第122話 夢の世界
気が付くと、私は知らない場所にいた。
私はさっきまで翔一が戻ってくるのを待っていたはずだ。だというのに、ここは?
そう思い、私はあたりを見渡した。
一帯には、夏祭りが行われているような空気感は一切なく、それどころか外にいたはずなのに、いつの間にか屋内に立っていた。
長く続く廊下。
廊下の横に転々と存在する無数の扉。
さすがの私でも、これくらいはわかる。
私はなぜか病院にいる。
しかも、目の前には椎名翔一の名札があった。
「翔一の……病室?」
あまりにもショックな出来事で私がこれまでのことを何も覚えていないのか?
しかし、それにしても妙な感覚だ。なんだろうか、この違和感は。
部屋の中に入ると、中には数人の医者と看護師に囲まれて寝ている少年の姿があった。
少年の腕には無数のチューブがつながれており、全身包帯でぐるぐる巻きだった。
だが、なにより驚いたのが、その少年の顔は、私の誰よりも愛する人のものだった。
「翔一!」
その場でそう叫ぶが、医者たちはなんの反応を見せない。
よくわからない状況に困惑していると、勢いよく病室の扉が開け放たれた。
「お兄ちゃん!」
「椎名翔一君のご家族の方ですか?」
「は、はい……妹です」
「どうか落ち着いて聞いてください。お兄さんは―――」
話を聞いて、私は絶句した。
翔一は、もう目覚めないかもしれない。一命はとりとめたけど、今後意識を戻さない可能性だってある。翔一のそばにいた医者は確かにそう言った。
そんな馬鹿な……
さっきまで、私のために射的をしてくれた翔一が?
私のことをいつだって大事にしてくれる優しい翔一が、もう目覚めない?
ああ、これは悪い夢なんだ。こんな現実、受け入れられるわけ……
「うわああああああああああああ!なんで!なんで一人にするの!お兄ちゃん!」
そんな悲痛な叫びが病室に響いた。
そうだ。つらいのは、私だけじゃない。
唯一の家族である結乃も、同じくらい。いや、私以上に苦しいのかもしれない。
「ゆ、結乃……」
「お願い……一人にしないで……」
「わ、私だっている。必ず、翔一は目を覚ますさ」
「お兄ちゃん……」
「結乃、大丈夫だ……」
そう言って、私は結乃の方に手を置こうとしたが、ガラガラッと扉が開け放たれた。
次に入ってきたのは、美織だった。
「美織……」
「結乃、翔一は!」
「もう、ダメみたいです……」
「そう……」
病室に入った美織は、私のことなどスルーして、結乃に翔一の容態を聞いた。
自分が無視されたことにむっとしたが、彼女も翔一という友人を失ったショックが大きいのだろう。
それに、今は翔一が寝ているのだ。そんなことを言い合っている場合ではない。
「翔一……早く目を覚ますんだ……」
「結乃、もし私がこのまま結婚するって言ったら、あなたは反対する?」
「―――な、なにを言っているんだ!?」
「わ、私は、みお姉なら」
「ゆ、結乃も待つんだ!翔一の恋人は私なんだ。そういうのは私が……」
私がそう主張するも、二人はお構いなしに話を続けていく。
ここまで無視されると、私も黙っていられなくなる。
シカトで恋人を奪われるなんてたまったもんじゃない。
「ふ、二人とも……あんまり冗談は―――っ!?」
二人の肩を持とうとすると、私の手は美織の体を透き抜けた。
まるでそこになにもないのか様に。
なにが、起きている?
「でも、みお姉とお兄ちゃんが……あや姉も天国で歓迎してくれると思う」
「そうね。綾乃には申し訳ないと思うけど、もう翔一の面倒を見れる女なんて、私しかいないわよ」
『ふ、二人とも……』
「みお姉はいいの?」
「結乃も知ってるでしょ?私が何回翔一に婚約を申し込んだと思ってるの?」
「それなら、私が反対することなんて何もないです……」
「大丈夫よ。私が翔一を幸せにしてあげるから」
「―――お願いします……お兄ちゃんを、最後まで見捨てないで上げて……」
「結乃も一人にはしないわ。翔一の代わりに、私があなたの花嫁姿を見届けてあげる」
「みお姉!」
美織の言葉に、結乃は力強く抱き着いた。
この様子なら、翔一は本当に寝たきりのまま美織と結婚することになる。
いやだ。
そんな感情が全身を駆け巡った。
だが、それをどれだけ頭に考えて、声に出して主張しても、二人には届いてくれない。
触れることも、話しかけることもできない。
それはもう、私がこの世界に存在していない人間なのではないかと思ってしまう。
そんな強い絶望感に、私は押しつぶされそうになった。
しばらくすると、二人は病室を出て行った。
だが、私はその場から動こうとは思えなかった。
ここで去れば、翔一の顔をしっかりと見れない気がしたから。
二人がいなくなった後、私は翔一のベッドに腰かけた。
そうするが、結局思った通りで、翔一には触れなかった。
だが、みるだけならいくらでもできる。こうして改めてみると、翔一って本当にイケメンだ。モデルとか俳優をやっていてもおかしくないくらいだ。
本当に、結乃との美形兄弟は末恐ろしい。
モテモテになって、私以外の女が寄ってこないか不安なんだぞ。
そうして翔一の顔を見てると、あの日のことを思い出す。
雨の日に、傘をさしてくれた王子様。
本当に運命だった。運命のように現れて、私の心をどんどん奪っていく彼が、心の底から好きだった。
最初は誰かに付き合ってるのを知られるのが恥ずかしかっただが、今となっては誰にバレても恥ずかしくなくなった。
まあ、翔一がそんな気持ちを持たせないくらいに愛してくれるからなのだが。
その翔一は、もう私が触れられないところにいる。
もしかして、私は何かが原因で死んでいるのかもしれないな。それなら、私はこの世界に存在しない女として説明がつく。
ガラガラガラ!
変なことを考えていると、突然病室のドアが開け放たれた。
―――美織が入ってきたのだ。
彼女はずかずかと翔一のもとにより、彼の手をつかんだ。
「今起きれば、私の体を好きにする権利をあげるわ。だから、早く起きなさい。さすがの私も、結婚して数十年一人なんて耐えられないからね。あれを見つけたのも、核心に迫ったのも、選ばれたのも私たちだった。でもね、それは逃げでしかないのよ。翔一、とっとと帰ってきなさい―――
―――夢の世界から」
ちゅ、と音を立てて、美織は翔一の頬にキスをした。
少しだけ、彼女の耳が赤くなっている気がしたが、私はそれどころじゃなかった。
翔一にキス……
私はもうできないのに……
もういや……
私はただ何もできずに、病室の壁によっかかるだけだった。
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