25-19 杯を交わす知識の余韻
婆さんの『アンドレア』という言葉で、3人が色めき立ち、互いに顔を見合わせた。
「なんだい、アンドレアがどうかしたのかい?」
「オバさん、アンドレってアンドレア商会のアンドレアさんのこと?」
「そうだよ。他のアンドレアをあたしは知らないね。リリアは知り合いかい? それより、どうするんだい。みんなジョッキが空だけど、頼むのかい?」
「婆さーん、こっちもエールを頼むぞ~」
そんな声が斜め後ろの長机から上がった。
「おう、こっちも頼む~」
「婆さ~ん、飯(メシ)はあるか~?」
「俺もエールを頼むぞ~」
その途端、周囲の長机から婆さんを呼ぶ声が次々と聞こえてきた。
「待ってな~ 順番だからね~。それと今日はオリビアが休みだから、飯(メシ)は無しだよ~」
急かすような声に優しく応じる婆さんの様子に、ロレンツの親父さんとハンス、そしてリリアが互いに目を合わせ、黙って頷き合った。
「オバさん、手伝います」
最初にリリアが立ち上がり、手伝いを申し出た途端に、ロレンツの親父さんとハンスが再び目線を合わせて頷くと、ハンスが立ち上がった。
「オバさん、他の席を先にしてください。俺も手伝いますから」
「そうかい。じゃあ頼もうか。ロレンツ、ハンスを借りるよ。リリアは注文を受けとくれ。エプロンは⋯」
「厨房ですね」
そんな会話を交わした婆さんが、エプロンのポケットから紐でまとめた木札の束を取り出し、リリアに手渡した。
「ハンスは厨房でエールを頼むよ。まずは3つだね」
「おう、任された」
ハンスはどこかで聞いたような返事を残して、リリアと共に厨房へ向かった。
婆さんが俺たちの席を離れ、先ほど注文をしてきた長机へ向かう様子を見ながら、俺は思わずロレンツの親父さんに問い掛けた。
「ハンスもリリアも、経験があるのか?」
「そうか、イチノスは知らないんだな。あの二人は見習いの時に、ここを手伝ってたんだよ」
親父さんは懐かしそうに答えた。
「じゃあ、カールやシンシアも?」
「いや、あの二人はやってないな。シンシアは家族でサカキシルへ行ったし、カールは見習いの頃は東の市場の手伝いだったな」
その会話の中で、俺はこの大衆食堂の歴史を少しだけ垣間見たような気がした。
そして、かつてこの場所で育まれ、今なお続く絆を感じた。
◆
「おぉ~ リリアじゃね~か。久しぶりだな~」
「リリア~ またここで働くのか?」
「婆さ~ん またリリアを雇ったのか?」
「リリア~ エールをくれるか~」
リリアの回る長机から、そんな声が聞こえてくる。
これでは『馬車軌道』に続けて『株式会社』の仕組について話すのは難しそうだ。
俺としてはそろそろ引き上げたいのだが、どうするかな⋯ 日を改めるか?
「イチノス、今日はここまでだな」
そう思った時に、ロレンツの親父さんが俺を解放する言葉を口にしてきた。
「俺は構わないが、リリアは『株式会社』の話を聞かなくて良いのか?」
「イチノスは、そこまで面倒をみたいのか?(笑」
「いや、最初に言ったけど、『株式会社』については自分で商工会ギルドで問い合わせをして学んで欲しいな」
「そうだよな⋯ 俺も似たようなものか⋯」
俺の返事に、ロレンツの親父さんが少し寂しそうに言葉を返してきた。
これは何かあるのだろうか?
もしかして『アンドレア』の名に関わりがあるのか?
「ロレンツの親父さん、聞いて良いか?」
「ん?」
「『アンドレア商会』の名前が出たろ? なんで親父さんは、アンドレアの名でハンスやリリアを見たんだ?」
「それか⋯ イチノスはそう言うところに気づくよな(笑」
ロレンツの親父さんは笑いながら答えたが、どこか俺への指摘にも聞こえる言葉だな。
「実はな、今年の初めかな? アンドレア商会の仕事を受ける話が出た時に、アンドレア商会を『株式会社』にしたって話を聞いたんだよ」
これはなんとも返事のできない話が出てきたぞ。
「『商会が株式会社に変わっても、お願いする仕事に変わりはありません。これからもよろしくお願いします』って言われてな(笑」
「じゃあ、その時に⋯」
俺はそこまで口にして言葉を止めた。
今年の初めに、既に『株式会社』の話をアンドレアが広めていたのなら、ロレンツの親父さんやシンシアの両親が知っている可能性は十分にあるよな。
だとすれば⋯
いや、待てよ⋯
「なんか、わかってきたよ(笑」
「そうか、イチノスはわかってくれるか!」
「ククク じゃあ、後は親父さんに任せて良いか?」
「そうだな。これ以上、イチノスから話を聞くのは申し訳ないな。それに、後輩の面倒をみるのは先輩の仕事だからな(笑」
「ククク そういえばカールは大丈夫なのか?」
俺は話の流れを変えるために、後ろの長机で寝ているカールへ目をやり問い掛けた。
「あぁ、大丈夫だろう。元々、あいつは酒に弱いんだ。今日はシンシアがいたんではしゃいで⋯ 甘えてんだよ(笑」
「ククク そうかい。じゃあ後は任せた」
そう告げて席を立とうとすると、ロレンツの親父さんが引き留めてきた。
「イチノス、帰る前に教えてくれるか?」
「ん?」
「イチノスは、リリアやハンスと同い年ぐらいだろ? それなのに、どうしてそんなに物知りなんだ?」
なんだ? ロレンツの親父さんは俺から何を聞き出したいんだ?
あっ、そうか!
ロレンツの親父さんは、ウィリアム叔父さんやジェイク叔父さんを知ってるんだ。
俺の父であるランドルを知っていておかしくない。
だとすれば、俺が生まれた年も知っているだろうから、俺の年齢も知っているだろう。
「あれか? やっぱり、子供の頃からの教育の違いか?」
「⋯⋯」
俺は聞こえなかったふりをして席を立った。
「何が違ったんだろうな⋯」
そう呟いたロレンツの親父さんは厨房へ目をやる。
そこにはエールを出すハンスと、それを運ぼうとするリリアの姿があった。
◆
大衆食堂を出た俺は、家路に着いた。
ガス灯の明かりと、半月の明かりを頼りにいつもの道を進んでいく。
「ロレンツの親父さんの言葉が、頭から離れないな⋯」
思わず呟いてしまった。
親父さんの言葉が、まるで俺の心に刺さった矢のように、じんわりと痛みを残していた。
すれ違う巡回班らしき街兵士が、王国式の敬礼を俺に向けてくる。
それに対して、俺は軽く敬礼で応えるだけで、労いの言葉を返す気分ではなかった。
それでもカバン屋の角を曲がったところで、少し気持ちの整理がついてきた。
確かに、俺は貴族の生まれだ。
その事実が幼い頃から俺を縛っていた。
父(ランドル)と母(フェリス)、そしてコンラッド、家政婦長のエミリア、さらには幾多の家庭教師たち⋯
彼らから与えられた幾多の教育は、まるで俺の存在を作り上げるパーツのようだ。
だが、そのパーツが埋め込まれるのは、魔法学校の寄宿舎に放り込まれるまでの話だ。
魔法学校で学び始めた頃には、俺は既に興味を持ったことを自分で調べ、もしくは知恵者に問い掛けるようになっていた。
そうして自分の興味を満足させることに、俺は時間を費やしてきた。
加えて、生まれた時から備えていた抜群の記憶力。
この記憶力が、俺をさらに特別な存在にしていた。
幾多の知識を吸収し、溜め込んでいく。
俺はそれが当たり前だと思っていた。
しかし、魔法学校に入って気づいたのだ。
それが当たり前ではないことに。
周囲の人々は、明らかに違った。
人それぞれ、生まれ持っているものが違う。興味を持つものが違う。それまで学んできたものが違う。記憶力が違う。
それらが組み合わさって、今の自分が成り立っているのだ。
〉子供の頃からの教育の違いか?
ロレンツの親父さんはそう言った。
だけど、そうした違いを理解して、自分がどう生きていくかを決めるのは、結局のところ、自分自身な気がする⋯
─
王国歴622年6月6日(月)はこれで終わりです。申し訳ありませんが、ここで一旦書き溜めに入ります。書き溜めが終わり次第、投稿します。
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勇者の魔石を求めて 圭太朗 @Keitaroh
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