愚か者 他
「いつまでそんなことを続けるつもりなの」
私が柳白君の家に足繁く通っていることが、どうやら気に食わないらしい。そもそも私は最初から、他人からの肯定も否定も望んでいない。勝手に首を突っ込んできてずけずけと文句を押し付けてくるのはやめて頂きたい。この世の誰にも分かってもらわなくて結構。私は私一人で、柳白君が好きなのだ。他の誰に何を言われようとも構わない。どうでもいい。世間の声や偏見の目があったとして、それは所詮他人の意見だもの。どんな事象も本当のところは当事者にしか分からない。私達の絆は、私達にしか分からない。柳白君という存在が私にとっての最適解であるか、そうでないか、そのどちらかを決める権利が他の誰にあるというのだろう。
「」
「」
私がどんなに真っ直ぐに見つめても、彼はいつも俯いたままだ。人と目を合わせるのが苦手らしい。普段柳白君と話していて、一日のうち彼と目が合う回数は片手で数えられる程度だ。それ程までに彼は他人と目線を合わせるのを嫌がる。丸一日一緒に過ごして、最後の最後で別れ際に「今日は珍しくネックレスを付けてるんですね」なんて言われたこともある。気づくのが遅過ぎるどころの話ではない。ただ、私が目を離している隙に彼が私の事を横目で盗み見ていることも、私は知っている。真正面から目を合わせる度胸は無いくせに、私が目を逸らした途端じっとこちらを直視してくるのだ。意地悪でわざと目を合わせ返したことがあるが、彼は素知らぬ顔で誤魔化した。分かりやすくて可愛いと思った。 柳白君はいつも自分に自信が無い。容姿、声、性格、自分の持つほぼ全ての要素が、彼はどうやら気に食わないらしい。確かに彼は悲観的で自分に厳しく、少しでも納得できないことがあるとすぐ屁理屈を捏ねる。諦めが早く陰気で、自分に言い訳ばかりする。その歪み全てを含めて私は愛しているが、愛したとて別に解決はせず、関係無いのである。性格はともかくとして、姿形に関しては、これは善し悪しを一概には言えないと思っている。人は容姿を気にするが、私が思うに、造形が流行りや黄金比から離れているからといって何もかも駄目なのだと決めつける必要は無い。何故なら、美しさとは仕草である。一瞬の輝きである。睡魔に負けてこくりと落ちる首、ふいに髪をかきあげる仕草、俯いて本を読む時の伏し目がちな瞳。強く掴んだ腕、その血管、そこから伝わる熱。慌てて逸らした時の表情、その唇、その感触。声の震え。涙目。眼球に映る自分の姿。長い前髪の揺れ、隙間から覗く視線。肌、肉、その温もり、荒れ具合から分かる生活、生々しさ、汗、服の匂い。確かにそこに存在するという、事実。生きている一分一秒。それすら愛おしい。つまり、美しさとは瞬間に宿るのだ。お前の持つ美しさを、お前は何も分かっていない。いつも思う。長所など数え切れないほどある。例えば利他主義なところ。細かく挙げれば恐らく百は超えるのだけれど、私が持つ言葉の限りを尽くして褒めても、彼は自分を許さない。これはあくまで予想だけれど、彼をここまで消極的にさせてしまった原因は幼少期の出来事にあるような気がしている。根本的に何かずっと引っ掛かっているものがある。それが何なのかは、本人の口から聞くまで事実は分からないけれど、自分の抱く違和感には確信があった。
『』
浮気をする奴は最低だ。約束を破ることは最低だ。けれど、「まともな人間は浮気をしない」だなんて言い切る奴は間違いだと思う。だって、そもそも、人は恋をすると頭が狂う。正常な思考が出来なくなる。真面目を決め込んでいる人間も、普段から欲のままに生きている自由奔放な人間も、どんな性格の人間も等しく狂う可能性がある。浮気をしない人間というのは存在せず、それぞれ、その時々の情緒、状況が全てだと思う。私が裏切る可能性も、柳白君が裏切る可能性も、先輩が裏切ったかもしれない可能性も、全く同じ確率で存在している。私より優れた女が先輩の前に現れるよりも先に、柳白君と私と出会って、私の中の最高値が更新されてしまっただけの話だ。そもそも、この世には何億もの人間が存在しているというのに、たった一人と口約束を交わしたというだけで、その他全ての可能性が一切絶たれてしまうというのは非効率的で実につまらない。くだらない縛りだ。それが当たり前としてまかり通っている世界が私には不思議でならない。お互いにとって理想の最終地点に行き着く為にも、常に双方に裏切る余地が残されるべきだ。勿論柳白君が私以外の女に恋愛感情を抱くようなことがあれば強い怒りを感じるだろう。嫉妬もするだろう。けれど、だからといって私に彼を止められる権利は無い。この場合付き合っていても、いなくてもだ。私が私で奔放に生きているように、柳白君の人生は誰にも足止めされてはならない。引っ張って引き留めるだなんて以ての外だ。それに「相手なら絶対に大丈夫だ」と手放しで信じるよりも、「相手も私もいつか裏切るかもしれない」という可能性を十分に踏まえた上で関わっていく方が、その認識をお互いに持っていた方が、末永く一緒にいられるんじゃないかしらという気がする。これは卑怯な考え方だろうか。しかし実際、この思考によって私は解放されたのだ。世間という名の見知らぬ他人の目を気にして良い子を演じるために先輩に固執し、無駄な時間を割く必要もない。その分有意義に時間を消費することが出来ている。判断のためにかける時間が少々被っただけだ。しかし、世間ではその重複期間のことを浮気と呼ぶのだろう。実に非効率的だと思う。
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