第258話 王国剣帝杯 1

《sideジュリア・リリス・マグガルド・イシュタロス》


 私の顔を知るものがいることを考慮して、仮面を着用して王国へ入ることにした。

 国境沿いや領境で自分が顔を合わせたことがないと判断した者には素顔を見せて、怪しいわけではないと伝えている。

 ただ、素顔に傷があるので隠しているだけだと伝えれば、大抵の者が仮面を外して見せれば謝罪を口にしてすぐに納得してくれた。


 こうしておけば最悪素顔を見られても、バレないように工夫を施した。

 わざわざ仮面の下に、人工的な傷で片目が潰しているなど誰も思わない。

 女性の顔に傷があるというだけで気を使う者が多い。

 そのため、しつこく尋問を受けることは減ってくれた。


「やっと辿り着いたな」


 帝国を出て一ヶ月ほどが経った。

 王国のさらに北。

 皇国に近い国境沿い、帝国から辺境伯領はかなりの移動時間がかかってしまう。

 今回は正式な帝国からの出場者として通過しているため、スパイの疑いもかけられて時間がかかってしまった。


「王国は、どこもピリピリしています。ジュリ様」

「現在は戦時中です。他国から来る者はそれだけで警戒の対象なのでしょう」

「そろそろ潜入者との待ち合わせ場所に到着しますが、どうされますか?」

「ええ、わかっています」


 我々はベルーガ領に入って、主となるヒレンの街ではなく。

 その手前にある街で、先に潜入している者と顔合わせの手筈になっている。


「これはこれは姫様。お待ち申し上げておりました」


 私の前で膝を突き、嫌味な口調で手の甲へキスをする。


「あなたがここにいるとは思いませんでした。ウィルヘルミーナ・フォン・ハイデンライヒ伯爵」

「お美しい姫様の、お手をお借りすることになるとは、心より申し訳ございません。此度は、イシュタロスナイツ第四席として帝国が誇る暗部たちの指揮を仰せつかってまいりました」

「零の部隊が来ているというのか?」

「大袈裟なものではございません。ほんの一部でございます。私は彼らを使って王国の戦力の分析をするために来たに過ぎません。ベルーガ辺境伯を殺すのは、そのついで、ですよ」


 この男は、ズル賢い手段を使ってのし上がって来た。

 その後ろ暗い噂が絶えぬとともに、この男に仕事を任せるということは、帝王はベルーガ辺境伯の暗殺を本気で企てているということだろう。


「そうか、仕事をキッチリと果たしてくれればいい」

「もちろんでございます。姫様は、そちらの二人を使って何を?」

「陽動ということになるのだろうな。二人の引率者であり、お前の仕事の監視を行うために遣わされた」

「それはそれは、帝王様も用心深いことです。くくく、兵法とは戦う前に勝負がついているものです。私がここにいるということは今回の作戦の準備は全て終わり。あとは実行を待つだけだというのに」


 戦術において、私はこの男に負けるとは到底思わない。

 戦術は個々の戦闘や戦局での行動や選択を示し判断することをいう。


 だが、兵法という分野において、私はこの男に勝てるとは思えない。

 兵法とは、戦争や戦闘における原則や理論を体系化した教えや指針を意味する。


 戦が始まってしまえば、判断と決断で負けない。

 だが、戦が始まる前の理論や分析といった準備段階では負けてしまう。


 互いに見ている視点が違うのだ。


「作戦が最終段階に入っているなら、私がいうことはない」

「姫様は物分かりが早くて助かります」


 イシュタロスナイツ第四席に座る、この男は弱いわけではない。

 この男の厄介なところは、戦いをしないところにある。

 戦う前に勝利の準備を終えて、作戦が始まれば勝利を収めてしまう。


「あなたがここにいるということは失敗はないのでしょう」

「そう願いたいですね」

「珍しいですね。あなたが弱気なことをいうなんて」

「作戦は完璧です。ですが、作戦にはイレギュラーが付きものです。常に想定外を考えておくのも私の仕事ですよ」


 この男にしては珍しく弱気な発言だ。

 珍しいと感じて興味を惹かれてしまう。


「貴様が考える想定外とは?」

「そうですね。私の力が及ばないほどの難敵に遭遇するか、私を上回る兵法を使って来る者がいればという話です。そんな者が王国にいるとは到底思えませんがね。それとも一年間、潜伏していた姫様ならば心当たりがありますか?」


 そう問いかけられて、私の脳裏に一人の男の顔が浮かんでは消える。

 もしも、彼が王国剣帝杯に来ていたなら、この男の作戦を看破して見せたかもしれない。


 だが、果たしてそんなことが本当にできるのだろうか?


 私とて、戦闘になればこの男に負けるとは思っていないが、戦うことも許してもらえないこの男に果たしてどう勝てば良いというのか?


「いいや。そこまで頭の回る者がいるとすれば、デスクストス家のテスタぐらいだろう」

「ふむ。皇国との戦争を指揮する総司令官ですかな? 私に言わせれば戦争を仕掛けるなど愚の骨頂。戦わずして勝つ。それぐらいのことをして見せて、初めて帝国の将軍である我々と肩を並べられるというものです」


 あいつならば、仕掛けられた時には勝利している。

 だが、仕掛けられた戦いすら遊びとしてとらえてしまうだろう。


「姫様?」

「すまない。貴殿のいうことは正しい。此度は、私も貴殿の作戦を見て学ばせてもらおう」

「それは良いでしょうな。姫様は人の業を知らなさすぎる」

「人の業?」

「そうです。戦わずに勝つ。そのためには人の業と呼ばれる醜悪で、歪な物を知る必要があるのですよ」


 第四席は悦に浸る顔を浮かべていた。


 私はそれ以上話すことはないと部屋を出た。


 懐かしい顔を思い浮かべたことで……。


「リューク。君が生きているなら、どうやって対処する? 私に見せて欲しいものだ。帝国を打ち負かすほどの力を」


 自分で呟きながら、そんなことはありえない。


 二人を連れて、ヒレンの街へ向けて進路をとった。

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