冬 その1

 鍋を食べたい、と。

 そう言ったのは事実だ。当然だが調理器具の鍋をバリバリ食べたいわけでなく、鍋料理を食べたいという意味。冬といえばやはり鍋だろう。しかしながら暗闇の中、橘花、咲花と鍋を囲むこの状況は、想定していたものとはいくらかのギャップがある。

「なーんで闇鍋になるかなぁ…」

「花霞が鍋食べたいっていうから」

「なんで頭に闇を足した?」

 もう少し他にも付け足せる言葉があるだろう。世の中にどれほど鍋料理があると思ってんだ。

「まあいいじゃん、面白そうだし」

 真っ暗なので顔は見えないが、咲花はおそらく笑ってそう言った。

 開催場所は橘花の部屋。広さと反比例して物が少なく、ベッドとテーブルしか置かれていない。衣類はウォークインクローゼットにすべて収納されていて、本当に何もないと言っても差し支えない。

「ていうかマジで何も見えねえけど」

「思ってたより暗いよな」

「せっかくだから本格的にやりたいなーって」

「わざわざ演劇部から暗幕借りてくる程のことではないだろうに…」

「本当に貸してくれるとは思わなかったんだよね」

 待ち合わせていた喫茶店へ、真っ黒い布を両手いっぱいに抱えて来た時は、咲花と二人唖然としたものだ。第一声が「重い。持って」だったのには心底呆れた。

「鍋の輪郭だけ光ってるのは?」

「蓄光テープ貼った」

「どんだけ全力注いでんだお前」

「だって火傷したら危ないじゃん」

 正論を返されるとこちらもとやかく言いづらい。口ごもる俺を見て――見えてはいないだろうが――橘花は粛々と進めていく。

「じゃあ一応確認ね。ルールは主に三つ。具材は一人三種類。食べられないものは入れない。何があっても残さず食べる」

「りょーかい」

「一番ルール破りそうなやつが何を…」

「ひっぱたくよ」

 暗闇の中、さすがに殴られはしないだろうと思うが、念のため黙っておく。痛いのは嫌だ。

 そんな感じでスタートした闇鍋。事前にじゃんけんで決めた順に食材を鍋にぶちこんでいく。最初が咲花、次いで俺、橘花と続く。

 実のところ、俺と咲花は口裏合わせて白菜やしらたきをはじめとした普通の食材を用意している。橘花が聞けば文句を言われるだろうが、まずいもんは食べたくない。

 つまるところ、何か変なモノが混じっていれば自ずと犯人は橘花であるということになる。

 出汁の香りがふわりと広がる中、咲花が具材を投入していく。咲花の食材は豆腐、しいたけ、肉団子。「肉団子ってやっぱ必要だよなあ」と真っ先に手に取った食材である。美味いものが食べられる保証はないのだが、理解しているのだろうか。

 おそらくその辺りは思考から抜け落ちているであろう咲花のターンが終わり、「次、花霞」と橘花の一声。

 俺が用意したのはしらたき、白菜、人参。色合いがよくないなと思って人参をチョイスした。「意外とそういうの気にするよな」とは咲花。

 今のところは滞りない。何か起こるとすればここからだ。

「私の番ね」

 「えい、やあ、とう」とよくわからない掛け声と共に、食材を小気味良く鍋へと入れている。

 しばらくして、恐らく具材にも火が通っただろうかという所で、咲花が言う。

「闇鍋って部屋暗いままで食べるんだっけ?」

「そうだな」

「誰からいく?」

「「「……」」」

 沈黙。圧倒的なまでの沈黙。三人の最初に手を出すのは嫌だという思いが一つになった結果、いっそ鮮烈と呼べるほどの静寂が場を満たした。

「やっぱり言い出しっぺの花霞からいくべきだろ」

「いや、家主を差し置いて食事に手を付けるのはさすがにな」

「咲花はお腹空いてるんだよね?いっぱい食べていいからね」

 そうなると当然始まるのは苛烈な押し付け合い。

 再度静寂。ぐつぐつと鍋が煮えていく音が耳につく。睨み合う状況がしばらく続いて、家主が一言。

「みんな一緒に食べよっか」

 争いは何も生まないよと続けた橘花に、いつも何かしら勝負挑んでくるくせになんだこいつという思いをひた隠しつつ賛同した。

「もう邪魔くさいから電気つけよ」

「なんでもありだな」

「私の家だから私がルールです」

「どこにいてもそうじゃねえか」

「とかなんとか文句言いつつ、いつも付き合ってくれるツンデレな花霞なのでした」

「ひっぱたくぞお前」

「電気つけるぞー」

 咲花が暗闇のなか、器用にもリモコンを探し当てたらしい。

 ぱっと明るくなる視界。眩しさに目を細めるが、だんだんと慣れてくる。

 慣れてきたところで、改めて鍋を見る。曇った蓋からは中身を知ることはできない。開けるしかないのだ。

「それじゃオープン」

 緩い掛け声で橘花が蓋を取る。塩ベースの出汁の香りがふわりと漂う。

「普通にいい匂いだな」

「ほんとだ、美味しそう」

「ていうかこれ、普通の鍋になってね?」

 そろって鍋をのぞき込む。そこには特に変わったものは入っていない。

「橘花は何入れた?」

「私はねぎとえのきとしめじ」

「めちゃくちゃ普通じゃねえか」

「二人が何か入れるかなーって思ったから」

 俺と咲花は橘花が変なものを入れると思っていたが、橘花もまた、俺たちのどちらかが奇抜なものを入れると思っていたらしい。

 その代わりに自分だけは最後の良心として普通なものを入れておこうと考えたのだという。

 しかし、なんというか。

「これなら普通に鍋パしとけばよかったね」

「そうだな」

「橘花がふざけないのは想定外だった」

「花霞は私のことなんだと思ってるの?」

「正直、チーズケーキとか入れると思ってた」

「……私そんなことしないもん」

「ええ…、なんかごめん……」

 とりあえず謝っておく。何に対する謝罪なのかはわからないし、俺に非があるとも思えないが、橘花が拗ねると後のフォローが面倒だ。一度機嫌を損ねると俺一人の手に負えない。

 当人である橘花は心底意外だという顔をしている。

「花霞って謝れるんだね」

「お前こそ俺のことなんだと思ってんだよ」

 やっぱり少しくらい落ち込ませておいたほうがよかったかもしれない。

「それより早く食おうぜ。腹減ったし」

「マイペースがすぎるだろお前」

「それもそうだね、冷める前に食べよ」

「切り替えが早いなこっちも…」

 素直に詫びを入れたのが馬鹿馬鹿しくなってきた。

「花霞は食わねえの?」

「いや食べるけど」

「それじゃ、はい。手を合わせて―」

 いただきます、と異口同音に。

 結局闇鍋なんだかただの塩鍋なんだかよくわからない鍋をつつきながら、いつもより少し暖かい冬の夜は更けていった。

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