第89話:ネズミの巣穴


 ネズミの巣穴は一つではない。地下闘技場の周りに限らず、地上や王都の外にも数か所以上の拠点を持つ。子どもを生み増やすネズミのように地下を這いずり回ることから、アイギアロスを出て数年で傭兵集団は「泥ネズミ」と呼ばれるようになった。

 ネズミの群れの長などいないが、先導者にと望まれたのがサンディカ・ローレスだった。年長者が病に倒れそれを引き継いだに過ぎない。引き継いだ後日、ギルガラス王が亡くなったのは僥倖だった。病死など、あの王にしては実に生ぬるい死に方だ。

それから「泥ネズミ」は半年もの間に倍の人数が集まった。今では三百人以上が王都に潜伏している。

 傭兵の大半は血の十八日間で親兄弟を失った者ばかり。幼い頃は騎士になることを夢見て、研鑽の日々を重ねた。それは血の十八日間を越えても、先王が病死したと耳にしても、剣を握る理由を失うことはなかった。

 「泥ネズミ」の中に広がった噂を皆が口々に囁いていた。それは闘技場の観客席に高貴な女性が見に来るというものだった。

「それが女王じゃねえかって話だ」

「まさか、そんなわけあるまい。お姫様だろ? なんでこんな汚い闘技場を見に来るんだ?」

「いやしかし、どうもお転婆で剣術を大層好むらしい。闘技場に興味を持ってもおかしくないさ」

 錆びた剣を研ぎ、支度を整えたサンディカ・ローレスは町に散らばっていた「泥ネズミ」たちを闘技場の裏へと招集した。拠点の一つであるそこにはすでに多くの「泥ネズミ」が集まっており、ローレスが指示するまでもなく「泥ネズミ」たちは武器を揃えていた。

「その噂は確かのようですね。これはまたとないチャンスです」

 城に忍び込ませた女中はメアリー・ホーソンだけではない。彼らは連日地下闘技場について探りを入れ、貴族専用の観覧席を無心していたらしい。伝手のある小評議会の諸侯連中にまで噂を流しているなど何と傲慢で浅はかなのか。

——ベルンシュタイン王家と言えど、やはりただの小娘ということですか。

「いや、でも。女王だったとしても、護衛は相当でしょうね。俺たちで叶うかどうか」

「トラッドさんが生きてりゃ、楽に済んだんですがね」

「ええ、本当に。彼のためにも我々は目的を果たさねば」

 ジョラス・トラッドの死は「泥ネズミ」の間では騎士団に刺された傷跡が原因で死んだことになっている。奴が抜けたことは確かに痛手ではあるが、悼むべき相手ではない。剣を振り回す能しかなく、傷を負った状態の奴は、使い物にはならなくなっていた。扱いづらくはあったがそれなりに攪乱する成果は上げていた。そもそもは騎士団に入って諜報活動をさせる予定だったが、それもあいつの奇行で破綻した上に、騎士に追われる理由を作ってしまった。

あれには務まるはずもない。早々に処分して正解だったのかもしれない。 

 それにしてもあれを追い詰めたあの弓兵は一体何者だ? 

 チャービル家の海賊の青年にも賞賛の拍手を送るべきではあるが、あの勝負の決定打は間違いなく放たれた数本の矢だ。

 あれ程の腕を持っていれば王都で名を上げていてもおかしくはない。ただ分かることもある。あれを塔から放ったのは確かに子どもだった。

――まさかあれ程の精鋭が女王の傍にいるとは。

 ぎり、とローレスは歯ぎしりした。

 その弓兵といい、飛龍の騎士といい、女王の周りにばかり腕の立つ者ばかりが集まる。命令を待たずに七星卿が王都に集う前に仕留めてしまえば良かったものを………。

 しかし再びチャンスが訪れた。城で安全に過ごしていればいいものを、自ら命を捨てにのこのことやってくるとは。

 今回の観覧にも飛龍の騎士が傍についているはずだ。貴族などの高貴な方々の観覧席は限られている上、飛龍の騎士程の目立つ男が立っていればすぐに分かる。見つけてくれと言っているようなもの。だが観覧席にいた人物を見て、ローレスは自分の目を疑った。。

――どういうことだ?

 貴族の観覧席には確かにベールを深く被った少女がいる。彼女が女王であるのは間違いないだろう。それを取り囲むようにして立っている護衛もいる。しかしそこに飛龍の騎士の特徴と一致する男はいない。

 女王の側近オスカー。蘇りの子カルマ。間違いない、あの二人だ。

――二人? それも未熟者の子どもを? 何を考えている?

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