが漂ってきていた。

 幼い頃から何度も嗅いだことのある匂いに、好ましい記憶が湧き上がる。

 台所を覗けば、祖母の美恵子とマリエルが炊事の途中だった。

 二人とも楽しそうに話をしており、和気あいあいといった雰囲気が漂っている。


 料理は美恵子が主にしていて、マリエルはその手伝いという感じだ。


「あの子ったら本当にハンバーグが好きでねえ。何かあって機嫌が悪くなってたときも、これを出してたら喜んで食べてたのよ」

「他にももっと好きな味で料理できれば良いんですが」

「そうよねえ、今度レシピを教えようかしら?」

「ぜひよろしくお願いします。私、こちらの調理器具から料理のレシピまで全然わからなくて、すごく助かります!」

「いいのよ、渡ちゃんにこんないい娘ができるなんて。本当にありがたいことだから。あの子が不出来な男でもどうか見捨てないでね」

「いいえ、とてもお世話になって助かってるんですよ」

「あの子がねえ……」


 ハンバーグとニンジンとブロッコリーのバター炒め、味噌汁は豆腐と薄揚げとたっぷりとネギが入ったもの。

 どちらも渡の大好物だった。

 実家を出てからは食べる機会もなく、外食なんかで店の味を食べて美味しいとは思うものの、どうしても何かが足りないと感じてしまう日々。

 いわゆる家の味というものだろう。


 祖父母はまだまだ元気だが、不老不死というわけではない。

 祖母が亡くなった後は、二度と口にできないと思っていた。


 それをマリエルが覚えてくれている、というのはとても嬉しかった。


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