第182話『負けず嫌いたち』

 優人が通う高校における二学期の大きなイベントと言えば、それは『体育祭』と『文化祭』の二つである。

 ただ、どちらも『祭』と名付けられてこそいるけれど、行事自体の比重や生徒たちの関心という意味では後者の方に重きが置かれていると思う。


 実際、準備期間はクラス総出で準備に取り組む文化祭に比べ、体育祭は日々の体育の授業に当日行う種目の練習が加わる程度。あとは全体の予行練習が一度行われるぐらいで、実行委員でもないかぎりはそう忙しいものではない。


 なので実行委員でもなければ、身体を動かすのが特別に好きというわけでもない優人にとって、体育祭とは割とゆっくり過ごしていられる一日という認識なのである。

 ちなみに保護者の来校は許可されており、現に用意された観戦スペースには、我が子の勇姿を見に来たであろう保護者の顔触れが並んでいるのだが、両親が外国にいる優人にはどちらにしろ関係のない話だ。


「だーっ! あんなもん勝てるわけねえだろうがっ!」

「お疲れ」


 昼食を挟んだ午後の部。つい今し方『部活対抗リレー』のアンカーを務めてきたばかりの千堂せんどう一騎かずきに、優人は苦笑混じりの労いの言葉と、それから冷えたスポーツドリンクのペットボトルを送った。


 日除けのために設営されたテントの下、優人たちのクラスの待機スペース。ぽいっと放ったペットボトルを難なく空中キャッチした一騎は勢いよくパイプ椅子に腰を落とし、珍しくふてくされた様子でその中身をあおる。

 普段は力強く逆立つ一騎の髪も、今ばかりは汗のせいで毛先がへたれ気味だ。


「ったく……とんだ見せ物だったぜ」

「落ち着けって。エキシビジョンみたいなもんなんだし、というか結果は最初から分かってたろ?」

「そりゃそうだけどよー」


 ドリンクを一気に半分は飲み干し、一騎は唇を尖らせた。

 彼が参加した『部活対抗リレー』は各運動部から選抜された面子がそれぞれのユニフォームに着替え、その状態でリレーを行うという競技である。


 トップ争いの最有力は言わずもがな陸上部で、次点で野球部やサッカー部。身軽さという点では一番の水泳部もダークホースになったりならなかったりする中、さて一騎の所属する剣道部の期待値はどうかというと……悲しいことに、残酷なことに、ほぼ満場一致で最下層である。


 だって、どう考えても走るのには邪魔でしかない防具を着るのだから。

 面を免除されてるだけ温情かもしれないが、それにしたって他に比べて重量という名のデメリットは計り知れず、剣道では抜きん出た実力を誇る一騎をもってしても結果は予想通りだった。

 結局のところ勝敗は度外視のネタ枠な競技であるのだが、なおも一騎は不服そうに、タオルで乱雑に汗を拭った。


「順位を付ける以上、やっぱり負けるのは悔しい」

「負けず嫌いめ」

「うっせえ。っていうか俺が準備してる間に終わってたけど、優人は障害物競走に出たんだろ? 何位だった?」

「七人中四位」

「うーわ微妙ー。ネタにもなんねえな」

「うるさい」


 それは、優人だってお昼に『頑張ってください!』と応援してくれた彼女にカッコいいところを見せたかったが、結果は甘んじて受け入れるしかない。

 笑ってバシバシと背中を叩いてくる一騎は鼻を鳴らすだけで好きにさせつつ、スピーカーから流れるプログラムの案内に耳を傾ける。


『続いての競技は、二年女子クラスリレーです』

「お、愛しの彼女の出番みたいだな」

「言ってろ」


 愛しの、という部分には訂正を入れることなく立ち上がり、優人はロープで区切られた最前列まで進み出る。


 アナウンスの案内に従い、続々とトラックの所定の位置に着く二年の女子たち。

 その内の一角、アンカーの目印であるビブスを身に付けた数人の集団内に目当ての人物を見つけ、優人は軽く手を振ってみた。


 声が届きにくい程度には距離があるので、気付いてくれるかどうかは半々であったが、それも杞憂で済んだらしい。

 こちらへ顔を向けた彼女は優人に手を振り返し、それから小さなガッツポーズで意気込みを新たにする。


 たまたまそばにいたクラスメイトの男子がその可愛らしさに息を呑んだ気がするが、それぐらいは仕方ないと割り切り、優人もまた握った拳を見せつけた。


 頑張れ――小さく呟いたその言葉を添えて。








 その日の夜。

 優人が伸ばした膝に頭を乗せて寝っ転がる雛の姿を見下ろし、優人は本日何度目になるかも分からない苦笑をこぼした。

 些かご機嫌斜め……というよりはもやもやモードな雛の頭をぽんぽんと叩き、労うように群青色の髪を手櫛で梳く。汗をかいたからと帰宅後早々にシャワーを浴びたらしいので、しっとりとした艶やかさが優人の手に馴染む。


「むー……」


 時間を置いてもこれ・・な辺り、相当悔しかったらしい。


「あと少しで一位だったのに……」


 ぽつりと聞こえた雛の呟きに目を細め、優人は恐らく今日の体育祭のハイライト――二年女子クラスリレーの最終局面を振り返った。


「まあ、確かに惜しかったよな」


 思わずそう言ってしまうぐらいの接戦だった。

 中盤から追い上げて一躍トップに躍り出た雛のクラスだったが、最終的にはアンカーである雛の段階で抜かされてしまい、結果はあえなく二位に終わった。雛も負けじと追い縋って距離を縮める瞬間もあり、稀に見るデッドヒートにグラウンド中が大賑わいしたものだが、抜かされてしまった立場としてはしこりが残るようだ。


「けど最後の相手は陸上部のエースだったんだろ? バトンをもらった時の距離の差も大してなかったし、むしろ大健闘だったんじゃないか?」


 ちなみにこれはただの慰めではなく、優人の後輩にして雛と同じクラスである鹿島かしま小唄こうたからの、メッセージアプリによる情報を加味したものである。


 そもそも運動部の頭数も少なかった雛のクラス的にはたとえ二位でも快挙であり、別に雛に不平不満を言う人もいなかったのだが、当の本人は申し訳なさを感じてるらしいのでアフターフォローよろしく。


 まとめるとそんな感じのメッセージが送られてきたのだが帰宅直後のことで、『言われなくても任せろ』と返信して今に至るわけだ。


「それはクラスの皆からも言われたので、分かってるつもりですけど……やっぱり負けるのは悔しいです」


 どこかで聞いたような言葉に優人は微笑を浮かべる。どうも自分の周りには負けず嫌いが多い。

 その精神は立派だし好ましいと思うが、残念ながら結果は結果だ。受け止めるしかあるまい。


「頑張ったな。最後まで諦めなかった雛はすごくカッコよかったぞ」

「……ん」


 ごろんと寝返りを打ち、雛は優人のお腹に顔をうずめた。そんな彼女の頭を、ゆっくり、ゆっくりと優人は撫で続ける。

 負けず嫌いな頑張り屋さんの機嫌が直るには、もう少しだけ時間がかかりそうだ。

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