第22話 薬屋

 渡が異世界に来て気になっていた店はいくつもある。

 だが、その中で日本で売り払うことがすぐに考えられる物は、それほど多くはなかった。

 詳しくは後述することになるが、売り払う方法に問題があるためだ。


 そこで渡が目につけたのが、ポーションだった。

 ファンタジー小説やゲームなどで目にするポーション。

 この世界のポーションが、渡の想像している物と大きな差がないとすれば、大金を払ってでも欲しがる人が多くいるはずだと思えた。

 なんと言っても日本の医療費は年間30兆円にも上るのだ。


 マリエルとエアを連れて街を歩く。

 つい二・三日前に少しばかり探索した時に見つけた薬屋は、ポーション瓶と乳鉢の絵が描かれていて、一目でそれと分かった。


(しかし窓ガラスのない家が目立つなあ)


 ウェルカム商会、奴隷店、武器屋、そしてこの薬屋。

 これまでに入った店はどこもそれなりの規模以上の店に思えるが、どれ一つとして大きな窓ガラスが存在していない。

 言ってしまえば薄暗いのだ。


 ガラス自体は紀元前三〇〇〇年と非常に歴史の古い物だが、吹きガラスから板ガラスに変わるまでは産業革命期を待つ必要があったという。

 大きな板ガラスができないからこそ、ステンドグラスの技法が生まれたりと、間にも創意工夫が誕生したが、やはり板ガラスの採光性は段違いで、店舗がどこも薄暗くなりがちなのが困りどころだった。

 もちろん戸を開けば光は入るが、今度は換気の問題が生まれる。


(これも商品になりそうだが、やっぱり貴族が一番に欲しがるのかな)


「ここが目的のお店ですか?」

「そう薬屋だ。ファンタジー世界って言ったらポーションとかあるけど……ここにもあるのかな」

「多分あると思いますよ。もしかしてご主人様はどこかお体が悪かったりするんでしょうか?」

「違う違う。これを商売に活かそうと思ってな」


 マリエルが心配そうに表情を曇らせたので、大丈夫だと軽く返しておく。

 不摂生の自覚はあるが、まだ体のどこにも不調はない。

 ただ今の生活を十年続けていたら、どうなるだろうという不安もあったが、環境が激変している今、その心配も杞憂で終わりそうだ。


「アタシもよく利用したなあ」

「そうなのか?」

「剣闘士は訓練も試合もよく怪我をするから」

「その割には傷跡とかないんだな。まあ俺はその方が嬉しいけど」

「アタシはもともと大きなケガをしない方だったし、闘技場では絶対にポーションがあったから、すぐに飲んでた」

「選手が大怪我して引退すれば、それだけ興行に差支えてしまいます。特に抜群の強さを誇ったエアは、人気という意味ではとても高かったみたいですから確実にすぐに飲めたんじゃないでしょうか」

「そういうものか」


 マリエルの解説になるほどと頷く。

 自然と強い王者は人気が出る。

 誰だって強かったり優れていたり、美しいものを好きになる。

 賭けの対象としては不適格でも、その強さ自体は華になるのだ。


 店に入る。

 ギィと軋むように蝶番が音を立て、エアが顔をしかめた。

 獣人である彼女の優れた耳には、不快な音の影響もより大きいのだろう。


 薬屋は他の多くの商店がそうであるように、カウンターがあり、奥に棚が並んだ配置になっている。

 粉末化や煮出された様々な材料の臭いが空間に漂っていた。

 けっして悪い臭いではないが、良い匂いとも言えない独特な香りだ。


 店先に立っているのは山羊のような顔をしたおばさんだった。

 いや、お姉さんかもしれない。


 エアのような耳や尻尾ぐらいしか人と差のない獣人だけでなく、同種族でも獣の姿が色濃く出た獣人も珍しくなかった。

 道行く人々の顔をじっと観察する訳にもいかず、驚いたもののそれを表すのも失礼な気がして、渡はグッと我慢していた。


 山羊族の女性が渡たちの方に目を合わせると、いらっしゃい、と声をかけた。

 声の日々からはやはり少しばかりの年齢を感じさせる。

 失礼ではないが丁寧にも思えない声のトーンで、歓迎も拒絶も感じられない態度だった。


 カウンターの奥の商品棚に並ぶポーション瓶と品書きを渡はジッと見つめた。

 傷薬(速)(遅)(慢)、咳止め、熱冷まし、麻痺毒、火傷薬と色々な薬があるのが分かる。


「すいません。ちょっとお聞きしたいんですけど、ここに売ってるポーションって、どういう効用があるんですか?」

「これは疲労がポーンとすぐに抜けるやつ」

「え、それ大丈夫なんですか!?」

「常用するもんじゃないが、適度に飲む分には問題ないさ。冒険者とかはよく買っていくね。危険な場所にいるのに疲れて死にましたじゃお話にならないだろうからねえ」

「そ、そうですか」


 この薬屋やべーな、と渡は思った。

 やばいのはこの薬屋なのか、それとも業界全体がそうなのか、分からない。


 思ったのだが、渡は警察官でないし、現地の法に問題がないなら口出しするのも違うだろう。

 時代によっては酒が禁止されることがあれば、大麻が解禁されることだってある。

 郷に入っては郷に従えの精神で、ぐっと意見を堪えた。


 山羊族の女性は次の瓶を持ち上げる。


「これは傷に効くやつで、こっちはちょっと高いけど、大抵の切り傷とかも一瞬で治しちまうやつさ」

「高いやつと安いやつの差はどこなんですか?」

「高いほうが魔法が込められてて、効果が高くてすぐに効く。腰痛も関節痛も大抵の怪我なら一発さ」

「低い方は?」

「こっちは薬草からだけで作ったもので、治るけど時間がかかるね。ただ兄さんは冒険者には見えないけどねえ」

「ああ、いや。俺は冒険者じゃなくて、違う国から来た商売人ですよ」

「なるほどね。たくさん買って行ってくださいな」


 ここで魔法という言葉が出てきて、こんな身近にあるのか、と渡は驚きと好奇心、興味や納得といった複雑な気持ちになった。

 ファンタジーといえば魔法の要素は欠かせない。

 だが、これまではマリエルやエアなどとの会話では魔法の実在こそ分かっていたものの、物凄く珍しい物である可能性が高かった。


(俺も魔法を使いたいな。習って使えるようになるものなんだろうか?)


「昔の古傷とかが治る薬ってありますか? 冒険者とかが昔にした結構大きい怪我とかなんですけど」

「こっちの慢性治療薬がそうだね。ただちょっとこれも高価たかいよ」

「これって膝を痛めたとか、肩を使い過ぎで痛めたとかでも大丈夫です?」

「ああ、大丈夫さ。なんだい、どこか悪いのかい?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」


 ずいぶんと皆に心配されることに、渡は少し不安になった。

 もしかしたら、思った以上に他人からは不健康そうに見えるのだろうかと。

 近頃では滅多に日中に外出せず、室内でパソコンでライティングばかりをしていた渡は、少しも日焼けしていない。

 それがこの街の人々には少しばかり奇異に映っていたのだった。


 ともかく誤解を解いた渡は、そのまま続けて商品の説明を求める。

 ポーション瓶の棚から、丸薬や煎じ薬の棚に説明が移る。


「煎じ薬はいわゆる病気に対してのものが中心だね。あとは痺れ、毒や混乱に対応した回復があるよ」

「うーん、こっちはすぐにじゃないけど、追々仕入れたいかも」

「兄さんにはそれよりもこっちの方が良いかもね?」


 山羊族のおばさんが違う棚のポーション瓶を指差す。

 ピンク色のテカテカと光った粘性の液体が入った瓶には特に名前が書かれていない。


「これは?」

「媚薬さ……ちょこっと女の子に飲ませてやると、一気にお熱だよ」

「いえいえ、要りませんから!!」

「そうかい? そんな美人を二人も連れちゃって、お楽しみなんじゃないのかい。クスリで乱れる姿を見たいんだろう?」

「ご主人様……」

「あるじぃ……」

「ちょ、ちょっと待て。俺はそんなこと、一言も言ってないだろうが!」


 なんで俺がこんな窮地に立たされているんだ!?

 冷たい視線に晒されながら、渡は精一杯の抵抗をした。


 媚薬は買った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る