第17話「初めての友達」


「魔王陛下」


 男は部屋に入るとそう言った。

 部屋の真ん中には男に背を向けるように座っている人物がいた。

 魔王と呼ばれたソレは、小さく返事をする。


「なんだ」

「…本当に、明日、行かれるのですか」


 男は緊張しながらそう言った。

 目の前の人物が熟考した結果そういう結論に至ったというのは重々承知だった。

 しかし、彼は目の前の人物が考えを改め、否と言う言葉を発するのを、可能性が低いというのは分かっていながらも期待した。何故なら―


「死んでしまう、かもしれないんですよ」

「………」


 彼は、目の前の人物に―彼女に死んでほしくなかった。

 彼と彼女は決して長い間柄では無かった。だがここまで多くの戦場を共にした。幾多の死線を一緒に越えた。


「行く」

「…どうして!」


 しかし彼女は行くという。死んでしまうかもしれないとは言ったが、彼女は行けばほぼ確実に死ぬ。彼にはその確信があったし、彼女もそう思っていると信じていた。


「…お前、私の下に付いて何年だ?」

「……六年です」

「そうか。私はもう魔王と呼ばれて百年が経つ」

「………」


 百年。

 魔族であればその年数を生きるのは難しいことではない。

 しかし王と呼ばれる地位を百年も保つのは決して簡単な事ではない。だが彼女はそれを全く誇るようなことはせず、むしろ少し悲しそうにそう言った。


「私は百年前、ただの小娘に過ぎなかった。故郷が襲われ、他の種族に対抗するためにただ武器を取ったにすぎん」

「……」

「しかし今となっては魔王と呼ばれ、全魔族を指揮する立場だ。聞けば私を崇拝するものもいるらしい」

「……聞き及んでおります」

「…私はな。ただ、欲しいだけなんだ」

「何をでしょうか」

「平穏が。安寧が。家族と過ごす穏やかな日常が。争いの無い世界が」


 彼女は滔々と呟く。

 魔王のその言葉を聞いた男は目を見開いた。今まで彼が見てきた彼女は魔王然としていて、こんな老婆のような願い事を呟く人間ではなかった。


「だから私は明日行く。それによってこの戦争を…七つの種族の戦争を終わらせることが出来るのなら。私は命を犠牲にしたって構わない。それがお前たち…魔族の平和に繋がるのなら」


 彼女、魔王は拳を握らせて強くはっきりそう言った。

 男は一つ「わかりました」と呟き部屋を出た。



―――


「ちょ………お…て……フリ………」


 意識が混濁しているような感覚。それでいて誰かに揺すられているような感覚も覚える。

 ちょっと…起こすのはまだ待ってくれ、今とても興味がある夢が……。


「起きて!フリードリヒ!」

「はいッ!?」


 俺は体を勢いよく起こす。

 周りを見渡すと知らない部屋。いや、ここはヴェリーナの部屋だ。

 そうだ、俺はヴェリーナに本を読み聞かせてもらっている間に寝てしまったのだ。


「ごめんなさい、ヴェリーナお姉ちゃん。いつの間にか寝ちゃって…」

「それはいいけど、フリードリヒは大丈夫?」

「え?」

「貴方寝ながら泣いてたわ」


 目尻をさすると、ヴェリーナの言う通り涙が流れていた。

 悪夢でも見ていたのだろうか。


「変な夢を見てたかもしれません」

「…さっきも泣いてたし、フリードリヒは泣き虫なのね」


 そういうとヴェリーナは俺を胸に抱いた。


「ちょ、ヴェリーナお姉ちゃん!?」

「泣いている子はこうして慰めてあげるって本に書いてあったわ」


 突然の事でびっくりしたが、冷静に考えるとこれは中々役得だ。

 ヴェリーナは俺を抱きながら頭も撫でてくれる。


「よしよし……これで出来ているかしら…?」


 うーん。従弟の男の子を慰めようと頑張る系『お姉ちゃん』に見えてきたな。燃えるぜ。


「どう?元気出た?」

「うーんもうちょっとお願いします…」

「…何だか恥ずかしくなってきたからここまでね」


 ヴェリーナは顔を少し赤らめながら俺から離れた。初々しいねぇ。


「それより次はこれで遊ぶわよ!」


 ヴェリーナはそう言うと机の上にあった、マス目のすいた正方形の台と十数個の駒をベッドに持ってきた。


「これは?」

「シェズって言ってね。先攻後攻で相手の駒を取り合って、相手の王を最初に取った方が勝ちって言う盤上遊戯よ!」


 そう言いながらヴェリーナは駒を並べ始める。駒にはそれぞれ文字が刻まれているが、俺の知っている言語では無かった。

 なるほど。将棋やチェスみたいなものか。

 しかし、将棋が趣味の少女と聞くと渋い趣味をしているな~と思ってしまうな。


「ルールを説明するからやりましょ!」

「ええ、いいですよ」


 ヴェリーナが笑顔で駒を並べている所から察するに、彼女はこのゲームがとても好きなようだ。

 だったら『お姉ちゃん』好きの俺がやるべきことは決まっている。彼女に、花を持たせることだ。


―――


「むむむ…………」


 前世の俺は、将棋やチェスに案外詳しかったりした。オタクって生き物は割りと詳しいものが多いのだ。ハマっているアニメや漫画、そしてラノベによってオタクって生き物は趣味を変える。

 そう言う俺も、一時期将棋やチェスモノのアニメを見てアプリでネット対戦とかぼちぼちやってみたことはある。そのアプリ内では意外と勝率も高かったもんだ。


 そして、目の前の少女はこの盤上遊戯が趣味だとは言ってもまだ十歳。十歳で将棋をやる子供なんて定石なんて知らずにただ飛車や角行みたいな強い駒をただ動かしたいもんだと、親戚の男の子と将棋をやったときに俺は学んでいた。


 そう、俺と彼女の差は歴然なのだ。


「投了です…」

「これであたしの四連勝目ね!」


 ヴェリーナは強かった。

 一試合目は普通に彼女に勝たせようと思って勝たせた。

 二試合目、少しいい所を見せようと駒を強気に動かした。しかし予想外の彼女の一手にそれを全て防がれた。

 三試合目。少しおかしいと思ってきた。シェズというゲームに段々と慣れてきて、ヴェリーナは実は上手いのではと思ってきた。

 四試合目。勝ってみようと思った。全力でやった。普通に負けた。


 嘘だろ…。俺は前世で結構将棋とかやってた。確かに将棋とこのシェズと言うゲームは別物だ。しかし、同じようなゲーム性なので通じる所があると思う。

 

 そんな俺が十歳の女の子に負けたのだ。なんか普通に悔しい。ちょっと惨めな気持ちも入る。

 俺はこんな幼気な『お姉ちゃん』に惨めな気持ちにされたのだ。あれ、そこまで嫌な気持ちじゃないな。


「ヴェリーナお姉ちゃんは強いですね…」

「ええ!五歳の頃からやっているの」


 するとシェズ歴五年ってことか。

 …てか五歳でこんなおじいさんがやりそうなゲームにはまるのかヴェリーナ…。


「そうなんですね。いつもは誰とやっているんですか?」

「いつもは一人でやってるわね」


 …はい?


「え、でもこの遊び二人用ですよね」

「ここにシェズを知っている人いないのよ。だからいつもは一人でやったり街で売ってる本を見て詰めシャズってやつをやっているわ」

  

 …なんで彼女はここまでこのゲームをやっているのだろうか。逆にそれが気になった。

 だって、いくら将棋が好きでも二人いないとそれは出来ないだろう?確かに詰め将棋の問題集とか独りで遊べる物が売ってたりしたが、あくまでこういったゲームは二人でやるもんだ。


「なんで一人でシェズをやるんですか?」

「うーん……楽しいからよ。それ以外にある?」


 なるほど理解。考えてみればゲームをやる理由なんて好きだからに決まってるよな。愚問だった。


「ヴェリーナお姉ちゃん、もう一回やりませんか」


 俺は今、この現状を楽しんでいる。ヴェリーナと遊んでいるこの現状に。

 今まで俺は、アスモダイ城で暮らしてきた。そこにいるのは肉親と、それらに仕えるメイドさんや執事だけだった。

 俺には、対等に話せる家族以外の赤の他人という人物が今までいなかった。俺が気兼ねなく話せる、「友達」と言える存在がいなかった。

 だからこの現状をとても楽しめていた。きっとヴェリーナは、俺がこの世界に来て初めてできた友達だ。


「いいわよ!あなたがこの遊戯を気に入ってくれて嬉しいわ」


 もう一度シェズをやるために二人で駒を並べていると、コンコンとドアがノックされる。


「誰?今ちょっと忙しいの。後でもいい?」


 ヴェリーナは駒を並べながら扉の向こうへぶっきらぼうにそう言った。


『私です。ヴェリーナ。開けなさい』

「お、お母様!?」


 どうやら扉の向こうにいるのはヴァリュナのようだ。

 ヴェリーナはベッドから飛び降りて扉を開けた。


「やあ、フリッツ」

「あ、お父様」


 扉の向こうには、ヴァリュナとその護衛が一人、そして何故かエルガーもいた。


「やっと長い話が終わってね。今日の副題に入ろうと思って」

「副題?」

「ああ、君のその喉のことだ」


 そういえば今日は俺の喉の違和感と冷たい息を吐けるようになったことを龍姫族に診てもらうことも目的の一つだった。

 ヴェリーナとの遊びに夢中で忘れてたぜ。


「早速診ても?」

「ああ、お願いするよ」


 事前に話を通していたのかヴァリュナそう言った。

 龍姫族の女王様が直々に診てくれるのか。


「口を開けて」


 ヴァリュナの言う通り口を開ける。彼女はその中を見て「なるほど」と言うと口を閉じさせた。


「触りますよ」


 彼女はそう言うと次は喉を触ってくる。なんだか前世の健康診断を思い出すな。

 一通り俺の喉を触ると、彼女はまたもや「なるほど」と言った。終わったのか?


「龍人族と他の種族の混血に見られる症状ですね。数日咳が出るくらいでそれ以外に害はありません」

「僕も一応龍人族と魔族の混血だが、そんな症状にはなったことが無いぞ?」

「言葉が足りませんでしたね。混血の中でも龍人族の炎のような息や氷のような息を吐く能力を遺伝した者にのみ見られる症状です」

「なるほどね」


 その後エルガーはヴァリュナと一言二言交わし、俺を見る。


「さて、そろそろ帰るよ、フリッツ」

「え?もうですか」

「ああ、やるべきことは終わったしね。なんだい?帰りたくなくなるほどにヴェリーナと仲が良くなったのかい?君も隅に置けないね」


 エルガーはハハハと笑う。 

 なんだもう帰るのか…。やっとヴェリーナとの仲が良くなってきたと思ったのに…。


「ふむ…。それでしたら後日、ヴェリーナをそちらの城に連れて行きましょう」

「え!?」

「いいんですか、お母様!?」


 ヴァリュナの言葉に、俺とヴェリーナは勢いよく反応する。

 どうやらヴェリーナもまだまだ俺と遊びたいと思っていてくれたようだ。


「ええ。ここ龍姫族の都グルンダとアスモダイ城はそう遠くない距離です。それに子供たちの仲が良いに越したことはありませんからね」


 ヴァリュナはそう言うと俺の前で初めて微笑んだ。

 厳格そうなお婆ちゃんかと思ったがいいところあるじゃん。


「それじゃあヴェリーナお姉ちゃん、また遊びましょう」

「ええ!ちゃんとシェズの練習をしておくのよ!」


 そこで俺とヴェリーナの初対面は終わった。

 うむ。いい日だった。帰りの街でシェズを買うようにお願いするか。



―――


 ヴェリーナとフリードリヒが初めて会った日の夜。ヴェリーナは母親に呼び出された。

 彼女が母親に呼び出されるのはもう数年ぶりのことで、彼女は緊張しながら母親の執務室の扉を叩いた。


『誰だ』

「ヴェリーナです…。お母様に呼ばれてきました」

『……入ってよし』

「失礼します」


 ヴェリーナが部屋に入ると、その部屋には五人の人影があった。

 部屋の奥には彼女の母親ヴァリュナが執務をしており、その左右には彼女の護衛が一人ずつ。


「………」


 それよりもヴェリーナの視線はヴァリュナの背後にいる赤ん坊を抱いた人物に向けられる。彼には龍人族の証となるツノや翼、そして尻尾がない。彼は人族であった。 

 ヴェリーナは、彼と彼の抱いている赤ん坊を憎んでいる訳では無いが、思う所はあった。


「エルガーの息子との距離は縮まりましたか?」


 ヴァリュナは手元の書類にペンを走らせながら視線を交わさずにそう言った。

 エルガーの息子、そう言われて思い浮かべる人物は一人しかいない。


「はい!最初は本を読み聞かせてあげていたのだけれどすぐ寝ちゃったの。でもその後シェズっていう盤上遊戯をやってね!フリードリヒも気に入ったみたいでたくさんやったわ!聞いて聞いて!あたし、四試合目に――」

「黙りなさい」

「あ――」


 饒舌に今日の思い出を語っていたヴェリーナはヴァリュナのその一言で自分の過ちに気付いた。

 ヴァリュナは冷ややかな目でこちらを見ていた。


「今朝、私は貴方になんと言いましたか?」

「…魔族の王子に取り入るように」

「そうです。我々龍姫族再起の一手として貴方にそう命じました」


 しかしヴェリーナはフリードリヒに取り入ると言われても何をすればいいか分からなかった。彼女は十歳だった。


「いいですか?貴方はエルガーの息子に上手く取り入り、婚姻関係を結べるように取り計らいなさい。誘惑でもなんでも使えるものは使うのです」

「誘惑…!?」


 ヴェリーナは十歳だったが読書家で、色々な知識を持っていた。そのため、ヴァリュナの言っていることを理解できた。そしてそれが十歳の自分には恐らく不可能であろうという事も。


「それと、アスモダイ城に赴いた際にはなるべく下手に出るように。そうしないとエルガーが面倒ですからね」

「う、は、はい……」


 ヴェリーナにも言いたいことはたくさんあったが、ヴァリュナの強い視線の前では頷くことしかできなかった。

 その後ヴェリーナは退出を命じられた。

 さっきまで楽しみだったアスモダイ城でフリードリヒと会うことが少し憂鬱に感じてきた。 

 

 

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