第85話:毒蛇の毒を抜くまで(2)
その記憶の影は常に彼の傍らにあるがごとく彼は語る。
「今から十五年前。セピア暦九九六年のことです。小国と同様、独立することをかの領地は求めた、とされています。メノリアス王による小国独立以降、北西トニトルス領、北東ベンティスカ領、南西リュミエール、オプスキュリテ、南東アトモスフィア。そして南部アイギアロス。これらが王都を取り巻く領地となりました。メノリアス王は小国に統治権を与え、王国と小国を完全に分裂させることで、治安維持を図りました故、同じ自治権を領主たちが求める動きがございました。独立をすれば新たな国が作られる。国境が生まれ、遠くない未来で諍いが起きる。それを考えず、生産物を独占したいがため嘆願、いえ、蜂起した領地があったのです」
「それが、アイギアロス?」
答えたオスカーに、グリシアは否定しなかった。
「しかし、それを先王ギルガラス様はお許しにはならず、反逆として領主たちを処刑した、というのが王国の歴史に記された事実です。二八二名が処刑された血の十八日間が王家の歴史の汚点として残り続けている。ギルガラス様が愚かな王として、そしてあなた様は愚かな王のご息女としてベルンシュタイン王家を背負わなくてはならなくなった」
落ちぶれたベルンシュタンイン王家。そう囁かれても反論ができない悪行を積み重ねた暗君として後世に語り継がれることになるだろう。
「つまり、先王の行いで私たちが恨まれることになったと?」
「恨まれる筋合いなどありません。彼らは大きな罪を犯したのですから」
「罪? 彼ら?」
「アイギアロスは近隣の小国の領地を侵し、人身売買をしていたのです」
人身売買?
そんなことは誰からも聞いたことがない。十五年前なんて長い王国の歴史からすればついこの間だ。誰もこの真実を吹聴しないということがあり得るだろうか。しかしこのアイギアロスに纏わる怨恨の残滓は腑に落ちる。
リゲルも考えを巡らせているのか、終始黙ったまま口元に手を当て、目線を下に向けている。
「近隣の小国だと? 王国がそれを看過していたのか?」
驚きのあまりシリウスはグリシアに食いつくように怒りを向けた。しかしグリシアはそれが想定内であったのか、冷静に答えた。
「この事実を知る者はごく僅かです。王は緘口令を敷きました故、今の新しく揃った小評議会の中でも知る者はほとんどいないでしょう」
隠された歴史。いや、隠蔽され、偽装された歴史ということだ。
「それがどれ程長い間、アイギアロスで行われていたのか、今となっては知ることはできません。あまりにも巧みに隠されていた故に、常習されていたが故に、誰も気が付かなかった。人が肉を食うことを、当然として受け入れているように、アイギアロスに生きる者もまた、当然の権利だと思い込んでいたのでしょう。売られた者は、奴隷のように焼き印をするわけでもなく、鞭打ち辱めたわけでもない。ただ、意図せず拉致され、家族の元から引き離され、主人に仕えるよう躾けられる。誰も気が付くことができなかったのです」
「アリスタの着眼点は間違っていなかったらしいな。あの割符はその時の名残というわけだ」
リゲルは今までの情報を頭の中で組み合わせ、保留になっていた謎に答えを出した。
「割符? ああ、成程。それは売られた者の首にかけられていた木札のことでしょう。酒樽に人を詰めて運んでいた、という噂もありました。まあ、そのように売られてしまえば、命を落としてしまう者もいたはずです」
シリウスは目を伏せた。
「アイギアロスは、どの小国から人を攫ったんだ」
いつも持ち歩いているのか、グリシアは懐から地図を取り出し広げて見せた。
「当時のアイギアロスは王国で最も領土が広く、三つの小国に面しておりました故。千草の国、橙黄の国、それから紫の国。特に三つの小国は情勢が不安定でした。政治には無頓着なチャービル家、奴隷として民を王都に召し上げた橙黄の国の貴族、民に感心を持たない紫の国。まさに人攫いをするにはうってつけだったのでしょう」
しかし疑問がある。
これ程の事態を長い間隠し通す、いや、暗黙の了解として受け入れられていたのに、王の耳に届くことになったのはどういうことなのだろう。オスカーが口に出す前に、グリシアは続けた。
「当時チャービル家の系譜であるフェントリス家が嘆願したことが事の始まりでした。彼らの領地である島を侵す不埒者を王の権威を持って止めて欲しいと嘆願があったのです」
フェントリス家、という家名にオスカーは聞き覚えがあった。王都の街角、千草の国の街角にかつて自治を任されていたが、財宝を盗んだことで縁を切られたとか。それがこの事件の前後どちらかは分からないが、成程、王都にいたのであれば王への嘆願も容易だったはずだ。少なくともこの時は、フェントリス家は領地領民のために王に助力を願っている。つまりはチャービル家との邂逅はこの後のことなのかもしれない。だが、小国の有力者たちが絡んできた事態を、七星卿が誰一人として知らないのは不自然だ。少なくとも当事者の小国の生まれであったアリスタやヴェロスは親たちから口伝されていてもおかしくない。
「この事実は、どこまで、誰が知っているんですか?」
オスカーの質問にグリシアは「御覧の通りです」と答えた。
「小評議会の大半も、王都の民は知るところではないでしょう。ただのアイギアロスの反逆としてしか残されていません。彼らの領地がここまで収縮したのもこのため」
グリシアは手元にあった地図で現在の領地を指でなぞった。
「おおよそは理解できた。それで? 本題のクリスタル家とホーソン家はこの事件にどう絡んでくるんだ」
「陛下ももう、お気づきでしょう。当時、アイギアロス領の多くの家々が共犯し、クリスタル家はその筆頭でした。人攫いによる利益を最も得て、協力者(ブレーカー)を王国のあちこちに忍ばせていたのも彼らです。ですが、フェントリス家に続き、アルフォンシーノ家がそれらを密告し、彼の家族だけがその罪を逃れた。王に仕える騎士であったことも信頼に繋がったのでしょう。彼こそが、今のアイギアロスの領主、カイル・アルフォンシーノ伯ですよ」
「——えっ、じゃあ」
「血の十八日間の後の統治にカイル殿が選ばれたのです。彼もまたアイギアロスの出自でした。しかし故郷を売った張本人が統治を続けるとは、裏切り者として、密告者として、さぞ居心地の悪いことでしょうな」
テオやフィオーレが感じた手ごたえのなさというのは彼の罪悪感故だったのだろう。
「それは、アルフォンシーノ伯が進んで行ったことか?」
「そこまでは………。ただ、騎士の鏡とも言われた彼は正義感の強い方でした。彼の性分を考えれば、民の命を捨てるようなことはしないでしょう。今更な話しではございますが」
そう、今更どうしようもない。
十五年前に起こった事実をなぞったところで、一端を知るにすぎない。
「ならば先王がクリスタル家を燃やすよう命じた。そうなのか?」
「そうお疑いになるのも無理はございません。ですが、本当にクリスタル家の火事は誰の仕業なのか、事故なのか。その真実は闇の中です。クリスタル家は確かにこの事態の首謀者でした。ですが、血の十八日間の後にクリスタル家は火事にあったのです」
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