第2話オニババ・イン・ゲンダイ

…あの祈祷師の言葉を信じ


ワシは人を襲った


あの可愛らしい姫のために


ワシは人を殺した


どれだけ殺めただろう


ワシは仕舞いに姫を食った


あの糞坊主を追いかけて野を越え山を越え谷を越えた。


捕まえてとどめを刺す直前で稲光に身体を貫かれたが、


その後は一体どうなったのだろう。


闇を漂うようなまどろみからふと目が覚めた。


とてつもない長い時間、暗闇の中ををふわふわと彷徨っていたように思う。


頭がガンガンと痛み、とても重い


目に入り込む光が眼球に突き刺さるようだった。


昔成人の祝いにと、奉公先のご主人に酒をふるまって頂いた翌日の事を思い出す。


とてもうまい酒だったがあの夜は飲みすぎた。


どうやらワシは石畳の上に横になっていたのだろう、身体中がミシミシと痛い。


昔、奉公したての頃に来客用の皿を割ってしまった時に罰として土間で一晩寝させられた時の事を思いだす。


しかし齢200は軽く超えた鬼の身体がこんな痛みを覚える事などあるはずもない。


場所を確認しようと廻りを見渡す。


ここはどこだ?


心臓が早まり息が詰まる。


あの時、糞坊主を追いかけたワシは満月の中、野を越え山を渡り谷を飛び越えた。


ついに糞坊主を追い詰めた記憶の最後の場所の草原など、ワシの目のまえにはどこにもなかった。


鬼の前に広がるのは現代の街並みである。


混乱する鬼は人であった頃に京の都の屋敷に仕えていた。


そこ当時であれば最先端の大都市であったがそれと比べても


これほどまでに光まばゆい街灯が並ぶ道や


山のようにそそり立つ駅前ホテルのビルに


帰宅時間で活気づくデパート、そして何より鉄のようなもので出来た


牛車のような乗り物に人々が乗っているのが見える。


その場所が地方都市の駅前であったとしても


過去に生きた鬼にとっては異世界そのものでしかなかった。


「「あはははは」」


数名の奇怪な衣服を着た女性達が、雑談しながら「F駅」と看板を掲げた建物へと吸い込まれていく。


「ここはなんなんだ?」


石造りのなのか?ワシの背後に建つこの無機質な建物の中はどんな妖術を使っているのか


ところどころ読めそうな文字で書かれた看板が煌々とひかり、


すでに空が暗くなっているというのにまるで昼間のように明るい建物や道路が周囲に広がっている。


松明も蝋燭も見当たらないではないか。


この光は妖術か何かか、もしくは狐狸にでも化かされたりでもしているのだろうか?


鬼はふと気づいた。


目の前に見えるこの透明な物は壁だろうか?


水のように透き通った壁など初めてだ。もしや硝子で出来ているのか?


「京にお住まいの帝であればこの透明な壁を作らせることは可能であろうが」。


国中の職人を集めても難しそうな気がする。


鬼は聡明であったがすぐに思考が停止することになる。


紫色の着物を着ている少女が目の前の硝子の壁に写り込んでいたのだ。


齢は13~15といったところであろうか。


鬼の生きた時代とすれば、とうに成人をしている歳頃であろう。


何かがおかしい、と量の手で顔を覆おうとするが老婆の手はそこになかった。


あったのは華奢な少女の両手のひらだけである。


皺だらけの肌だった手の甲もそこにはない。


人を解体する包丁を研ぎ澄まし、旅人の首をねじ切った


刃物のような鋭利な爪を蓄えた鬼の手はそこになかった。


頭痛がひどくなり状況を呑み込めず混乱する。


吐き気がひどい。両手で頭を抱えた。


牛よりも立派だった二本角はそこにはなく、


少女の柔肌で包まれたコブのような名残があるだけだった。


顔のほほもまるで絹のように滑らかで餅のように柔らかい。


しかしどう見てもその鬼の姿を映しているようだったし


鬼が愛し自ら殺めた姫の姿にそっくりだった。


目の前に写る姫に似た少女はどうやら自分自身らしい。


鬼は不安と恐怖に押しつぶされそうになった。


久しく忘れていた感情である。


姫を救うため京の屋敷をでてからは


恐怖や不安という感情を押し殺した。


それは姫を救うために不要な感情だったからだ。


姫に生きてほしい。


鬼にとって大切だったのは、ただそれだけだった。


それなのに呪い師にそそのかされて人を殺し続けた果てに姫を殺してしまった。


ワレを忘れ人を食い殺すだけの化け物に成り果て


最後に覚えているのはワシを稲光で貫いた糞坊主の顔だけだ。


そんな罪深いワシが健康的に育った姫そっくりな少女に生まれ変わったのか


思考が真っ白になる。


具合が悪い。何か酸っぱいものが喉の奥底からこみあげてくる。


「うぐぅえ」


鬼はたまらず戻しそうになったが腹の中は空っぽだったらしく何も出てこなかった。


鬼に身を落としてからは無かった人間らしい生理現象だった。


ワシは今、百年ぶりに正気らしい。


すでに忘れたと思っていた罪悪感という罪の意識に苛まれた。


姫の姿になるなどワシにとってこれ以上の罰などありようがない。


視界が真っ暗になる。


足が震え身体に力が入らない。


涙があふれて鼻水が流れた。


姫や何百人と食い殺してしまった犠牲者達への懺悔で胸が張り裂けそうだった。


道行く人たちは少女の異様な様子に声をかけられず


ただただ通り過ぎていく。


私は一体どうなるのだろう。


一時は敵なしだった鬼の力は今あるのだろうか?


そもそも今いる場所もよくわからない。


ここはもしかしたら極楽浄土なのだろうか?


はたまた地獄か?


頭が混乱して思考がぐるぐると廻り収集がつかなくなった。


「ハぁ、ハぁ」と呼吸すら困難になるほど


息が荒くなる。パニック状態だった。


「どうしました?大丈夫ですか?!」


と道すがらの男性に声をかけられた。


「…あぁうあ」


「深呼吸して、ひとまずそこに座りましょう」


と石作りの椅子に誘導された。


背中をさすられて呼吸を誘導されていると


少し落ち着くことができた。


「よかったら水をどうぞ」


と男性から透明な硝子とも取れない柔らかな入れ物を渡された。


水が入っているらしいが開け方が分からない。


後から分かった事だがその入れ物はペットボトルというらしい。


ワシの生きていた頃と比べると科学技術というものはまるで妖術のようだと思う。


そのペットボトルを開けられずにいると男が封を切って手渡してくれた。


男の言葉は訛りが強いのかなんともわかり辛かったが


名を「S」と名乗った。

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