第23話『しおらしい頑張り屋さん』

 冷凍うどんやスポーツドリンクなど、メモに書かれていた品物を一通り買い揃えてアパートに戻る。

 帰宅部で特別鍛えてもいない優人にはキツい運動であり、早くなった心拍数と荒い息遣いが身体を休ませることを切実に訴えてくるが、今ばかりはそうもいかない。


 このザマを見せるとまた雛が遠慮しそうな気がするので、最低限息を整えてからインターホンを押す。


「すいません、買い物をお任せしてしまって……」

「気にすんなっての。こういう時はお互い様だ」


 玄関が開くなり謝罪を口にする雛に呆れつつ膨れたスーパーのビニール袋を差し出す。それを大事そうに受け取る雛の様子は、少し休んだとはいえやはり快復の兆候が見られない。


「メモに書いてあったもんは全部買ってきた。昼は食べたのか?」

「まだです。幸い吐き気は大してないので、買ってきてもらえたうどんにしようかと……」

「そうか。自分で用意できそうか?」

「…………できます」

「分かった、俺が準備する」

「先輩っ!?」


 目を見開いて伏せていた顔を上げる雛。愕然としている金糸雀色の瞳を優人はしれっとした様子で見下ろす。


「できるって言いましたよね……!?」

「言葉と表情が噛み合ってない。説得力が微塵もねえわ」


 ついでに言えば返事までに間もあった。

 気怠げな表情はもちろん、玄関に寄りかかった雛の体躯は今にも折れてしまいそうなほどのか細さを感じる。これで食事の用意をするのは間違いなく酷だろう。


「でも、これ以上先輩にご迷惑をかけるわけには……」

「気にすんなって言ったろ。……部屋に上げたくないってんなら俺の部屋で作って持ってきてやるから、素直に頼れ」


 雛の目を見ながらゆっくりと確実に言葉を重ねる。

 決して無理強いするつもりはないが、多少は強引にでも進めないと雛は首を縦に振りそうにない。むしろここでさよならする方が優人の精神衛生上にもしこりが残るのだから、引け目を感じず優人を使ってくれていいのだ。


 それでもなお迷う素振りを見せる雛ではあったが、優人が引き下がらないことを察して観念するように頷くのであった。











「本当に……けほっ、すいません」

「いいからゆっくりしてろ」


 コンロにかけた鍋の水がぶくぶくと沸騰し始める中、壁際にあるベッドの方から申し訳なさそうな声が飛んでくる。

 喉が辛いだろうから無理に声を出さなくていいというのに、先ほどから謝罪を重ね続ける彼女には半ば呆れてしまう。

 雛からはこうして部屋に上がる許可も出たことだし、早く食事を摂って薬を飲ませてやろう。


 沸騰したお湯に冷凍のうどんを投入し、茹で上がるまでの間に長ネギを細かく刻む。

 いつぞやの雛が作ってくれたそばと違って市販の粉末スープに頼らせてもらうが、代わりに優人の部屋の冷蔵庫で余っていた長ネギとチューブのおろし生姜を追加するつもりだ。


 袋の裏面に記載された時間より長めにうどんを茹でた後、一通りの食材をどんぶりに盛って手早く一人前のうどんを完成させる。

 お盆に乗せてベッドの方へ持って行けば、頭に冷却シートを貼り付けた雛がだるそうに身体を起こした。


「自分で食べれそうか? 何だったらお椀とかによそうぞ」

「大丈夫です……ください」


 差し出された雛の両手に慎重にお盆に乗せる。

 ぶっちゃけ『自分じゃ食べれない』と言われたら対応に困るところだったので、内心でほっと息をつきながら箸も手渡した。


「いただきます」


 両手を合わせて小さく唱えた雛がうどんを口に運ぶ。食欲自体はそこそこあるらしい。ちゅるりと思いのほか小気味よい音を立ててすすると、雛の表情がふにゃりと綻んだ。


「美味しいです」

「そりゃ良かった。まあ、ほぼ市販品を用意しただけのもんだけどな」

「そんなことないですよ。うどんはやわらかめに茹でてくれたみたいですし、ネギとか生姜とか、色々用意してくれました」

「なんで一通り見てんだお前は……」


 台所とリビングが一体になったワンルーム故の弊害とでも言えばいいのか、どうやら優人の調理風景は寝ていた雛からほぼ丸見えだったらしい。

 ゆっくりしろと口酸っぱくした忠告自体は守っているけれど、ずっと見られていたことには半分ずつの呆れと羞恥を抱いてしまう。


 妙なくすぐったさを感じた優人が目を背ければ、引き続きちゅるちゅると小気味よい音が断続的に鳴る。ほどなくして完食されたうどんの器を下げ、優人は風邪薬と水の入ったコップ、それからスポーツドリンクを携えて雛の側に戻った。


「薬を飲んだら少し寝ろ。それとこれ飲み物。冷蔵庫の中にもあるのとは別に、枕元にも一本置いとくからな?」

「……手慣れてますね、先輩」

「そりゃ一人暮らし歴は空森よりも長いからな」


 優人の一人暮らしは高校進学とほぼ同時期に始まったので、雛よりは約一年半の経験がある。

 だからこそ身に沁みている。基本的に身の回りのことを自分一人でこなさなければならない一人暮らしにおいて、体調を崩すことがどれだけ辛いことかを。


「お前なあ、風邪引いたなら素直にそう言えよ。買い出しぐらい行ってきてやるんだから」

「私が自己管理できてなかっただけのことですし……。そもそも私、先輩の連絡先知りませんもん」

「え? ――あ、そっか」


 言われてみればその通り。優人だって雛の連絡先は知らない。

 確かにこれでは、直接顔を合わせないかぎり伝えようがなかった。


「それに……前の家にいた時は、いつもこんな感じでしたから」


 ぽつぽつと続いた言葉に、優人は息を呑んだ。

 寂寥せきりょうの色を宿した金糸雀色の瞳はそっと雛自身の手元に向けられ、か細い指が行き場を無くしたように組んだり離れたりを繰り返す。


「元々私、季節の変わり目は体調を崩しやすいんですよ。今回はいつもより重かったですけど、大なり小なり似たような感じで」

「看病してくれる人はいなかったのか? その、家族、とか」

「……家の人は仕事で忙しかったので。私も一人で大丈夫って言っちゃいましたし」


 ばつの悪い笑みを浮かべる雛。


 仕事で忙しかったから――その言葉を額面通りに受け取れるほど優人は楽観的にはなれなかった。

 雛の一人暮らしの発端が発端だから家族と折り合いが悪いというのはすでに理解しているが、この分だと問題は優人の想像以上に根深く、また複雑なのかもしれない。


 それに踏み込むことはできない。

 そもそもがデリケートな問題だし、他人である優人が安っぽい同情心や正義感で首を突っ込んだら余計ややこしくなるに決まっている。


 けれど、こんな顔をしている女の子を目の当たりにして、何も言わずに見て見ぬ振りするのかと訊かれたら――どうにも首を縦に振る気にはなれなかった。


「? 先ぱひゃうわぁぁあああ!?」


 おもむろに持ち上げられた優人の手に雛が首を傾げるのも束の間、優人は思いっ切り彼女の頭をかき回す。

 可愛らしい奇声を上げる雛に構わず、たっぷり空気を含ませるようにわっしゃわっしゃと。


 ただでさえ寝癖のあった髪がさらにぼさぼさになり、乱れた前髪の隙間から非難するような雛の視線が突き刺さった。


「い、いきなり何するんですかっ!?」

「口うるさいとは思うけど、それでも言わせてもらうぞ? ……辛い時ぐらい周りを頼れ」


 雛の事情はまた一つ分かった。彼女が他人を頼ろうとしないのも、そういった状況に慣れてしまったからだろうということも分かった。


 だが過去それ過去それ現在これ現在これだ。

 少なくともこうして目の前に使っていい人材があるのだから、気にせず使えばいい。


「……先輩って、ほんとにお節介ですね」


 優人の手の下で雛が唇を尖らせる。

 彼女の頬は、一段と赤かった。

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