第15話 不信感

 「地獄への道は善意で舗装されている」、「地獄への道は善意で敷き詰められている」はヨーロッパのことわざですが、マルクス主義について調べていた際にこのことわざを思い出しました。

 マルクス主義がどんなに高い理想を持つ経済理論であるとしても現実を無視した経済理論であるならば、破綻するのは当然のことですが、それでも多くの人がマルクス主義に囚われているのは、高い理想を捨てられないからではないかと思います。しかし、現実が破綻しているのに間違いを認めることができない場合には、更なる悲劇が待ち受けています。

 現実を無視した理想論の政策を推し進めた結果として国民の生活が破綻するならば、国民の間に不満が蓄積され、政府は国民の不満を無視できなくなります。その時に政府が政策の誤りを認め、現実を無視した政策を改め、現実に則した政策を行うならば、問題は解消される方向に向かいますが、現実を無視した理想論を捨てられない場合には、国民の 不満や憎悪を他にそらすための身代わりが必要となります。

 そのため、党内に裏切者がいたから政策が失敗したと粛清が繰り返されたり、国民の中にも反革命分子が隠れていると国民を監視するようになります。これは共産主義政権の持つ宿命とも言えます。共産主義政権は、資本主義との戦いに自分たちの存在意義を見出していることから常に資本主義者たちはスパイを送り込んでいるとの気持ちを持つ傾向があります。

 このことはマルクス主義が資本主義の否定から始まってることに理由を求めるべきとは思いますが、心霊世界の観点から見ますと、阿修羅界や魔界の住人の影響があるのではないかと疑いたくなります。阿修羅界は闘争の世界であり、魔界は猜疑心と憎悪の渦巻く世界です。

 これらの世界の住人達の影響を受けるだけでなく、心までも支配されるようになりますと、常に闘争心や猜疑心、憎悪に心が支配されるようになります。特に転落した行者の類の影響が強い場合には、増上慢の傾向が強くなり、自分の行為の間違いを認める気持ちが希薄となり、失敗しても自分が間違っているとの考えることなく、他人に責任転嫁をするようになります。

 生前のマルクスの言動や生き方に関しては詳しくありませんので、断定的なことは書けませんが、マルクスやエンゲルスなどのマルクス主義の作成に関わった人々が労働者の苦悩を解消するための思想を考えたとても阿修羅界や魔界の住人の影響を受けていた可能性はあります。

 これは新興宗教の教祖や霊能者にも言えることですが、大半の新興宗教の教祖や霊能者も衆生救済を掲げているだけでなく、そして自分は神仏から衆生救済の使命を授かっていると考えています。しかし、説いている教えの内容はとなれば、疑問だらけの教えが大半です。自分は神仏から衆生救済の使命を授かっていると考えているとても教えが間違っているならば、人を惑わすことになります。

 そのため、マルクスが善意からマルクス主義を提唱したとしても内容が間違っていたならば、人々を惑わすことになります。

 









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