地下闘技場
第88話:作戦開始
灰とゴミと浮浪者の溜まり場が続き、地下に深く潜れば潜る程、光は届かなくなり息苦しい。建築王ロイドの御代で途絶えたはずの地下都市の計画は王の目の届かないところで着々と進められ、今に至る。王の目は届かなくとも、王の耳には入っていただろう。看過した結果がこの有様。明らかに年代や技術が異なるツギハギの増築が、それを顕著にしていた。
長く薄暗い、雨水が壁から染み出している廊下を抜けた先にあったのは、太陽の恩恵を受けぬ場所。王都の区画一つ、つまりは街角一つの規模もある空間が広がっていた。石で積み上げられたというよりは削り取られた造りをしたそこは、もはや違う国だ。野次と歓声が満ちて、観客の目は闘技場の中心に集まっている。毎日のように剣奴隷が運び込まれ、剣闘士たちが剣を交える。吹き抜けになっている天井から僅かに届く光だけが、彼らを照らしている。ところどころに鮮やかに染まっているのは鮮血の跡だ。文字通り血生臭い場所で、多くの人は歓喜の声を上げた。
地下闘技場の全容を知るのはこの時が初めてであった。
―――血と狂気さえなければ美しいところだったろう。
悲しいことだが、人さえいなくなれば美しい廃墟となっただろう。
最終日の闘技大会はトーナメント式八名が出場する。毎日催される闘技場の戦いの中でも闘技大会最終日は最も賭け金が動き、観客も通常の比ではない人数が押し寄せる。
八名はそれぞれ個別の控室で待機することになっている。闘う前に殺し合わないよう、隔離しておくらしい。
選ばれる八名はどれも戦い慣れた猛者ばかりだという。貴族たちが金に物を言わせて雇うなど当たり前。自らここの門を叩き、名誉と栄誉のために闘うなどという奇特な者はこの場所に来るはずもない。
剣奴隷の多くはサザーダ人だ。紛れるのには自分の容姿は丁度いい。戦い抜ける程の剣術の腕ならある。騎士団が闘技場を囲むまでの時間稼ぎとその合図を送るまでが役目だ。
それに、不完全燃焼のままではどうにも居心地が良くなかった。
あのトラッドにやられておきながら、結局自分の手でケリをつけられなかったのだ。あの時の屈辱を晴らす機会が訪れたと思えばいいが、観客を引き寄せ、時間を稼ぐための囮で、重役ではない。勝っても勝たなくても構わない。だが負ければあの時の屈辱とは比べ物にならない苦痛を味わうだろう。
―――役に立ちたいのか?
湧き出る疑問に、ヴェロスは戸惑った。
控室は牢屋のようで圧迫感がある。苦手というわけではないが長時間の閉塞感には耐えられるものではなく、飽きが来ていた。だから変な考えを巡らせてしまうのだろう。
「よっ!」
ひょっこりと現れたのは変装をしたアリスタだ。身なりのいい貴族の青年風に上質なコートを身に纏っていて、髪をかき上げ綺麗に束ねていた。納得はいかないが、悪だくみする表情さえなければ聡明で利発な青年に見える。アリスタはローストチキンとナシのジュースを差し入れした。
「何してる」
「何してるって、そんな態度はないだろう、ご主人様に向かって。シュバルツ君」
控室の外には傭兵たちが巡回している。素性をばらすわけにはいかないと、ヴェロスは拳を抑えた。
「…………」
偽名を名乗らなくてはならないとはいえ、ヴェロスはアリスタがつけた妙な名前が気にくわなかった。シュバルツは女神グラシアールの末子の死の神だ。貴族でも好んで子どもには付けない大層な名前だ。厄介だったのはそれをアリスタはカッコイイと勘違いしていたのだ。渋々というよりは半ば諦めたシュバルツことヴェロスは主人に恭しく頭を下げた。
「それより、準備はどうよ」
「問題ありません。どうぞご主人は安心して観客席へお戻りください」
アリスタはわざとらしく咳払いをして、ヴェロスに耳打ちした。
「一応、この大会のルール上、魔術はありってことになってる。というか、お前には当たらないがあっちのブロックにはどうやら相当な魔術師がいるらしいぜ。闘技大会っていえば剣術、槍術が普通だと思ったんだけどな。ま、気負わずな。期待してるぜ!」
魔術を使うことは想定していなかったが、迫られたら使わずにはいられないだろう。
「ご主人の応援、ありがたく頂戴いたします」
「よしよし、いい子だ。シュバルツ君。勝ったら後でご褒美をあげよう」
「———。後で覚えてろ」
低く唸ったヴェロスにアリスタは全く動じず、ウインクをした。
「お前は勝つぜ。魔術なんて使わなくってもな。幸運の女神様がついている」
初戦、勝ち上がれば五戦目、最終戦となる。
闘う相手は闘技場に出るまで顔を合わせることはない。
ヴェロスは使い慣れた双剣を鞘に納め、口元まで覆面。
大会は日が落ちる時間から始まり、太陽の光が届かぬ地下を照らすのは、無数の松明。
主催者と思しき男が中央に立ち、騒然としていた観客たちは注目し静寂に包まれた。主催者は声高にそして嬉々として挨拶をする。
「お集まりの皆々様! 今宵、最強の称号を得るのは一体誰か、刮目してください! それでは華々しい初戦を飾る、二人の戦士を紹介いたします。元騎士団の歴戦の騎士ゲオルグ! そして、サザーダ人の剣闘士シュバルツ!」
観客の歓声が響き渡り、彼らの視線が集まる。
この高揚感に覆面の下の口角が緩んだ。
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