第5話

『お兄ちゃん、やっぱり私無茶だと思うんだけど』


「いいから早くしろ」


『はいはい⋯⋯出来たよ。何分かは防犯カメラとかの機器は動かないと思うけど、ハッキングの痕跡は残るから。あと、人間までは停止させられないからそこは注意して』


「わかった。もう切るぞ」


「うん、死なないでね」


 凪紗の最後の言葉を聞いて、俺は通信機器をポケットにしまった。

 深夜2時を回った頃。俺は今千石家の屋敷へと来ている。

 今夜、ここで殺すのだ。


 凪紗には無謀だとか、学校に潜入した意味がないとか散々叩かれたが、しょうがない。

 学校でいる時の千石を殺すのは少しどころか大分気が引ける。

 家でいる時ぐらいは普通だろう。てか寝てるだろう。


「よいしょ⋯⋯っ!」


 3メートルはある高い塀をダッシュで駆け上がり、すぐに敷地内へと入った。

 本来ならここでブザーでも鳴るのだろうが、凪紗のおかげだ。

 敷地内へと入ったのにも関わらず、目的の屋敷が大分小さく見えるほど遠かった。


 手入れされている芝を、迅速かつ静寂に駆け抜けた。

 サングラスをかけた黒服の男性が数メートルおきに監視として置かれているが、さほど問題ではない

 無駄な殺生をしないよう遠回りしたが、すぐに屋敷へと着いた。

 なんだ、意外と楽ちんじゃないか。


 凪紗の調べによると、千石楓の寝室は2階の西側の端。

 家の壁から時々はみ出ている部分や雨樋を飛び移りながら、その部屋のベランダへとすぐに着いた。

 我ながらすごい猿っぷりだと思う。


(こっからどうするかな⋯⋯)


 ベランダと部屋を仕切る窓。この奥に千石楓がいる。

 カーテンが敷かれているため、部屋の中は何も見えない。


 強引にガラスを割ってしまえば、近くのボディーガードが来てしまう。殺すことはできても帰ることができない。

 障害物があったりする狭い空間から数の暴力なんて関係ないのだが、広大な何もない庭では俺は蜂の巣にされてしまうだろう。


 そもそもこのガラスを割ることができるのか⋯⋯そう思難していると、


「なっ⋯⋯!」


 カーテンが勢いよくサァーと開けられ、部屋の中にいる千石楓と思い切り対面してしまった。

 この時間に起きているのは予想外だったし、このタイミングでカーテンが開けられるとも思わなかった。


(ど、どうする⋯⋯!? 俺はもう助からないんじゃないか!?)


 ほんの一瞬で思考を巡らせるが、何も打開策が思いつかない。

 今すぐガラスを割って無理矢理殺してしまえば俺は間違いなく帰れない。

 しかし、静かに部屋に侵入して千石楓に接触する手段はない。

 このまま立ち止まっていたら彼女がボディガードとかに通報してどちらにしろお終いだろう。


(⋯⋯いや、別にいいか)


 俺が死のうと、千石楓を殺せば報酬金は振り込まられる。

 凪紗はそれでこれから残りの人生を遊んで暮らせるだろう。

 ボディガードに察知されるのを承知で、俺は窓ガラスにポケットから出した拳銃を向けた。


 これでこのまま侵入して、千石楓を殺す。

 そう思ったのだが⋯⋯


「⋯⋯入って」


 俺が撃つよりも先に、千石楓はベランダの鍵を開けて俺を中へと招いた。

 俺が先程まで感じていた異常な緊張や恐怖は、彼女の涼しげな声で全て吹き飛ばされた。

 静寂に包まれたその空気で、俺の心臓の音だけが非常に耳障りだった。


 俺は体が固まったままで引き金を引けなかった。

 金縛りみたいな感覚で、こんなのは初めてだった。

 真正面から銃を向けられているのに、彼女は相変わらずポーカーフェイスだった。


「⋯⋯何してるの? 外、寒いでしょ? 入っていいわよ」


「⋯⋯あ、ああ」


 銃を握る手を下ろして、額に触れてみると異常なほど汗をかいていた。

 手や足は震えており、自分のものではないのではないかと思うほど言うことが聞かなかった。


 ぎこちない歩き方で部屋へと入ると、一部屋だというのにすごい広さだった。

 うちの居間より広いのではないのだろうか。


「適当なところで寛いでいいわよ」


「あ、ああ」


 そこにあった勉強机の椅子に座ると、千石は少し離れたベッドに腰掛けた。

 一体なんなのだろうこの状況は。


「昼休みありがとう」


「⋯⋯何のことだ?」


「あの小石、飛ばしたのあなたでしょう?」


「⋯⋯」


 バレていた。

 気配は完全に消していたはずなのに、小石を飛ばしたということすら視認されていた。

 これでも俺はプロなのに。依頼対象の部屋で寛いでいるがプロなのに。


「綾野くん、だっけ? 今日⋯⋯というより、昨日転校してきた転校生だよね」


「⋯⋯ああ」


「今夜はどんな用で来たの?」


「⋯⋯お前を殺しに来た」


「そう」


 それを聞いても彼女の表情は曇るわけでもなく、明るくなるわけでもなかった。いや当然明るくなるわけないが。

 彼女は俺が言っていることが冗談ではないとわかっている。だが、それでも恐る素振りも見せなかった。


「お前がこんな時間に起きているとは思わなかった。お陰でさっきはヒヤヒヤしたよ」


「いつも起きているわ。4時までは勉強しなさいって言われているの」


「⋯⋯え?」


「学校から帰ったら、習い事が無い日は7時まで勉強。8時までに晩御飯とお風呂を済ませて、そこから4時まで勉強。小さい頃からお父さんに命令されているの」


「⋯⋯な、なんだそれ」


「⋯⋯? どうしたの?」


 千石の私生活を聞いて、俺は頭を抱えた。

 千石の辛いところを見て俺は学校で殺さなかったのに、家でも彼女に救いはなかった。


 しかも、それを彼女はおかしいと感じていなかった。

 まともな友人がいないから周りと比較ができていない証拠だろう。


 俺は千石の方へと駆け、ベッドに腰掛けている千石を押し倒してナイフを首元に突き立てた。

 彼女は押し倒される瞬間も瞬き一つせず、ただされるがままだった。


「⋯⋯それでも、お前は幸せだっただろ? こんな良い屋敷に住まわせてもらってんだから」


 自分でも自分の声が震えているのがわかった。

 情が湧く前に。いち早く彼女を殺そうと考えた。

 これは千石に言っているのではなく、自分に言い聞かせているもの同然だった。


「⋯⋯そう。私、幸せだったのね」


「⋯⋯っ!」


 彼女の無機質な声には、悲しみも帯びていなかった。

 俺の言葉に納得したみたいに、ナイフを突き立てられても抵抗ひとつなかった。


 首元が少しはだけてしまっており、そこからは痣などが見えていた。

 他にも視界を巡らせると、腕や足にも。


「⋯⋯な、なんだよ⋯⋯それ⋯⋯」


「⋯⋯どうして泣いているの?」


 彼女から離れ、俺は必死に目から溢れる涙を袖で拭った。


 学校ではいじめられ、家では父から異常な教育を受け、それを当たり前だと思っている。

 終いには、父のライバル企業の社長の鬱憤ばらしで殺しの依頼を出される。

 幸せの形を知らない彼女は、それを先程幸せだったのかと相槌を打った。


「⋯⋯どこへ行くの?」


「⋯⋯帰る」


「殺さなくていいの?」


「必要ない。⋯⋯あと、明日、1時間目が始まる前に屋上に来い」


「いいけど、どうして?」


「来てからのお楽しみだ」


 俺はそう言い残して、ベランダから飛び降りた。

 侵入を警備員に勘づかれていないため、脱出するのは意外と容易だった。

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