第23話 親友のハグ
とにかく出来ることは全部やり尽くした。泣こうが喚こうがあとはえびすさん次第。
この穴ぼこだらけの嘘っぱちが通用するかしないかで僕とえびすさんの関係は180度変わってくる。
もし嘘だと見抜かれたんなら、また先週の日曜日のやり直しをすることになるかも知れない。
つまりえびすさんと付き合うのか付き合わないのか、それとも亜梨子ちゃんの時みたいに待ってもらうのか。
もっとも僕がついた嘘自体、ただ問題を先送りにしているだけだけど。
はたしてどうなるだろう?
固唾を呑んで見守る中、気になるえびすさんの反応はと言うとーー
「親友……親友か、そっか。へへっ、わたしと秋良は親友かー♪」
でろっでろに頬が緩んでもじもじと体をくねらせているその姿は、数か月の付き合いの中でも見たことがない上機嫌そのものだった。
(信じちゃったよ、おい……)
騙した僕が言うのもなんだけどちょっと心配になるぞこのちょろさ。
『紅夜叉』とかいう仰々しい二つ名をつけられてた元ヤンのえびすさんのことだから、そこらのナンパ男くらい軽くノシて終わりなんだろうけど、せめてもうちょっと警戒心を持って欲しい。
こうなってくれるのが望みだったのに、こうもすんなり信じられてしまうと罪悪感や後ろめたさと一緒にえもいわれぬ脱力感に襲われて複雑な心境になる。
けどま、なんにせよこれで僕とえびすさんは友達のままいられるってことで。
ほっと胸をなで下ろしていると、奇妙な動きで悶えていたえびすさんがはたと動きを止めて僕にぐっと身体を寄せてきた。
「なあなあ秋良! 親友同士ならドキドキしたりカッコいいって思うのは普通だって言ったよな!?」
「う、うん。言ったけど」
それはそうなんだけどね、あの近いんですよね。
自分のルックス考えてくれないかなぁこの人。絶対今まで何人も勘違いさせてきただろ。
「ならさ、秋良と手ぇ繋ぎたいとか秋良に抱きつきたいって思うのも普通だよな!」
「え?」
それは……どうなんだろ。
友達同士でするかっていうと大分グレー寄りな気がする。
でも無理筋な嘘をついてるのはこっちだし、そのくらいなら妥協してギリギリーー
「そうだね。普通なんじゃない?」
そう返したら、えびすさんはパッと顔を明るくして続けざまに聞いてきた。
「じゃあさじゃあさっ、一緒にデートしたり家泊まったりとかもか!」
「はいっ!? いやそれは流石に、」
「ダメなのか? だって親友なんだろわたしたち」
「うぐっ」
なんか要求がぐっとエスカレートしてきたんですけど。これはOKしちゃったらやばいやつ。
でもそんなこと親友同士でもしないって言っちゃったら、恋心を親友への情愛にすり替えて説明した理論が成り立たなくなるのでは。
だったらこれも認めざるを得ないわけで……。
なにかがおかしい。
万事上手く進んでたはずなのに急に暗雲が立ち込めてきた。ものすごく大事なことを見落としてるような気がする。
いやいや、それでもえびすさんが恋心を自覚して僕らの友人関係に亀裂が入るのを回避出来たことに比べれば、多少のデメリットはメリットの方が上回る……はずだ。
だけど実際にはもう僕は泥沼の中にずっぽりとはまっていた。
「あとは……その、キスしたり……とかも?」
「ッ!?」
顔をりんごみたいに赤らめて指と指を合わせたえびすさんがおずおずと訊ねてきたその一言で、僕はようやく自分がついた嘘の欠陥に気付いた。
(そうかッ、
えびすさんが抱いていた恋心を『親友同士』なら『普通の感情』だって吹き込んだのは他ならぬこの僕だ。
つまり今のえびすさんは、恋愛対象に求めるはずだった欲求をそのまま親友に求めるようになってしまったーーとも言い換えれるわけで。
じゃあえびすさんの親友って誰ですか?
……僕ですね、はい。
不味い、このままだと親友と言いつつやってることは恋人そのものの関係になし崩し的になってしまう。
なんとかしないと、でもどうやって?
「……う、うーん。そういうのは親友だとしても、もっと段階を踏んでからかなー?」
「えーなんでだよ親友なら普通なんだろー!?」
結局のところ追い詰められた僕がなんとか絞り出せた言い訳なんてこんなもの。
不満げに言い募るえびすさんを宥めながら、もしかして自分の首を自分で締めただけなんじゃないかと僕は早々に後悔し始めていた。
***
無理矢理にでもキスを迫らんばかりのえびすさんに腕力ではとても敵わない僕は、要求を少し飲んで街遊び改め手繋ぎ街角デートを提案して窮地を脱することに成功した。
結果として午後いっぱいはるんるん気分なえびすさんに手を繋がれたままあちこち引きずり回されることになったけど。
二人ともオタクだからバイザーを被った熱血青年がマスコットになってるあそことか、虎耳に虎尻尾を生やした女の子がマスコットのあそことかのオタクショップ巡りをしたり、映画館の入っていた二号館の隣にあるファッションビルを一階から最上階までウインドウショッピングしてみたり。
ゲーセンやカラオケにボウリングなんかが楽しめる陽キャ御用達のアミューズメント施設でたっぷりと遊んでくたくたになった頃には、気付けばもう夕方になっていた。
一通り遊んで駅前まで戻ってきた僕たちはバス停のベンチに腰かけてえびすさんの帰りのバスを待っている。
僕の方は電車だけど、えびすさんの家は本町からそう離れてないみたいでバスなのだ。
「ん~~っ、、満喫したぁ! 秋良はどうだった?
楽しめたか?」
両手を挙げて大きく伸びをしていた彼女に感想を求められて少し考える。
修羅場に巻き込まれたりあわや友情の危機に陥ったり、なんとか乗りきったと思ったら新しい問題が噴出したりと大変って二文字だけじゃ言い表せないくらい慌ただしい日になってしまったけど、
「僕も楽しかったよ。今まで行ったことない場所もいっぱい行けたし、えびすさんの新しい一面も知れたしね。……いまちょっと足ガクガクだけど」
「あははは! 秋良は運動不足過ぎだって、もっと外出歩いて体動かせよ」
「ううっ、分かっちゃいるんだけど中々さぁ」
そうは言われても陰キャな僕が休日に出かける用なんてそうそうない。
しかも夏も間近なこの季節に炎天下を出歩くくらいなら、クーラの効いた涼しい部屋の中でアニメ観たりゲームしてる方がよっぽど幸せだ。よって出不精はもっと加速するわけで。
渋る僕にえびすさんはやれやれとため息をついた。
「仕方ねーなぁ、じゃあまた遊びに来ようぜ今日みたいに。教えてない店もまだまだあるし、それにエアホッケーのリベンジもしないとだしなっ」
「まだ根に持ってんの? あれ半分はえびすさんの自滅じゃん」
ちなみにプレイするにはエアホッケーの台に前のめりになる都合上、僕視点ではえびすさんのアレが色々と荒ぶって凄いことになっていた。どこがとは言わないけど。
「ほーんそれが勝者の余裕ってやつか。見てろよ次こそは歯ぎしりさせて悔しがらせてやるからな、わたしの必殺サーブで!」
「サーブでオウンゴールしまくってた人が言ってもねー」
「なにおぅ? そんな生意気な口利くやつにはこうしてやるっ! こちょこちょこちょこちょ……」
「ちょっ、止めてってえびすさーーあはっ、あはははははっ! だめだって、僕腋は弱いからっ、あははははははははははは!!」
バスが着くまではわりと時間があったので、二人でベンチに並んで今日の思い出話に花を咲かせる。映画館のポップコーンの味だったり、カラオケでトレミーの曲をデュエットでメドレーしたことだったりと話は尽きない。
こうしている分には昨日までと同じ友達同士のやり取りでなんだか安心する。
僕とえびすさんはこういのでいいんだ。むしろこういうのがいい。
どのくらい経ったか、ようやく待っていたバスが現れた。バス停は会社帰りのおじさんとか部活上がりっぽい格好の同年代くらいの子たちがいつの間にか集まって人口密度が急に増していた。
「お、来た来た。そんじゃわたし帰るわー。また月曜に学校でな」
「うん。じゃあまたね」
勢いを付けてベンチから跳ねるように立ち上がったえびすさんは颯爽と乗車口に向かった。
それでようやく
初めこそ周りの目が気になって仕方なかったのに、こうして手の代わりに生温い初夏の空気を掴んでみると無性に物寂しい。
きっと今日ずっと一緒にいたのにあっさりとえびすさんが帰っちゃったせいだ。そうじゃなきゃおかしい。だってえびすさんとはあくまで友達同士の関係を望んでいるはずの僕が、もう少しだけ手を繋いでいたかったーーなんて思うなんて。
駄目だなぁ、一人になると妙に感傷的な気分になってしまう。バスが出るの見送ったら僕も早く自分の家に帰るとしよう。
乗車口に並ぶ人の列の中で一際目立つ赤毛の彼女の後頭部を見つめていると、その頭がぐるんと回って目が合った。
あれ、どうかしたんだろう。
せっかく並んでたのにこっちに戻って来てるけど忘れ物とか。でもとくに見当たらないけどなぁ。
たったったっと小走りで僕に近付いてきたえびすさんはそのままーー
「え」
「あーきら! これするの忘れてた!」
ぽふん、と軽い衝撃が胸元に走る。
柔らかで温かい塊を僕の腕の中に感じた。言うまでもなく、それはえびすさんだ。
「……えっと、なにしてんの?」
「親友のハグ。これが普通なんだろ」
なんとか気を取り直して彼女に訊ねると当然みたいに返された。……そう言えば抱きつくのはOKって言っちゃったっけ。僕のせいじゃん。
それにしたって場所が場所っていうか、順番待ちをしている人やバスに乗り込んだ人までこっち見てる。
そこの女子高生さん隠してるつもりかも知れないけど視線バレバレですよーってそれどころじゃなくて、こんなところをウチの学校の生徒にでも見られたらただじゃ済まないぞ。
「えびすさん、めっちゃ見られてるんだけど! 恥ずかしいから一回離れない!?」
「んっ、なんか秋良の胸って落ち着くな……」
「うひぃ!?」
すりっ、と胸元にえびすさんの小さな頭が押し付けられる。それはまだいいんだけど、問題はもう少し下の方で僕と彼女の間に挟まれてふにょんと形を変えている物体の方だ。
何がマズいってこうも密着しているとダイレクトに感触が伝わってくるうえに、何とは言わないけど僕も健康な男の子なのでもし反応とかしちゃった場合、この体勢だと一発でバレる。
だから離れて欲しいんだけど引き剥がそうにも無駄に強い力でシャツを握りしめてて無理そうだ。
甘んじて抱き着かれているしかない僕に出来ることと言ったら、頭の中に筋肉モリモリマッチョマンを想像して肌に伝わる柔らかさと相殺させるくらい。ちなみに成功したかというと微妙。
どのくらいそのままでいたのか、バスの車掌さんのアナウンスでようやくえびすさんは離れてくれた。
「やっべ乗り遅れる! 秋良成分も補給できたし今度こそわたし帰るわ、じゃな!」
「う、うん……またね……」
満足した様子で乗車口に消えて行ったえびすさんを、僕はどっと疲れて見送る。とりあえず男のプライドは守られて良かった。ホント頑張ったよ……。
バスが出て、最後尾のリアガラス越しにえびすさんの姿を見付けた。彼女もこっちを見ていて目が合うとぶんぶんと手を振ってきた。
僕も応えて手を振りながら考えているのはこれからのことだ。
親友という嘘をついてえびすさんと友人関係を続けることは出来た。でもそのせいでさっきみたいなやり取りが普通になってしまうんだろうか。とても心臓が持つ気がしない。
(どうなっちゃうんだろ、これから)
それはきっと神様にしか分からない。
神ならぬ僕にも分かっていること言えばーースマホの電源ボタンを入れた途端に凄い量の通知が流れてきて、しかもそれが全部亜梨子ちゃんからっぽいことくらいだ。
遠くの信号の向こう側にえびすさんを乗せたバスが消えるまで待って、僕は亜梨子ちゃんにどう説明したものか頭を悩ませながら家路に着くのだった。
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