第183話『頑張り屋さんはお見通し』
体育祭を終えて日が経てば、忙しないことに文化祭のシーズンへと突入する。
この時期になると各クラスでどんな出し物をやるかが決められ、その結果を一旦実行委員会へと提出。もし同じ学年内で出し物の傾向が似通ったものが多いようなら、抽選といった形を経て最終決定となる。
ちょうどその最終決定が発表された日の夕食時、今日も今日とて雛の手料理というありがたい幸福を味わう優人は、テーブル上の大皿に盛られたメインのおかずを前に口の中を唾液でいっぱいにさせた。
見た目からしてカラッと揚がっているのが分かる、一つ一つが大振りな鶏の唐揚げ。
なんでも朝の段階から特製のタレに漬け込んでいたという手間のかけようらしく、『この前、拗ねて迷惑かけちゃいましたから』というのが雛の弁だ。
迷惑でも何でもなかったし、お礼代わりというには身に余るほどのものだと思うが、垂涎の手料理を前にして遠慮する術など優人は持ち合わせておらず、雛もそれは望まないだろう。というかただでさえ調理中の、ぱちぱちと油の跳ねる音や香ばしい匂いに胃袋を刺激され続けた優人の我慢もいよいよ限界だ。
空腹という最高のスパイスを手にした優人の向かい、調理中はヘアゴムでまとめていた髪を解いて雛は座ると、くすりと笑って優人を見つめる。
「お待たせしました。どうぞ召し上がれ」
「いただきます」
箸を取る前に手を合わせることができたのは習慣の
優人は早速テーブルの中央に鎮座する唐揚げへと箸を伸ばし、一番上の一つを掴む。触れた途端に割れる風船でもないのに慎重な力加減で口元に運ぶと、一瞬だけ香ばしい匂いを味わってから、思い切ってかぶりついた。
「熱っ」
ちょっと火傷しかけた。
「揚げ立てなんですから気を付けてください」
くすくすと笑いながら子供をたしなめるような雛の言葉遣いにむず痒さを感じつつ、コップに注がれた冷たいお茶でひりついた舌をリセット。改めて、今度はゆっくりと唐揚げに噛みついた。
さくっ、じゅわあ……。
きつね色に揚がった衣が歯切れのいい音を立て、タレの沁みた肉厚の身の奥から肉汁があふれ出す。いっそこの肉汁だけでも米が進みそうだと、健康度外視のよろしくない考えが思い浮かんでしまうほどのジューシーさだ。
しかし優人の箸は茶碗の白米に伸びることはなく、唐揚げの味だけに浸りたくて、最初の一つ目はそのまま食べ切ってしまった。
続く二つ目、迷いなく箸の先を向けようとしたところで、ようやく微笑ましそうに、けれど少しだけ何かを期待するような金糸雀色の眼差しが注がれていることに優人は気付けた。
「すごく美味い」
料理を振る舞う人にとっての最高の報酬は、この言葉をおいて他にない。
雛の目を見返してはっきりとそう伝えると、整った顔立ちに笑顔の花が咲いた。
「お口に合って何よりです。ふふ、早起きして仕込んだ甲斐がありましたね」
「ほんと味がよく沁みてる……。最高の唐揚げだ、これ。ありがとう」
「どういたしまして。たくさんありますから、今日は好きなだけ食べてくださいね?」
女神だ。男子高校生の胃袋を完全に掌握し切った女神がここにいる。
女神から賜った幸福を、文字通り噛み締めながら夕食を進める優人だった。
「そういえば」
「ん?」
雛と共に食べ進めて唐揚げの数が半分程度になった頃、思い出したように呟いた彼女の言葉に優人は片眉を上げた。
「去年はあまり気に留めてなかったですけど、三年生って文化祭でのクラス出し物はやらないんですね」
「ああ。俺らの学年だと受験に専念したいって奴も出てくるからな。一、二年の時に比べても学年全体のやる気はそこまでだよ」
「……残念です。優人さんのクラスの出し物は見に行こうと思ってたのに」
肩を落とす雛を見てるとちょっと申し訳なくなるが、これについては例年そうなのだから仕方ない。
そもそも出し物をやるやらない以前に、三年生の文化祭参加は原則的に自由であり過ごし方だって人それぞれだ。
自由ならと休む者もいれば、高校生活最後の文化祭だからと遊び倒す者。
あとは実行委員会の許可こそ必要にはなるが、有志を募って何かをやる分には問題ないのでそうする人たちもいる。
優人は特にこれといった予定もないが、少なくとも雛のクラスは必ず見に行くつもりだ。
「雛のクラスは何をやることになったんだ?」
肝心なところをまだ聞いてなかったと、性懲りもなく唐揚げに箸を近付けて優人は尋ねる。
「メイド喫茶になりました」
ざくっ。唐揚げに箸を突き刺した。
「またド定番な出し物になったな」
「そうですねえ。クラスで意見がまとまるのも結構早かったですよ」
「……雛はやっぱり
「はい。小唄さんたちも一緒ですね」
「そっか」
「……優人さんはどう思います?」
「どうも何もいいんじゃないか? 俺が口を挟むことでもないし」
「その割には箸使いが雑になってる気が」
ぴた。対面から飛んできた鋭い指摘が優人を硬直させる。
優人の手元、無造作に箸を突き刺した唐揚げからはせっかくの肉汁がこぼれ出し、取り皿代わりの茶碗へと落ちている。
「……すまん、せっかく手間かけて作ってくれたものを」
「別にそれはいいんですよ」
それ
つまり裏には『他に言いたいことがあるのでは?』という問いかけがあり、同時に優人の
身体の内圧を下げるように、ため息一つ。
「……雛にメイド服って絶対似合うと思うけど、それをたくさんの人に見せることになるのがちょっと……いや、かなりもやっとする……」
「ふふふ、そうですか」
「あと単純にむりやりやらされてないかって心配もあるけど……」
「それについてはご心配なく。私だって嫌々やるほど優しくありませんし、衣装の
「へえ……。まあ、雛がやる気だっていうなら俺はそれを尊重するさ」
はっきり言って、雛のファッションセンスは優人のストライクゾーンど真ん中であり、これまでのデートでも毎回と言っていいほどその可愛らしさや華やかさに胸を打たれている。
そんな雛をして『可愛い』と評するのだから、そのメイド服で着飾った彼女はさぞ似合っていて素晴らしいことだろう。
……期待が高まる反面、やはり独占できないことへの口惜しさが募るのだが。
「優人さんがなかなかに不満顔ですねえ」
「……ごめん、独占欲出し過ぎだって自覚はある」
「恋人に独占したいと言われて嬉しくならない女の子はいませんよ。――まあ、そんな優人さんだけに便宜を図ろうとは思ってますので」
「え、何それ?」
「後のお楽しみです」
唇に人差し指を添え、ぱちりとウインクをする雛。
文化祭でのメイド喫茶。きっと雛は多くの人からの注目を浴びることだろう。
けれど、それはあくまで彼女の一面で、優人だけにしか見せない顔はたくさんある。
たぶんその中の一つの、小悪魔めいた愛くるしい笑顔がそこにあった。
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