第180話『旅の終わり』

 一夜明けた翌日の昼下がり、優人は一台の軽自動車の助手席に座っていた。


「すいません柳さん、わざわざ乗せてもらって」

「いいよいいよ、どうせ帰る方面は同じなんだから気にしないで。大学のサークル活動でよく友達を乗っけることもあるから、こういうことは慣れっこだしねー」

「ありがとうございます。……あの、こういう時ってガソリン代とか出した方が」

「あははは、天見くんはしっかりしてるね! 本当に年下? だったら途中のサービスエリアでコーヒーでも奢ってよ、それでチャラ」

「分かりました」


 優人の隣で車のハンドルを握るのは、つい昨日知り合ったばかりの、麗奈の彼氏である真だ。

 物腰によく似た穏やかな笑い声を上げて優人に言葉を返す彼だが、意識はしっかりと運転に注がれており、ハンドルの操作も安定している。なるほど、確かに熟練者の雰囲気だ。


 真から視線を外してバックミラーを見上げると、後部座席には雛と麗奈の姿が。並んで座る彼女たちもまた二人で会話おしゃべりに興じている。


 ――こうなった経緯は午前中に遡る。

 朝食後、日替わりで男湯と女湯が交代する大浴場でひと風呂浴びようということで部屋から出ると、私服姿の真と麗奈に出会った。

 なんでも旅館でのアルバイトは昨日で終わりらしく、優人たちと同様に今日帰る予定とのこと。そして真が運転する車にはまだ座席に空きがあるので、「なんなら乗っていくかい?」という流れでこうなったわけだ。


 ここに来るまでに電車やバスを利用していた優人と雛にとってはありがたい提案であり、直後はさすがに恐縮したものの、最終的には真たちの厚意に甘えさせてもらうことにした。

 時間こそ真たちの出発に合わせたので予定より遅くなったが、その引き替えがコーヒー一杯なら十二分にお釣りが来る。なんなら軽食を付け足してもいいぐらいだ。


 車が高速道路に入ってしばらくした頃、真がバックミラーを一瞥する。


「二人は寝ちゃったかな?」

「みたいですね」


 優人が後部座席の方を振り返ると、雛たちは目を閉じてすやすやと寝息を立てていた。

 先ほどから口数が少なくなっていたので予兆はあったのだが、予想通りの光景に優人は小さく口元を緩める。


「麗奈は仕事頑張ってたし、空森さんの方は楽しい旅行ではしゃぎ過ぎちゃったのかな」

「だといいですね」


 昨夜の情事が寝落ちの原因の一つかもしれない……、という事実にはそっと蓋をして内心に留め、優人は曖昧な笑みを浮かべた。


「天見くんも眠たかったら寝ていいよ? サービスエリアに着いたら皆起こすから」

「俺はそこまで。それに柳さんに運転してもらってるのに、全員寝るってのもなんか申し訳ないというか……」

「あははは、天見くんってばホント真面目だ! 僕としては話し相手に困らなくてありがたいや」


 真はひとしきり笑った後、やはり前方の道路状況からは目を離さずに口を開く。


「天見くんは高三だったっけ?」

「はい、そうです」

「なら受験生だ。どう? 順調に進んでる?」

「学力的にはとりあえず。ただ、進学先がまだ悩み中で……」

「そうなの? どういう系に進もうと思ってるわけ?」

「俺、母親がパティシエなんですよ。だから今は俺も、それに近い道に進めたらなと思ってて」

「へえ、見かけによらず――……ごめん、今のは失言だったよ」

「よく言われますよ」


 なんだか久しぶりの反応だ。

 そのことにむしろ小気味よさすら感じて喉の奥を震わせると、真もほっと息をついてハンドルを握り直した。


「パティシエかー。なら進学先は製菓系の専門学校とかそこらへん?」

「それが一つの選択肢で、あとは大学は普通のところを選んで、専門的な知識や技術については親を頼るかですね。この前訊いたら、紹介できる伝手つてもいくつかあるみたいなんで」

「おー、それは心強いねー」

「……ちなみに柳さんはどう思います?」

「僕? そうだなー……」


 真はそこで言葉を区切ると、車のドリンクホルダーに収納していたボトルガムから、二粒を取り出して口に入れる。「天見くんもよかったら」ということで優人も頂く中、口を動かしながら思案げに眉を寄せる真はしばしの間を置いた。


「どっちかって言うなら、二つ目の方がいいかもね」

「二つ目って言うと……大学は普通のでって方ですか?」

「うん。まあ、これはちょっと現実的ドライな考え方かもなんだけど、専門の場合だと、基本的にはもうそれ一択に絞るしかないじゃない? でも、時間が経って他にやりたいことができたり、もしくは何かの理由でその道を諦めるようなことになった時、専門じゃない方がまだ修正のしようがあるのかなって」

「……あー」

「それに天見くんの場合、わざわざ専門に行かなくても親の伝手っていう手段があるんでしょ? これだって打算的だけどさー、使えるものは使った方が色々有利に働くと思うよ」

「なるほどです……」

「例えば僕なんて大学のサークル活動が楽しくて、今はそっち方面の道に興味があるぐらいだよ」

「へえ……どんなサークルなんですか?」

「……笑わない?」

「え、あ、はい」

「そんな身構えないでって。いやさ、特撮――いわゆるヒーロー物のショーとか自主制作の映画を作るサークルだから、子供っぽいって思われないかなってね」


 少し恥ずかしそうに笑った後、真が自分の在籍している大学名とサークルの団体名を告げる。

 動画サイトにヒーローショーの動画が上がってるということで検索してみると、いくかの動画が一覧に表示され、とりあえず目に付いたサムネイルをタップしてみる。


「え、すごい本格的じゃないですか。これ自分たちで作ってるんですか?」

「もちろん。ちなみにいつのショーの動画見てる?」

「これは……去年の春みたいですね」

「あ、じゃあ司会の女の子に襲いかかろうとした戦闘員いたでしょ? あれ僕」

「ホントですか!? 結構サマになってますね……」

「よかったー、麗奈からはなんか動きキモいって言われてちょっとショックだったんだよねー」

「あはは……」


 真の言葉に優人は渇いた笑みを返した。

 辛辣な評価であるが、動画内で真がふんする戦闘員はなかなかにコミカルな動きをしているので、麗奈の言いたいことも分からないではない。

 しかし、司会を担うのは紫がかった銀髪が特徴的な整った容姿の少女であり、そんな彼女の、いわば引き立て役としては見事な動きと言えるだろう。


「話がちょっと逸れちゃったけど、僕の意見としてはそんな感じかな。まあ、あくまで参考程度にってことで」

「ありがとうございます。なんかすいません……いつの間にか進路相談みたいなことまで」

「どういたしまして。代わりに僕も一つ相談、というか聞いてもらいたい話あるんだけどいい?」

「はい、俺でよければ」

「実はさ……。あ、その前に麗奈たちってまだ寝てるよね?」

「みたいですけど」


 改めて後部座席の様子に目を向けても、二人の少女は眠りに落ちたままだ。大きな声でも上げなければ、しばらくは起きることもないだろう。

 それにしても、彼女たちにはあまり聞かれたくない話なのだろうか。

 優人が少し居住まいを正すと、真はおもむろに喋り出した。


「それじゃあ、麗奈が言うに天見くんと空森さんはかなりラブラブらしいから訊くんだけど」

「ラブラブって……」


 否定するつもりはないが、恋人の友人からそう評されているのには恥ずかしいものがあった。


「……結婚とかって考えたりする?」

「結婚ですか!? え、なら柳さんは一ノ瀬と……」

「いや、具体的にどうこうってわけじゃないんだけどね、僕らの親同士がやけに盛り上がる時があって――」


 まるでどこかで繰り広げられたような話を交わしながら、優人たちの乗る車は帰路を進むのであった。

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