第64話 第二章完結 ちょっとしたIFSS「アイドル玲羅」

 『みんなー、ありがとー!また来てねー!』


 そうして、テレビの中で観客に向かって手を振る玲羅。

 彼女と別れてから、7年。彼女は国民的なアイドルになっていた。


 高校3年の頃だ。芸能事務所にスカウトされた玲羅は、俺の後押しもあってアイドルになった。

 元々才能にあふれていたのか、デビューから数年で花開き、バラエティー番組でもよく呼ばれているのを目にする。


 一方で、俺は大学卒業後、一般企業に就職をしていた。上場企業ということもあって、収入はそれなりにあるが、大半は俺の趣味に溶けている。別に、玲羅のことは応援しているが、アイドルグッズすべてに手を出してるわけじゃない。

 まあ、玲羅の写真集は全部買っているが。


 趣味と言っても、昔から好きな特撮ヒーロー物の、大人のおもちゃバージョンである、C〇Mに手を出してるだけだ。


 妹の結乃も、昨年に結婚して旦那のもとに行き、今や家には俺しかいない。

 昔は広いから使い勝手がよかったのだが、今となっては宝の持ち腐れだ。美織?あいつも嫁に行った。意外と、この世界には変態が多いってことだ。つまりお似合いだったってことだ。


 「ふぅ……終わった。じゃあ、お先に失礼しまーす」

 「あ、待て!お前、残業は―――」


 俺は仕事を終わらせて、定時で早々に上がった。

 うちの会社は福利厚生が手厚く、働くのに一切困らないのだが、上司の一人が昭和脳というか前時代的というか―――いや、取り繕う必要ねーか。馬鹿だ。


 俺より成績悪い癖に、それが気に食わなくてかみついてくる。器の小さい―――いや、人間性が死んでいる奴がいる。そんな奴がいるから、俺は必要ないときは誰にも話しかけるすきを与えないで帰っている。


 先ほども、クソ上司がなにか言いかけていたが、無視して帰った。これで俺の立場が悪くならないのはあのバカの上に、ちゃんと自分が働いたことを認識してもらっている。


 漫画の序盤で裏切られて傷つくような主人公と違って、ちゃんとコミュニケーションを取って、仲良くなれば、まず手柄を奪われるとかありえないんだよ。


 そんなどうでもいいことは置いといて、俺は帰宅のために電車に乗った。確定なら30分くらいかかる距離だが、いつも急行に乗っているので、幾分か早い。


 俺はふと、車内広告が目に入った。

 最近、玲羅がプロデュースしている化粧品の広告だ。


 広告のとなりを見ると、車内で流れている映像に玲羅が流れていた。

 玲羅が笑顔で、CMに出ている。


 「遠くに行っちゃったなあ……」


 自然とそんな呟きがこぼれた。

 あの時、俺は玲羅がアイドルになることを後押ししなかったら、今、彼女は俺の隣にいただろうか?ただ、あの時の判断に後悔はない。


 だって、スカウトされたって言った時の玲羅の顔。うれしそうだったから。

 後押ししない理由なんてなかった。だから、一緒にいたい気持ちはあるけど……


 そんな感じで、電車に入るだけで、高校生活を思い出す。

 なんだかんだあって大変だったけど、玲羅のおかげで発作が治って、初夜を迎えた日とか。食べたことのない料理に目を輝かしてる姿とか。一緒にバカやって先生に怒られたこととか。

 思い出すことはたくさんある。


 多分、高校の時。あの時が一番の青春で、一番恋をしてた。

 口で好きだ好きだと言っていたが、それ以上に大好きだった。もう、その気持ちを伝えることはかなわないけど。


 電車を降りた俺は、まっすぐに帰宅した。食事用の食材は、すでに冷蔵庫にある。


 駅から帰る途中、ある公園に人影を見つけた。

 あの日と同じで、1人でベンチに座っていた。


 俺は、そいつに近づいて、声をかけた。


 「こんな季節に夜風にあたってると、風邪じゃすまなくなるぞ」

 「翔一……」


 そう帰ってきた返事を聞いて、俺は彼女を抱きしめたくなった。

 彼女は、俺のよく知る人物だったから。


 「久しぶり、玲羅」

 「ああ……この後に続く言葉があるだろう?……わくわく」

 「はい……?」


 続く言葉?いや、あの時も同じ状況だった。いや、俺たちを取り巻く環境があまりにも違うが。

 あれでいいのか?


 「隠れ蓑になってやる?うちにこいよ?」

 「ああ、そうだ!あの時、お前にそう言われたから、今の私があるんだ!」


 そう言って、玲羅は俺に抱き着いてくる。この寒空の中で抱き着かれると、彼女の暖かさというものをいつも以上に感じてしまう。


 アイドルになったが、高校の時から根はなにも変わっていないのか、胸に顔を押し付けて「むふふ……しょういちー」と言いながら、頬をすりすりしてくる。

 俺も、そんな彼女の頭をなでなでしてあげた。


 キスまでしたい気分だったが、本当に風邪をひいてしまうので、一旦帰宅した。

 家に入ると、玲羅は家を見渡していった。


 「うわあー、あの時と変わってないなあ……なつかしー」

 「まあな、人だけ減っていって、寂しくなったよ。相変わらず広いからさ」

 「なあ、翔一」

 「なんだ?」

 「結婚しよう」

 「ああ……は!?」


 俺は突然のプロポーズに驚いた。内心期待はしていたが、まさか本当にされるとは思ってなかった。


 だが、俺の素っ頓狂な返事に玲羅は、頬を膨らませる。


 「むぅ……翔一、結婚しよう」

 「な、な……」

 「大丈夫だ。事務所はもうやめてきた。アイドルはやめ。明日にはニュースになってるさ」

 「え、そんな急に?」

 「ああ、もう未練はない。後は翔一の子供を産んで、お前の家族を増やすだけだ」

 「は?……は?」


 ダメだ、玲羅の言っていることが理解できない。

 いや、正確にはわかる。だが、頭がフリーズして処理できない。


 そんなこんなのうちに、玲羅は俺の指に指輪をはめてきて、久しぶりに俺の唇を奪った。


 たっぷり数十秒、舐った後に玲羅は言った。


 「ふふ、翔一の味だ」

 「どんな味だよ」

 「この世界で、なによりも甘くて、なによりも愛おしく感じる味だ」

 「玲羅、この指輪……本気なの?」

 「ああ、冗談で、仕事を辞めない。冗談で、左手の薬指に指輪ははめない。もう一回言うぞ。翔一、私と結婚してくれ」


 その瞬間、俺は涙を流していた。自分でも、気付かなかった。

 でも、その時はいろんな記憶と感情が入り混じって、泣いてしまったんだと思う。


 本音を言えば、寂しかった。結乃が、美織が、結婚したからじゃない。もっと前から、玲羅が家にいなくなってからだ。彼女に一生一緒にいてほしかった。


 「こんな俺でよければ、お願いします」

 「やった!」


 俺の返事に、玲羅は全身を使って喜びを表した。アイドル時代の良さが、甘えん坊玲羅にくっついて、無敵なことになってるな。

 そんなことを思いながら、俺の奥さんを見ていると、玲羅は俺の耳元でこう言ったんだ。


 「7年も我慢したんだ。今夜どころか、明日も寝かせないぞ」

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