第84話:毒蛇の毒を抜くまで
数日の間行方不明となっていたヘクトル・グリシアを発見したのは、彼が幽閉されていると知ったからであった。
ビーネンコルブ城の地下には牢屋がある。要人しか閉じ込めないので、今はグリシアだけが数十ある牢屋の一角にただ一人閉じ込められていた。
それはシリウスの知るところではなく、グリシアのことを知らぬ警備の騎士の一人に不審者に捕まったという何とも情けない理由だった。
そして今、グリシアをシリウスとリゲル、オスカーが救出したのである。
正確には施錠ごとシリウスがレイピアで突いて破壊したのだが………。
幽閉されていたにも関わらずグリシアはけろりとしておりいつも通りの饒舌ぶりを披露した。
「助かりました、陛下。長い間書物に触れていないなど死んだ方がマシですな。しかしまだ見ぬ書物をこの手で触れる前に命尽きるわけにはいきますまい」
グリシアはいつも以上に大仰な身振り手振りでくるくると回った。
「………」
シリウスは少ししか言葉を交わしていないのにも関わらず、ウンザリとした表情を浮かべていたので、また牢屋に入れられてしまうのではないかとオスカーは二人の間に割って入った。
「三日間、屋敷に帰っていないって聞いたけど」
「正確には四日と半日です、オスカー殿」
「それよりどうして牢に入る羽目になったんだ」
リゲルはグリシアを探していたのだから、幽閉されていた理由次第では憤慨するだろう。
「調べものをしようと禁書庫に足を踏み入れまして、勤勉な警備に捕まってここにいるというわけでございます。私が王立図書館館長だと再三説明したのですが、どうにも理解して頂けませんでした」
やはりリゲルは眉間にしわを寄せた。
「館長でも禁書庫に入ることは許されていないぞ」
「禁書庫って?」
「王立図書館にはない秘蔵の書物が保管されているのですよ、オスカー殿。アカシア神殿にはグラシアール教の秘匿が記された教典があるのです。大司祭にしか閲覧を許されていません。それから―――」
まさか、ヘクトル・グリシアが本を手に入れるために大司祭を?
オスカーは思わず疑いの目を向けたが、グリシアはずいっとオスカーに近寄り首を横に振った。
「あれはもうとっくの昔忍び込んで読んでいますのでもう過ぎたことでございます。私が今回忍び込んだ、というより真っ向から入ろうとしたのはビーネンコルブ城の地下墓所にある禁書庫です。あそこにはロイド王が書き記した城の設計図があるとか! ああ、ですが我が知識の探求は道半ばで閉ざされ、この身は憂いに満ちています。陛下、私に是非是非、その設計図を!」
「———何か色々と聞き捨てならないことを言った気がしたが」
さっさと地上に出ようと階段に向かうシリウスをグリシアは止めた。
「ここは人目がございません。陛下が私を探していたというのでしたら、何か聞きたいことでもあるのでは?」
グリシアは両手の指先だけを合わせて祈るようなポーズをした。彼の中で面白いことを思いついた時によくこの仕草をする。
「貴殿が知る限りのアイギアロスについて教えてもらおう」
「アイギアロスについて? ええ、ええ。私で答えられることでしたら、なんなりと! この不肖ヘクトル・グリシア。陛下のご命令であれば、知識の限りを尽くしてお答えいたしましょう!」
グリシアはいそいそと地下牢の奥に転がる椅子を二つ、ズルズルと引きずってシリウスに座るよう促した。
ほんの僅かな光しか差し込まない地下牢には留まりたくはないのだが、グリシアが言い張る以上は仕方がない。シリウスはため息をついて椅子に座った。
「アイギアロスは海産物が豊かな領地で、かつては海に浮かぶ一つの島だったとか。そしてアイギアロス城の壁は巨大な貝で出来ていて、その城には月のような巨大な真珠が埋め込まれ―――」
「そこまで語る必要はない。私が知りたいのは―――」
「おやおや。陛下、この国の王たるもの領地の成り立ちから知っておくべきでございますよ」
「それくらいのことは知っている!」
「短気は損気ですぞ」
「———貴様、もう一度牢に入りたいらしいな」
「はっはっはっは。ご冗談を陛下。牢なら先ほど陛下が壊したので、戻ることは叶いますまい」
「………」
シリウスの苛立ちが頂点に達してレイピアの柄に手をかけた。
「だあっ! シリウス、抑えて、抑えて!」
「———こいつを牢に入れた奴は生ぬるいようだったな。こいつの舌に喋れなくなるまでマスタードを塗りたくれば良かったんだ!」
「可愛らしい表現ですな、陛下。それではもう一度禁書庫に入る甲斐があるというもの」
「話が進まん、さっさと話せ」
リゲルが止めなければシリウスは再びグリシアを牢に繋いだだろう。
「私が知りたいのはアイギアロス領のクリスタル家、ホーソン家のことだ。メアリー・ホーソンのことは聞いているだろう。彼女は暗殺未遂の上、その後他殺されている」
グリシアは急に、彼らしくない動揺や驚きの表情を浮かべた。
「クリスタル家とホーソン家について、ですか。ええ、ええ。どちらも名家として記録されておりますよ、少なくとも二十年前までは、ですが。私も詳しくは存じ上げません。何せ書物に書かれることのない噂程度のことですから」
―――おかしい。語りたがりの彼が言い淀むなんて。知っているのに知らないふりをするなんて彼らしくない。
「どうした? いつもなら知りたくもないことをベラベラと喋るくせに」
違和感をリゲルも感じ取ったのだろう。
「そうですかな。ただ、真珠を手に入れようと貝に手を入れれば挟まれるように、アイギアロスに探りを入れることはおススメしません。何せ、先王の不興を買った領地ですから」
「その例えは言いえて妙だな。貝に中にあるのは真珠とは限らん」
「リゲル卿の言う通りです。陛下、陛下が玉座を手に入れるとは最早必然。権力争いもなく、七星卿の皆様とも円満。盤石に盤石。わざわざ泥沼の道を進まずとも、小評議会や七星卿を頼れば良いのです」
グリシアの気遣いはもはやシリウスにとっては挑発だ。彼女はにっこりと笑みを浮かべる。
「つまり貴様は、政治は大人のもので、国は男のものだと言いたいわけだな」
「———っ、陛下、これはご無礼を。そうではなく、私は陛下に安心して頂きたく………」
「私が不安で夜も眠れぬからと、優しい気遣いだと言いたいわけだな。私は自分で見たものしか信じないし、噂話も鵜呑みにはしない。そして陰湿な方法で刃を向けられた以上、私は黙って見過ごすことはできない。ただそれだけだ」
グリシアは肩をすくめた。
「捕らえればそれはいずれ明るみになるというもの。敵の内情から探って何になりましょう。毒蛇の毒を抜くまで狩り尽くすおつもりですか?」
「見たくないものを見ず、知りたくないものを知らずにいる方が幸せな王になると? 甘美な響きのようだが、それは怠惰であるだけだ」
―――そうか、シリウスの原動力はそこにある。
兵力をもって地下闘技場を抑え、主犯を炙り出して捕らえてしまえばそれでいい。
時間も労力もかけずに済むだろう。しかし見て見ぬふりを、シリウスはできない。そういう性質なのだ。
「———わかりました」
折れた、のではない。何かに気づかされたグリシアは、細く息を吸った。
「ですが、陛下お約束ください。私の話を聞いても、王になる道を引き返すことはしないと」
その声は震えて、憂いを帯びている。
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